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2019 陸路でミャンマー経由タイからインドへ
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陸路でバンコクからコルカタ+アルナチャルプラデシュ
11日目 カレーミョ→タム→モレ→インパール
カレーミョは第2次世界大戦時の日本軍基地のあった街で、昨日バイクで走ったのと反対側に司令部があった。その建物跡は今も山中に残っているそうで一応場所は事前チェックした。時間が余れば訪問しておこうと思っていたのだが、実際に時間のあった昨日午後はそんな気分にはなれず。そして今日、今から目指すのが当時の日本軍がここから目指したインパールである。
長らく外国人旅行者の通行に制限がかけられていたこのミャンマー・インド国境であるが、昨年8月に戦後初めて完全開放された。そのニュースを見て計画を始めたのが、今回の旅。そしていよいよその国境を越える日となった。新しく開いたルートなので事前情報はあまりなかったが、公共交通機関を使って簡単に行けそうだとの目処でここまで来た。
とはいえバスターミナルの場所さえ調べ切れなかった街だ。まずはと宿の人にバスの有無を確認したところ、即座に電話でミニバス予約をしてくれた。国境行は7時半と9時半と言われたので7時半とお願いしたら、ホテルピックアップは6時半だという。ホテルの朝食が6時半からだからせめて7時にしてとわがままをいうとピックアップは6時45分となり、ホテルの朝食は6時過ぎたら食べ始められるからといわれ、妥協した。
なので、今日は5時半に起きて出発準備を済ませ6時15分くらいから朝食をとる。レストランに行った時点では、まだ食べ物の半分くらいしかまだ並んでいなかったが、すでに食べている人もいた。あるものから食べていると、アツアツの食べ物が順次出てくるので、昨日にもまして美味しく感じる。ビーフケバブが出るなど中身もかなり入れ替わっているのが素晴らしい。結局、今日もまた食べ過ぎだ。
部屋に戻ったのが6時45分くらい。そしてチェックアウト。予想通り、迎えの車は遅れ、7時頃に到着。連れて行かれたバスターミナルはホテルから歩いて行ける場所だった。知っていれば6時半ピックアップと言われた時点で、自分でターミナルに行くと断っていただろう。
ほぼ遅れなく7時半にミニバスは出発。カレーミョ市から出てインタンジー村に入ってすぐにバスは国道を離れ、近道をした。これが日本の司令部を訪れた人の記録と同じ道だったので、場所の目星は付いた。これだけ分かりやすいのなら昨日来ても良かったかな。
走り出して1時間ほどで朝食休憩。さすがに1時間で休まなくてもと思うが、そういう習慣なのだろう。別の会社のミニバスも次々とここで止まっていく。
朝食をお腹いっぱいとってまだ間もないので、食事はせずに近所を散歩。ここまでもたくさんあった木を渡した鉄橋の写真を撮りに行ったり、お寺に入ったりして時間を潰す。
別行動していた妻は色々食べ物を見て、今回のミャンマーで初めて見た粽(写真の手前)を買っている。
ほぼ予定通りの11時半にタム到着。中心部のターミナルで終わりかと思ったが、乗客の目的地まで送ってもらえる乗り合いタクシーのようなもので、街のあちこちを車で運ばれることとなる。
そしてミニバスは国境へ。しかしここは完全開放前の国境で、今は地元民のためのみの国境となっている。思ったほど人の往来はないが、両替商が何人かいいたので、手持ちのミャンマーチャットを全部インドルピーに両替した。
街により近い新国境の近くまでミニバスで送ってもらい、最後は歩いて国境へ。9月にここを通ったフランス人の記録では人の往来もなく、タクシーさえいない国境だったとあった。しかし、今は車やバイクがこの道を次々と走っている。ローカルの人もこちらを通れるようになり、遠回りの古い国境をあまり使わなくなっているのだ。ローカルの人はフリーパスだが、我々はまず国境手前にあったミャンマーイミグレーションで出国手続きをする。緩い国境なので国境に架かる橋も撮影OKが出て、記念撮影。
橋を渡ると右がモレの街に行く道で、左がインド入国手続きをするイミグレーション。事前に知っていたので戸惑わないが、看板はなく、どちらも未舗装路で建物は近くにない。人を居らず、知らずに来たら困るところだ。坂を上ってゲートで軍人のチェックを受けてから丘の上の新しいイミグレーションへ。かわいいマニプール文字で案内が書かれている。
大きな建物にいたのは係官3人だけ。新しいイミグレーションを建てたものの、来る人が少なく、暇を持て余している様子だ。税関のノートを見ると通行しているのは毎日10人いるかいないか。中には銀行や土産物屋の場所はあるが、何一つ運び込まれていない。この設備がフル回転する日は来るのか?
入国手続きが終わると来た道を引き返し、そのまま川沿いに、橋は渡らず直進する。軍の検問を越えるとモレの中心部に入ってくる。インド側もこの辺りはキリスト教信者が多く、教会が目に付く。
バスターミナルに着くも、単なるバス駐車場に見える。バスの修理をしていた人にターミナルの場所を聞いたところ、ここだとの返事。困惑していると日曜日はバスもミニバスも休みだと教えてくれた。
インパールは高級ホテルを予約している。しかも、日程変更不可、キャンセル料100%の予約! 行けないなんて・・・。こうなったらヒッチハイクかなどと思っていたが、乗客が一人だけのタクシーに声をかけられた。値段も良心的でほっとする。チャータータクシーだったのか、客は3人だけですぐに出発。助かったー。
途中のカスタムで大渋滞。国境を越えて運び込まれるものに神経質になっているようで、時間がかかる。
通関待ち乗客目当ての商店が並ぶが、日曜日で全部閉まっている。昼食をとっていないのではらぺこだが、仕方ない。
山越えが終わり、平地に出て来たところでようやく休憩。15時過ぎ、ミャンマー時間だと16時過ぎている。ここでようやく遅い昼食にありつく。
ここからは店は開いており、バスも走っている。マニプル州全体ではなく、クリスチャン多い山間部のみ日曜完全運休をしているのだろう。インパール到着前に戦争メモリアルを通過する。ここはマニプール藩王国と大英帝国で1891年に戦った戦争のメモリアルで、日本人の良く訪れるレッドヒルのメモリアルとは別の場所。
インパールに到着し、先に荷物を降ろすため、車は街の中心部の路地に入っていった。そして停車した場所の裏手が、マニプール藩王の宮殿だった王宮。傷みがひどく、現在は一般公開していない。
王宮のすぐ近くにある Shri Govindjee 寺院も重要な寺院。到着前に2ヶ所も観光出来てラッキーだ。
17時にホテル到着。実は入国前に入手したインドルピーは車代にもならない金額だった。ATMに寄ってもらうことも考えたが高級ホテルなのでATMはなくても両替くらいしてくれるだろうとそのまま到着。まずフロントで事情説明した。
結果は、車代の1500ルピー(約2400円)を貸してくれ、チェックアウト時のカード払いにしてくれることになった。ありがたい。こういうところが安い宿と違うところだ。部屋でひと休みしたら、外はもう真っ暗。それでも人通りは多く、露店でさえたくさんあるのがインドらしいところだ。
疲れていたのでホテル近くで夕食。ミャンマー国境に近いこの地の食事はやはりミャンマーに近い。インドではあまり見ない生野菜のサラダであるシンジュがどこにでもあり、味付けには魚の発酵食品を使っている。
車が良かったにも関わらず、予想よりも移動時間が長くかかった。まだ街を見ていないし、疲れもあるので、1泊の予定を延ばしたい気持ちに駆られ、先々の行程を練りながら眠る。