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2019 サウジアラビア
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自由な旅が解禁になったサウジアラビアへ
11日目 ナジュラン-アムダ-ハラジャ-ハバラ-アブハー-シャバイン-ロジャル
ホテルをチェックアウトし、まずは昨日閉まっていたナジュラン博物館へ。昨日は昼休み時間だったので今日こそ開いているだろうと思って行ったが、改装中であと数か月閉まったままだといわれてしまった。しかし、隣接するウフドード遺跡は開いており、入ることができた。ここは、ナジュランのもっとも古い時代=紀元前600年から紀元300年くらいの交易都市の遺跡だ。広大な敷地に広がり、当時の繁栄がうかがえる。ここは、需要な交易都市だった故に、何度も他国の侵略を受けている。紀元前4世紀にはアレキサンダー大王が、紀元前1世紀にはローマ帝国が、紀元2世紀末にはエチオピアのアクスム王国が、この地を占領したという。度重なる異国の侵入故、要塞化し、高い壁に覆われていた様子が、廃墟となった今も分かる。アラビア半島南部で最初に栄えた、サバア王国時代の碑文や絵が数多く残ることでも知られている。
まだきちんと管理されていない遺跡は広大で、壁の上にも登ることが出来て、予想外にここで時間を使った。
そして、昨日は昼休みで閑散としていたスークにも再訪する。ここにも泥壁の伝統建築がきれいに残っている。
まずは野菜、果物スークへ。店の前で食事していた人に誘われて、一緒にイエメン風の朝食をいただく。ナジュランはサウジアラビア領になってわずか85年、それまでの数千年はイエメン文化圏の地域だった地であり、食事も普通にイエメン料理だ。
スークの店の多さの割に客が少ないのは、賑やかになるのは夕方以降のためのようだ。しかし、昨日と違って店は開いているので、色々と見れて楽しい。イエメン風のものが多く、写真の石鍋はイエメン名物の一つだ。
妻は、ここまで基本的にアバヤとスカーフで旅をしているが、サウジアラビア人は、基本的に顔もかくし、目だけ出ているニカブも着けている。そこまでしている外国人は在住者でもまずいないが、妻が日焼け止め目的で欲しいというので、ここのスークで購入する。
11時頃にようやくナジュランを出発する。市のゲートには、遺跡で見たのと同じ古代文字や絵が描かれていた。
ナジュラン州を走っている間は、伝統家屋が見当たらなかったが、アシール州に入ると再びイエメン風の伝統家屋がポツポツと見られるようになってきた。伝統家屋が密集している場所があるので、立ち寄る。今はもう使われていない住居群で、観光地でもないので、崩れるままになっている。すぐ近くの家のおじさんの許可を取り、建物内に入ってみる。生活していた道具がそのままあり、屋上にも登れるようになっているが、崩れそうな場所もあり、緊張した。
降りてくると、先ほどのおじさんが家に招いてくれて、コーヒーやナツメなどを御馳走してくれた。村の名前はアムダというそう。
女性が中にいたので私は見れなかったが、妻が案内されると、小さな庶民の家に見えたが、中には応接室が複数あったそう。
さらに進むとイエメンへの分岐のある街に着く。モニュメントの鉄砲もイエメンを思い出させるものだ。イエメン側の街サアダは、武器の売買が盛んで、25年ほど前に武器市を見に行ったことがある。この辺りまでがイエメン国境近く、この先でようやく渡航自粛勧告が出ている国境付近を離れることができた。
ハラジャという町でも泥壁の伝統集落が密集しているのが見え、下車して泥壁の集落内を歩く。今も使っている建物が少しあるが、ここもほとんど廃墟だ。
アシール州で知られている代表的な観光地の一つがハバラ集落である。オスマン帝国軍への恐怖から、ロープを使って崖を登らないと外界と繋がらない断崖の中腹に村を作って住んだのだというが、想像以上に急峻な場所で、よくこんなところに家を建てたなと思う。1980年代までここに住んでいたというから驚きだ。今は観光用のロープウェイが季節運航をしており、村の中心だった場所にカフェまで作っているというが、今はロープウェイの休業季節だ。
拡大してみると石積みの家で、ここまで見ていた泥壁とは違うが、これもイエメン風の伝統家屋である。
アシール州の州都アブハーは周回するハイウェイで迂回するつもりだったが、分岐が分かり難く、中心に突っ込んでしまったので、車窓から少し見ることはできた。
アブハーを抜けるのに時間がかかってしまったので、標高3000m近いソウダ山辺りを通過する頃に日は暮れてしまった。日没とともに霧が出てきたが、ここからはきつい下り道だ。慎重に下って行く。
18時半に谷底の町シャバイン到着。まずは夕食をとる。ここでは普通にサウジアラビアの米の上に羊の乗った食事だ。
ジャバインで泊まるつもりで宿を探すが、一軒しか見つからず、それがボロボロの宿なのに、ナジュランの快適宿と同じ値段。半額でも泊まりたくない設備だったので、先のに進むことにした。
トンネルを越え、メイン道路から脇道を下るとロジャルである。ここでも宿を探すが見つからず、観光ポイントのロジャル遺跡村までやってきた。どーんと石組みのイエメン建築群の村が迫り、しかもライトアップされている。
20時を過ぎているがまだ開いており、たくさんの車が停まっていた。サウジの観光地は、午後の昼休みが夕方まである代わりに、夜遅くまで開いていることが多いのを忘れていた。明日のつもりだったが、夜景の素晴らしさに引き込まれ、泊まる場所の当てがまだないのに入場する。ここは五つの要塞の集合体で、古いもので400年前、新しいもので200年前に建てられた石積みのイエメン建築だ。内壁は泥壁で漆喰の上にペインティング、天井には木が使われた非常に高度な建築様式だ。
十分ではないが、外部もライトアップされているので夜でも十分に見ることが出来る。
中に宿のような部屋があり、ここで泊めてくれたら良いのにとつい思ってしまう。
近くにはホテルがないことを博物館にガイドに確認し、宿を探すのは諦めた。明るい時間の写真も撮りたいので、遺跡村の駐車場で車中泊することにする。
22時を過ぎると遺跡村のトイレにも行けなくなり、トイレを探しがてら、ロジャル村を少し歩く。こちらにも石積みの伝統家屋がたくさんあり、廃墟が多いが、今も住んでいる建物も見られた。