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2019 陸路でミャンマー経由タイからインドへ

陸路でバンコクからコルカタ+アルナチャルプラデシュ
日記:2019年02月01日(Fri)

23日目 ジロ(シイロ)

 昨夜宿まで送ってくれたおじさんに、朝来るように言われたので、7時半頃から出かける。家の位置はだいたいわかったが、表札等が出ておらず、その中のどの家か分からない。その辺りには何軒かの家が並ぶが、人の声がするのは一軒だけ。仕方ないのでその家で聞いてみることにする。英語はあまり通じなかったが、用件は何とか理解してもらえた。ご主人が食事中で、終わったら送ってあげるということになり、家の中に入れてもらう。ご家族がちょうど薪ストーブを囲んで話をしていたところだ。アパタニ族の暮らし振りが期せずして見ることができ、ラッキー。
19/02/01 11:26:52
 薪ストーブの上にはやかんが置かれお湯が沸いている。その上には肉が干してある。さらに上には薪が積み上げられており、ストーブの熱を非常にうまく利用している。
 壁には色々な道具がかかっている。豚の牙で作ったキーホルダーは普段から使っている様子。
19/02/01 11:33:00
 土産物のように見える大型ナイフも普段から使っているもの。
19/02/01 11:33:28
 キセルがあり、触っていると、こうやるんだよとおじさんがくわえてポーズをとってくれた。
19/02/01 11:34:00
 ストーブの上部横の竹筒には大きな金串。肉などを刺してストーブで焼くのだそうだ。
19/02/01 11:34:40
 お茶まで入れていただき、記念撮影を一緒にした後は、庭の菜園も見せていただく。日本人と話をするのは初めてだそうで、お邪魔したことをすごく喜んでくれたので、我々も非常にうれしく思った。
 先ほどの家から数軒離れた家がホームステイをしているおじさんの家だった。外観がひときわ立派な家で、ホームステイ用に建てたのかなと思う建物だ。ここでもまずは薪ストーブのある建物に通していただく。先ほどの家と共通のものが多い。ご夫婦共に英語が上手なので、色々質問もできるのはありがたい。ストーブの場所は共用の場所で、宿泊は別の建物になっている。シャワーとトイレの付いた個室なので、やはりホームステイ用に建てたのだろう。インドのホームステイは日本の民宿のようなもので、一般家庭への滞在ではなく、暮らしを見せてくれる宿で、ライセンス制になっている。料金も登録した料金があるが、普通の宿と同じで値引きができることも多い。ホームステイの料金が思ったより高いので値引きの可否を聞いたところ、NGO組織が管理しているので、おじさんの一存では決められず、難しいとのこと。ジロは残り3泊の予定で、3泊ともその値段だと残りルピーが厳しいので値段が気になったが、おじさんが明日からグワハティに行くので1泊しかできないとのこと。それなら値段を気にすることもなく、今日はここに泊まることにする。
 朝食を出していただけることになり、しばらくストーブに当たりながらのんびり。先ほどの家では肉の置いてあった場所に葉っぱで包んだ円盤形のものが置いてある。植物の灰から作る塩だそう。そのような塩の作り方が存在するのは知っていたが、普通に安価な塩の買える場所でこんな文化が残っていることにはびっくりだ。
19/02/01 12:26:28
 朝食にはオムレツとトースト、自家製キウイジャムや紅茶などを出していただく。アパタニ族は伝統的にはお茶を飲まず、お湯を飲んでいたそうで、この時もおじさんはお湯を飲んでいた。
19/02/01 12:45:24
 蛇口のところに浄水器がつけてあり、生水でも飲んで大丈夫そう。
19/02/01 13:01:44
 昼過ぎにホームステイに戻ることにし、そのまま村の散歩をする。途中で会ったおばさんは刺青はしていたがノーズプラグはしていない。よく見ると鼻に穴の跡はあるので、長い間プラグをせずにいて穴が小さくなっているものと思われる。
19/02/01 13:26:52
 ノーズプラグの習慣について西遊旅行社のウェブサイトには次のようにある。「アパタニ族の女性があまりにもキレイな為、近隣の部族にさらわれる事が多く、そうした事を防ぐためにあえて顔を醜く見せるために施されたものだと言われています。 このノーズプラグの習慣は最近では徐々に消えつつある習慣なので、ある一定年齢の年配の方にしか見られません。」
 ジロを訪れた人の旅行記を見ても基本的に上記のように書いてあるが、ホームステイのおじさんは明確にこの説を否定し、俗説がインターネットで蔓延していると嘆いていた。おじさんから聞いたアパタニ族の言い伝えは、「昔、もてずに中々結婚できなかった女の子がいた。ある時、入れ墨をし、ノーズプラグをすれば良いよと精霊から教えてもらい、実行したところ、もてて幸せな結婚ができた。それで他の女の子たちも真似をするようになった。」という話である。つまりは醜く見せるためではなく、かわいく見せるためにしたことだという。
 また習慣が徐々になくなったのではなく、1970年代にある組織(名前もどういう組織かも説明してくれたが詳細は良く理解できなかった)が行政と協力し、良くない習慣だからと強力に止めたのだそう。それまでは10数歳になったら女の子は皆していたという。年上の女の子たちが鼻に穴をあけたり、入れ墨をするときに痛みで泣き叫んでいたことをホームステイのおじさんは覚えているという。おじさんの歳や70年代に10代ということから、ノーズプラグをしている人は若くても50代ということになる。
 シイロ村にはもう一軒ホームステイがあり、こちらは看板も出していた。残り2泊することになるかもしれず、訪れてみた。庭先ではノーズプラグに入れ墨の女性が、キャベツの葉を細かくする作業をしている。乾燥野菜にでもするのかと思ったら、塩にするのだという。完全に乾かした後、灰になるまで熱を加え、それを水に溶かして、ろ過する。その溶液から水分を飛ばして塩を作るというのだから、実に大変な作業だ。
19/02/01 13:49:06
 ここでも室内には薪ストーブ。ストーブの上には先ほどのキャベツを乾かしたものの他に、ミカンの皮も乾燥させている。これも塩用。食べられる野菜や果実などなら何でも塩が作れるそう。この家でも安い食塩は購入し使っているが、伝統的な塩は味が違うので大変でも続けているという。
19/02/01 14:00:28
 隣のテーブルではこの家の姉弟が、ケーキ作りをして楽しんでいた。お姉さんは英語も上手で、普通の現代っ子に見える。伝統的な塩づくりとのギャップには戸惑いを覚えるほど。
19/02/01 14:08:16
 いったん宿に戻り、チェックアウト。荷物を持ってホームステイに行く途中で、村で唯一の食堂で昼食をとる。
 ホームステイにチェックインし、個室でひと休み。昼食は済ませていたが、出していただけることになり、ポークライスを頂いた。ヒンズー教徒もイスラム教徒も豚肉は食べないのでインドで豚肉を食べられる場所は少ないが、東北インドでは豚肉を食べる民族が多く、ありがたい。
19/02/01 16:20:24
 おじさんが車で町に買い物に出るというので妻がついて行った。私はしばらく部屋でのんびり。日記を書いたり、ジロでの残り2泊をどこに泊まるかなどを考えたりして過ごした。
 ここのおばあさんもノーズプラグをしているが、体調が思わしくないようで、あまり話はできなかった。
19/02/01 21:25:28
 夜になって、再び薪ストーブの周りに皆で集まり、色々話を聞く。この家では大量の燻製豚肉を天井から吊るしたストック場所に保管している。そこから塊を一つ取り出して、ストーブの炎の中で炙る。
19/02/01 21:40:16
 庭の竹を切ってきて、筒の中にチキンと卵と塩を入れる。薪ストーブの蓋を開け、竹筒を直接火にかける竹筒クッキングだ。
19/02/01 22:21:12
 一方、キッチンではママがローカルビールを用意してくれている。
19/02/01 22:34:20
 酒器は竹で作ったカップ。おつまみは竹筒料理の鶏卵に、伝統製法の塩。塩は独特の味があり、塩をなめて酒を飲むと酒の味が変わっておもしろい。
19/02/01 22:43:22
 炙った豚肉は洗って半分がつまみに、残り半分は野菜と一緒に煮込まれている。
19/02/01 22:57:08
 妻は料理の作り方を教えてもらったり、今日は使っていない調味料を見せてもらったりしている。私は酒を飲みながら竹細工を教えてもらった。
19/02/01 23:16:56
 夕食は茹で野菜や豚肉の煮物、鶏卵などで、非常においしい伝統食だ。煮物にはナガランドで仕入れて来たという乾燥竹の子も入っていた。
19/02/01 23:41:06
 よく見ると家じゅうに竹が使われている。様々な細工や工夫がおもしろく、日本に帰ったら家にあるたけをもっと有効利用しようと思った。熱心に見ていたらまた竹を切ってきて、トングをいくつも作ってくれて、お土産にくれた。
19/02/02 00:13:14
 あまりに盛りだくさんの一日で、疲労困憊。お酒をたくさん飲んだこともあり、この日はシャワーも浴びずに寝てしまった。
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