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2019 サウジアラビア
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日記»
自由な旅が解禁になったサウジアラビアへ
25日目 ハイル-ウユンアルジャワ-ブライダ-ミドナブ
サウジアラビアで朝食時に開いているレストランの多くは、イエメン料理やシリヤ料理、エジプト料理、レバノン料理などの店である。いずれもサウジアラビア料理といえなくもないが、違うといえば違う。昨夜訪れたサウジアラビアの伝統食を出す店では朝食用のメニューがあり、それが今までの店で見た記憶のない名前のものばかりだった。昨夜も朝食メニューから一つ食べたが、めったにないチャンスなので今朝も同じレストランを訪れた。注文したのは小さなパンケーキのようなもの。メニューの写真では大皿に盛られボリュームたっぷりに見えたが、小さな容器に重なって出て来たので、メニューより少ないなとまず思った。しかし、実際には10枚以上入っており、食べてみると2人で十分な量である。重ねて出て来た方が冷めにくく、最後までおいしく頂けた。
ハイル州を抜け、カスィーム州に入る。ここがサウジアラビア12か所目の州となる。改めて、残る北部国境州にも行きたかったなと思ったが仕方ない。州都ブライダの手前にあるウユンアルジャワという町に奇岩がいくつかある。高速道路からほど近い2か所を訪問した。古い岩絵もあるが、上からアラビア文字で色々書かれているために、良くは見えない。案内板もアラビア語のみで、何が書いてあったのか分からず。
ウユンアルジャワの市街地に入る手前に泥壁の廃墟の様な集落が見えたので立ち寄ってみる。
廃墟に見えたモスクにおじさんがおり、招き入れられた。モスクは半地下にお祈り場所がある。一部崩れているが、今もここでお祈りをしているのだろうか。
モスクを見学した後、おじさんの家に招かれた。先日博物館で見たような囲炉裏のある応接室に通された。囲炉裏の灰を掘ると火の付いた炭が出てくる。今も伝統生活を続けている家があることにびっくりだ。築120年の建物だそう。使っている道具類も博物館にあるものと同じだ。そしてコーヒーやお茶、ナツメなどを御馳走される。
この後、集落内の建物をいくつか案内されるが、崩れて廃屋になっているものが多い。しかし、今も生活している家も見せてもらえた。女性達が不在だったためか、今まで私が見ることの出来なかった女性の部屋なども見せてくれた。普通のキッチンは屋内にあるが、家の屋根の上に鉄鍋をひっくり返したものがある。これが、蒸し料理マンディを作る窯なのだそう。
おじさんの家を辞し、ウユンアルジャワのヘリテージ村に移動する。ここはウユンアルジャワに村が出来た最初の場所で、14世紀の学校などが残されていた場所。人々が新市街に移って廃墟となっていた村を修復し、観光地化しようと工事が進んでいる。入ってすぐの広場や、そこに面するモスク、学校などは修復が終わり、非常にきれいになっている。
しかし、裏通りを歩けば、通りに面した場所だけ修復され、その奥の廃墟がそのまま。さらに奥に行くと通り沿いも廃墟のままだったりする。
修復工事は、日干しレンガを造るところから始める伝統的な工法だが、実際の作業はパキスタンからの出稼ぎ労働者が行っている。
幼い頃はここに住んでいたというサウジ人が工事の監督をしており、彼が色々説明をしてくれ、昼食まで頂いた。
ウユンアルジャワと州都ブライダの中間地点に大きな農園があった。見事に整備されたナツメヤシのプランテーションが延々と続く。世界一大きなナツメヤシ市場やナツメヤシ祭りが開かれるブライダはナツメヤシの都として知られているのだ。
農園の一角に鹿園があり、オリックスがたくさん飼われていた。
夕刻になってブライダに到着。もう少し進みたいので、急ぎ足になってしまったが、モスクの前に車を停めて、スークを散策。
世界一大きいとうナツメヤシ市場にも行くが、時季外れなので閑散としていた。
日没のころにブライダを出発、約1時間走ってミドナブに着いた。ブライダに泊まっても良かったが、最後にまた小さな町に泊まりたいと思って進んだのだ。目星を付けていたホテルではなかったが、良いホテルが見つかったので、ここで連泊したいと思う。
夕食のレストランで、ファミリールームがないので女性は困るといったん断られてしまう。交渉でOKにはなったが、驚いた。確かに女性がオープンなレストランで食べているのを見た記憶はないが、断られたのは初めてだ。