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2019 モンゴルからロシア
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モンゴル横断、そしてアルタイ共和国からシベリアへ
17日目 →アバカン→ミヌシンスク→アバカン
朝7時過ぎ、定刻通りに列車はハカス共和国の首都アバカンに到着した。同じ車両の人々はロシア人ばかりだったが、駅にはハカス人と思わしきモンゴロイド系の人々の姿もある。
ハカス共和国は、1991年にクラスノヤルスク地方の自治州から昇格分離し、共和国となっている。キルギス人に近いとされるハカス人はトルコ系の民族で、18世紀以降に多くロシア正教に改宗した。現在のハカス共和国に住むハカス人は、自治州設置前の1926年には約半数を占めていたが、2010年の統計では12%を占めるだけ。現在の人口は8割以上がロシア人となっている。
夜行列車で朝着くとホテルに連絡を入れたところ、無料でアーリーチェックインOKとの返信を快くくれたので、まずはホテルに向かう。無事にチェックインを済ませ、ひと休み。出かけようと思いフロントに街のことなどを質問していると、何故かVIPルームに変更しましょうという話になり、トイレシャワー共同の部屋から、広いエンスイートの部屋に無償変更となった。旅行者などほとんど来ない街に日本から来たからだと思われるが、ありがたい。
アバカン市内に見どころはほとんどないので、まずは隣のミヌシンスク市に行くことにする。バスターミナル前が市場なので、先に市場で食事をしてからと思っていたが、市場自体が何故か閉まっている。仕方なく、近くのカフェで朝食をとって、バスターミナルへ。約25キロ先にあるミヌシンスクへはバスでなく、ミニバスで、それほど待たずに満席となり、出発する。
ミヌシンスク市はアバカンの隣にあるが、ハカス共和国ではなく、クラスノヤルスク地方に属している。18世紀にロシアの植民都市として築かれ、この地方の中心都市として栄えてきた。旧市街には古い木造家屋が数多く残っており、素晴らしく太い丸太を使ったしっかりした家も多い。
少し時代が新しくなると太い材木が手に入りにくくなったようだが、それでもしっかりした木造住宅が多い。
古い水塔も上部は木造だが、壊れてきている。
やたらときれいな服の人が街にあふれている。何かの祭日だそうだが、質問してもよく分からない。
川を挟んだアバカンとミヌシンスクを中心とする盆地は、ミヌシンスク盆地と呼ばれ、古代から発展した地方で、数多くの遺跡があることで知られる。そのためか、この街のメインの見どころは博物館となっている。これまでに見て来たのよりも多種多様な石人が展示してある。また鹿石と呼ばれる様々な刻印が彫られた石柱も数多くあった。先住民であるハカス人やトゥバ人についての展示も多く、もうハカスやトゥバでは博物館に行かなくても良いかなと思うほど、色々知ることができた。
この街にもモニュメントは多いが、ユーモラスな形をしたものが多く、おもしろい。
最後に救世主大聖堂を見て、再びミニバスでアバカンに戻る。
メインの市場から少し外れた場所の小さな市場は開いており、野菜や果物と共に、松の実やハーブティー、蜂蜜などを売っているのはアルタイ共和国と同じだ。ここでキノコの瓶詰とスモモを購入。
さらに散歩。ミヌシンスク同様にアバカンでも楽器を演奏するモニュメントが目につく。
ハカス料理を出す店が中々見つからず、ハカス共和国で一番高級なアジアホテルのレストランへ。ここのメニューにハカス料理がいくつか含まれており、メニューにそれを示す印が付いていた。サービスしてくれたウエイトレスはハカス人で、英語も堪能。おかげで色々質問することもできた。彼女は両親にロシア語で育てられたので、ハカス語は得意でないということだった。祖父祖母はハカス語しか話せず、両親はハカス語とロシア語のバイリンガルだそう。ハカス共和国内でもロシア人が主体になってしまって、ここで暮らしていくのにロシア語が必須なのはわかるが、ハカス語がこうして失われていくのかと思うと少し寂しくなる。
注文したのはハカス料理ばかりで、どれも非常においしかった。とくに写真の下部にあるポトフイという料理は、パンや野菜スティックでチーズをすくって食べる料理で、絶品!
ホテルに戻る前にビールを買おうとしたら、9月2日はお酒類売りませんと張り紙がしてある。ロシア語の張り紙を読めない我々が買おうとすると、店の人がいったん書いてあることを説明してくれたが、結局売ってくれたので助かった。
夕方4時頃にアジアホテルでお腹いっぱい食べているので、夕食は市場で買ったキノコとアルタイから運んだ干し魚をつまみにビールを飲み、食後にスモモ。
寝る前に9月2日が何の日か調べたところ、対日戦勝記念日だった。日本はポツダム宣言受諾の8月15日が終戦の日としているが、ロシアなどは日本が降伏文書に調印した9月2日を戦争が終わった日としているのだ。ミヌシンスクで何の記念日か説明をちゃんとしてもらえなかったのは我々が日本人なのを考慮してのことだったのだろう。ホテルをVIPルームに変えてくれたのもこれが関係しているのかもしれない。