旅して »
旅紀行 »旅日記 »
2019 陸路でミャンマー経由タイからインドへ
»
日記»
陸路でバンコクからコルカタ+アルナチャルプラデシュ
15日目 グワハティ→ボンディラ
日が変わってもやはりSIMカードは使えないまま。実は期限切れには思い当たる節がある。SIMカードを入れる時にバッテリーを外した時間が長く、時間の設定が初期化され、最初の電波が来た時には1970年に設定されていたのだ。その時に開通し、時間を修正したので開始時刻から30日以上が過ぎたことになり、期限が切れたものと思われる。朝の切符を買っていなければオフィスに行って直してもらうのだが、SIMのために切符のキャンセルをする気にはなれなかった。
5時半に起床し、6時にチェックアウト。6時集合、6時半出発のSUMOに乗るために6時20分頃乗り場に着いたが、まだ乗客は一人も来ていない。車はあって乗り込むことはできたが、何時に出ることやらという感じ。朝食をとろうとターミナル近辺を歩くが、プリくらいしかなく、止めた。予想よりは早く、SUMOは7時過ぎに出発。
街中で客を乗せたりしながら進み、グワハティを出てブラマプトラ川に差し掛かったのは7時半過ぎ。霧で水面がほとんど見えなかったが、本当に太い川だ。
たった1時間半で朝食休憩。2人とも腹具合が良くなく、今日は朝食を抜くことにした。時間が余るので私は付近を散歩。
休憩の直後から、車はメイン道路を外れマイナーな道を走り出した。時には地図にもない道を走るなどし、ブータンとアッサム、アルナーチャルプラデシュが接する地点に最短距離で進んでいる。
ブータンに最接近した時にはブータン側の建物も見えた。写真にある川の中州はブータン領で、この川を越えるとアルナーチャルプラデシュ州である。
アルナーチャル側で車は停まり、運転手は歩いて手続きに戻った。我々はせっかく取得した許可書を見せることもなし。宗教には仏塔があり、チベット文化圏に入ったことを思わせる。
また国境にはワインショップが並んでいる。アルナーチャルプラデシュは酒税がなく、アッサム州よりかなりお酒が安いのだ。
アルナーチャル側の最初の村でまたストップ。宗教付近ではブータンとの国境となっていた川に吊り橋がかかっていたので見に行く。しかし、この辺りは対岸もインドで、対岸のインドの集落に渡るための橋だった。
道路工事が各所で進んでいる。アルナーチャルプラデシュは中国が領有を狙っている紛争の地で、この道は軍用道路にもなっており、拡張が進められているのだ。おかげでここ数年でボンディラまでの所要時間は随分と短くなっている。
13時半頃に昼食休憩。標高はすでに2000メートルを超えている。体調の悪い妻はこの標高でも高山病の症状が出ており、頭が痛いという。仕方ないので私だけネパールやチベット文化圏の麺料理であるトゥクパを注文したが、妻はチャイだけ。
食事をせず、フラフラしていた妻は少し前に通り過ぎた仏塔の写真を撮って来ていた。
売店の店先には乾燥チーズなどをチベット文化圏の食品が並んでおり、ついに来たなーと感じる。
ボンディラ到着は15時過ぎ、これなら頑張って最終目的地のタワンまで直行しても良かったかなと少し思う。昨年旅した人の情報ではグワハティからタワンの直行はなく、途中テズプルかボンディラで宿泊せねばならないとのことだった。グハワティの乗り場でタワン直行を見つけた時は少し心が揺らいだが、大変だろうからとここボンディラで切ったのだ。しかし、ここからタワンへの道は往復せねばならず、タワンから次の目的地であるイタナガルへ行くには、ボンディラかテズプルで1泊となる。ここは帰路に寄れば良い町ということもできるのだ。
妻の体調がかなり悪くなってきたので、宿は一軒目で決めてしまった。新しい宿できれいだが、暖房が小さな電熱器だけで少々心もとない。WIFIがあるというので選んだのもあったが、フロントから一番遠い部屋で、ネット入らず。最小限の事はフロントでしたが、フロントはすごく寒くてまいった。
体調の悪い妻を宿に残し散歩。ボンディラは坂の街だ。よくこんな斜面に街をつくったなと思う。宿はマーケットの近くで、その上と下には住宅が点在している。
バスターミナルに戻り、明日と帰路のトランスポートを確認。いずれも早朝発だが、帰路のイタナガル行きは夕方初の夜行もあるようである。しかし、妻の体調を考えると早朝の移動はしたくなく、切符は買わず。
夕食を取らずに宿に戻ったが、妻は熱まで出していたので、もう一度一人で出て宿の前の店でチョウメン(焼きそば)を食べる。この店では宿のWIFIが受信できたので、食後もチャイを飲みゆっくり調べ物などする。
妻は体調の悪い日に移動してしまって元気な時に街を見たいというが、却下し、明日は休養日にすることを決定。