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2019 モンゴルからロシア
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モンゴル横断、そしてアルタイ共和国からシベリアへ
22日目 クズル
今日はクズル市105周年の祭りの日。朝から人通りが少なく、市バスを待つ人の数も非常に少ない。11時に国立公園からパレードがスタートと聞いていたので、それに合わせ出掛ける予定だったが、バスを待つ人があまりに人が少なく、車も少ないので様子見する。11時過ぎから街に向かう人の数が、急に増えてきた。これで安心して、我々も街に向かう。満員だったバスの乗客の大半が、祭りのメイン会場である劇場前の広場で下車。
広場はすごく賑わっている。たくさんのブースが出ており、まず一つに立ち寄るが、ヒンズー教の音楽を歌っている。トゥバにもヒンズー教徒がいるのか・・・。
隣のブースの奥にモンゴルの国旗があり、この一角には外国ブースが並んでいることに気づく。その国の産品を紹介し、その国の衣装を着ているが、そのスタッフは皆さんトゥバ人だ。
メインの式典がちょうど始まるところで、その会場に移動する。パレードの先頭も近くまで来て見えている。パレードを待ち受けるように待機している一団はロシア系の人々ばかり。
パレードの先頭は伝統衣装を着たトゥバ人である。
トゥバの伝統衣装は、モンゴルの伝統衣装に似たものばかりでなく、シベリアの狩猟民族に似た伝統衣装もある。
ロシア系の人々とトゥバの人々が、ダンスをを披露した後、何やら交換し、最初の儀式は終了した。
そこからは延々とトゥバ人のパレードが到着する。最初は様々な伝統衣装を着た人々だ。
特異な姿をしているのはシャーマンだ。トゥバはチベット仏教と共にシャーマニズムも根付いている。
モンゴルや清の影響が儀式ばった時に着る衣装には強く反映されている。
パレードの中盤からは、様々な団体が、普段着のままだったり、コックやウエイトレスの制服を着ていたりして、歩いてくる。武術が人気なのか、武術の団体がいくつもあって、彼らは最後に模範演技を見せてくれる。
知り合いを見つけるとポーズをとるなど楽しみながら歩いている。
パレードが終わると演説があり、市歌の斉唱と市旗の掲揚。まるで国家単位の儀式だ。旗をあげているのは男性が市長で女性が市議会議長。
一度メイン会場を離れ、まだ見ていないブースを見て歩く。みなさん思い思いのブースを出していて楽しそう。
メイン会場の舞台で踊りや歌が始まったので、再びそちらに戻って鑑賞する。
広場のあちこちで出し物が始まり、輪が出来てきた。
モンゴルのナーダムでは食べ物は肉の詰まった揚げパンであるホーショールが人気である。トゥバでも同様にホージョール(しの音が濁る)が出るだろうと今日までトゥバのホージョールを食べていなかったが、出していたのは1店だけ。しかも具がジャガイモでがっかりした。
会場に出ている屋台の食べ物屋はあまりおいしくなさそうなうえに混んでいたので、会場外の食堂に行く。同じような考えの人が多いのか、大きな食堂でも大混雑だ。先ほどのリベンジで妻はここでもホージョールを注文した。今度は肉だったが、すごく小さく、あれ? って思う。
クズル滞在の最終日で天気も良いので、初日のどんよりした日に来たアジアの中心のモニュメントを再訪問。晴天の元のモニュメントは、初日とはずいぶん違って美しく見える。
最後に祭り会場に戻るが、もう行事は終了。それでも屋台は出ており、人々は賑わっていた。祭りに満足し、アパートに戻る。
夕食を済ませた21時半頃から花火が打ち上げられだした。会場は遠いがアパートのベランダからでも十分に楽しめる花火大会である。