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 ボリビアからチリへ、国境を越えて 
(US$から両替したら、1ボリ=13.5円でした)
(US$から両替したら、1ペソ=0.19円でした)
(標高や湖の名前は、ガイド兼ドライバーの説明に準じています)



昨日はアンデス越えの第一を終え、宿営地である
ラグーナ・コロラダに宿泊。
ここは標高4300m

朝起きると「痛い、痛い、痛い、痛い・・・」頭痛ボルテージは昨日の
サンファンの朝以上(><)


朝5:15に起こされ、朝食をとらずに5:45に出発します。



あまりの寒さに、寝ている間は氷点下何度まで部屋が冷え切ったのかすら想像もつきません。

ただ、ベッド脇に置いておいた、2L入りの水のペットボトルは、

中身のすべてがガチガチに凍っていました。



そ・・・・そんな寒い中だったとは・・・・


実際に寒くて眠れないときよりも、
朝起きて水の凍結っぷりを見たときの方が、怖かったなぁ。。。



*

5:45、外はまだ真っ暗です。

真っ暗ということは満天の星が出ています。


そんな中、荷物をまとめ、冷え切った車にみんなで震えながら乗り、
私たちは第二のアンデス越えへ向かいます。



ドライバーが、スペイン語で言う標高を、同乗している旅仲間のアドレイが英語で教えてくれます。


「今、高度4900m」



「今、高度5000mになったわ」



・・・この、ドライバーのcincocinco(5の意)という声と、
アドレイのfive thousandsという声を聞いたとき、
私は強い身震いがしました。
そして手元のアネロイド高度計は、メーターを振り切りました。
怖い世界だ、と、思いました。

アドレイは継続して標高を教えてくれます。




「ここは、高度5300mよ」






「今、高度5400m!」







あまりの勢いで高度が上がってしまいました。

そして、この地点が、
私の人生最高地点でもありますす。








こ こ は 地 獄 ?



標高5400m

硫黄くさい、アンデスの尖ったところ
ぼこぼこ沸き立つ底なし沼、大瀑布が横たわったかのように轟音と共に土砂のような蒸気を吐き出す大地
・・・大瀑布が横たわる、つまり、横殴りの強烈な風が常に吹きすさぶ、
その風は、半端じゃなく冷たい・・・

私は、あまりの寒さに、ちゃんと映像を撮ることもできませんでした。
意識もややもうろうとしてしまっていました。

地球の殻からこんなに離れたところなのに、
こんなに地球の息吹がけたたましく鳴り響く。


ああ、ここは、地獄の形相をした楽園…

意識がやや遠のきそうな中で、ただ1つ、そういう表現を思っていました。



*


アンデス越えを終えると、もちろん標高は少しずつ下がっていきます。
日の出も終えてすっかり明るくなり、

8:20、
ラグーナ・ブランカ(白い湖の意)に到着しました。

標高4400m

ここ
ラグーナ・ブランカでは天然の温泉が沸いています。


もちろんここは今回の旅の待望の場所♪
早速水着もどきに着替えて、人生最高所の温泉に入りましょう♪



後ろの湖は、スケートリンクのように凍っているのが分かるでしょうか。
さらに後ろに広がるアンデスの山々!!!

あーー、なんて絶景なのでしょう(*^-^*)



これは大好きな写真の1つです。



辛い、厳しい、過酷なボリビアの旅ももうすぐ終わり。
だってここはチリとの国境の目の前なんだもの。
この風景は、私に、最後のアンデスの美しさを見せてくれているかのようでした。

・・・ありがとう・・・
温泉の中で、私はこの旅を支えてくれたアンデスの山々に、ずっと御礼を言っていました。






温泉からあがったらここで朝食を摂り、9:36、
ラグーナ・ブランカを出発しました。



*

9:44、
ラグーナ・ヴェルデ(緑の湖の意)に到着しました。




水が翡翠の色に近いんです。
余計なものがない、そんな美しいところでした。


ラグーナ・ヴェルデを出発して10分走ったところ、




そこがチリとの国境。




・・・今回の旅の目的の1つは、
今まで経験したことのない「陸路国境越え」をすることでした。

別に、終わってみたら何てことないって感じなのですけれど、
初めての憧れの体験がもう目の前。

わくわくしましたねー、ほんと。その気分は今でもはっきりと覚えています。


*

国境ラインには、小さな掘っ立て小屋のようなオフィスが立っていました。


まず、ボリビア側の車から荷物を降ろし、チリ側の車にその荷物を積み、
そして、パスポートにスタンプを押してもらいます。


私はそのままチリへ入国しますが、
今回一緒だった20名ほどの旅人のほとんどは、ウユニに戻る行程です。




私は、ウユニから3日間ずっと同じ車の空気を吸い、同じものを感じてきた同じ車の仲間達全員と
お互い「ありがとうありがとう」を涙声で言いながら抱き合って、
そうして、チリ側の車に乗り込みました。



* * *

Dear my friends.
I never forget you though I think that the possibility that you see this homepage is very low.
However, I want to meet you again by chance somewhere in the world.
Please keep traveling.
And I think I just keep traveling as you taught.

I want to meet you again by chance somewhere in the world, so I hope to realize this dream.

Thank you.

Azusa

* * *




チリに入国すると、すぐにアスファルトの道路に出ました。
手元の高度計も、3000m、2500mと、どんどん高度を下げていきます。

チリに入った最初の街は
サン・ペドロ・デ・アタカマという街。
入国審査を受けて、まずホテルに向かいました。

標高2500m


*

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ホテルについてすぐにやったことが、チリから帰国できるかどうかの確認と手続き。
ボリビアで首絞め強盗に遭って、ボリビアでパスポート再発給を受けるとき、大使館職員に、
「ボリビアで発行したパスポートでは、帰りのアメリカトランジットができない可能性があります」
と言われていました。

ボリビア発行のパスポートは、台紙に写真を貼っただけの、機械読み取り式でない旅券です。
2005年5月1日が発行日です。

私が持っているアメリカン航空の帰路チケットは、
2005年5月6日にチリのサンチアゴを出て、アメリカのダラスを経由して成田に戻るものです。

アメリカは例のテロ事件を受け、アメリカへの入国制限を一層厳しくしています。

当時アメリカ政府から出ていた声明では、
機械読み取り式でないパスポート所有者は、2005年4月25日までなら1度に限りアメリカに入国できるが、
4月26日以降はアメリカ入国ができないということにしておき、
4月25日を過ぎたらまた正式回答をあらわす。
というものでした。

今日は2005年5月4日

そう、私のパスポートでは、現時点ではアメリカでのトランジットが無理なのです。


ただ、アメリカ政府はその4月25日を過ぎたのに、
今後の対策をどうするかといった正式表明を出しておらず、

果たして5月6日の出国は可能なのかどうか、いち早く調べなければなりません。

まず電話した先は、チリの首都サンチアゴにある日本大使館です。その回答では
「2005年5月25日あたりから、機械読み取り式でないパスポートはすべて米国ビザが必要になります」
「現時点では米国からの新規表明がないので、多分出国できると思います」

そして電話を切るとき、旅行会社、航空会社、他国大使館、米国本土などに、
いろいろと問い合わせをしてくださるという大変に有難い言葉をいただきました。

次に電話した先が、チリ側のエージェント(旅行会社)です。その回答は、
「トランジットできるかどうかはイミグレで良い人に当たるかどうかで、結局は運ですから何とも言えません」
「米国経由でないチケットを買えば問題ないはずです。パリかトロント経由、1人2500USドルです」

次に電話した先が、サンチアゴにあるアメリカン航空窓口です。その回答は、
「機械読み取り式でないパスポートでは米国トランジットできなくなりますが、多分もうちょっと先のことです」

次に電話した先が、米国ワシントンにある日本大使館です。その回答は、
「現時点では、政府は何も言っていませんから、その旅券でも米国に入国できるはずと思うのですが」
「盗難証明書をお持ちなのだから、多分入国できると思いますが」

次に電話した先が、ボリビアにある日本大使館です。その回答は、
「米国政府の回答では、1回だけならトランジット可能なのですが、でもそれって多分期限すぎてるはずです」
「今のままだと米国トランジットできないと思いますが、サンチアゴで米国ビザを取れば問題ないはずです」

もう一度サンチアゴの日本大使館に連絡しました。そしたら
「サンチアゴで米国ビザを取得すれば問題なく入国できます。1ヶ月待ちですが。」



だーーーーーーーーーー(▼▼)!!


なんなんだよーーーーーー(号泣)



みんな寄ってたかって(TT)
多分」だの「はず」だの「」だの「あたり」だの「思う」だの!!


国際的なルールに基づいた規約なんじゃないのか!?

・・・と思う気持ちも、「でもアメリカのことだから」って思うことにして沈める努力をしました。

とりあえず各所からの回答待ち、という、煮え切らない状態の中、
アタカマの街散策に出て、ついでにチリの通貨「ペソ」を両替することにしました。



しかし、私は本当に帰国できるのでしょうか。






*

今この旅行記を書いている時点では、お笑い話のような要素も感じられてしまうのですが、
実際ね、サンチアゴからいざダラスに行って、
でもイミグレで跳ね返されて不法入国未遂でチリに強制送還されるときのことを考えたら、
気持ちはいてもたってもいられないのですよ。


またここアタカマは、首絞め強盗に遭ったラパス以来の、町歩きです。
また旅仲間アドレイが言っていた言葉「デンジャー、オール、サウスアメリカ!」というセリフもあって、
道を歩く人が、みんな悪い人に見えてしまいました。

歩行者に近寄れず、
人を見ると怯えて、
実際はとっても良いのどかな街なのに、
私はアタカマの街をほとんど楽しめませんでした(><。


怖くて怖くてカメラも持ち歩けませんでした。
(かろうじてデジカムだけ。。。)

だから、こんなに良いのどかな街なのに、写真がないんです。
それは大変心残りなことです。


*


ここ
アタカマは、砂っぽい、砂漠のオアシス都市を少しだけ連想してしまうような、気温も暑い街です。



左:私が泊まった「La Casa de Don Tomas」、新しくて良いところ♪
中:
アタカマの街のメインストリートの1つ。この素朴さは大好き。
右:今朝の凍える思いはどこへ?という暑さで、アイスクリーム屋に入りました。
(2人分で1000ペソ(190円))


晩ごはんは、ホテルのフロントで「アタカマで美味しいお店」をリクエストして教えてもらった
PURO CHILE」に入りました。



厨房の写真。

マスターの手の下が、鶏と丸ごとじゃがいも、インゲン、タマネギ、ニンジン、コメを煮込んだ「ソパデポジョ
その隣が、小麦粉を練ってチーズを包んで揚げた「ケソエンパニャーダ
その奥が、肉をどかんと焼いています。ポテトと目玉焼きが付け合せになって「ロモアラポブレ

あとはクリスタルビール。

美味しい美味しい美味しいお料理で、大満足でした♪♪10200ペソ(1938円)
(カメラがないので写真がないのが心残り)



*

そのあとでホテルに戻りました。
1日で高度を2000m以上一気に下げたので、
足がぱんぱんにむくんでしゃがめないほど。
とにかく体の違和感を感じていました。




*

次の日の朝、起床したら心拍数78でした。
ああ、やっとまともな心拍数に戻りました。


そして手配しておいた車で
カラマまで送ってもらい、
カラマからランチリ航空でサンチアゴに飛び、
いよいよ今回の旅の最後の都市
サンチアゴで、楽しい三昧で旅を締めくくります!!
(とかいいつつ、絶対、米国入国がらみでドタバタするのは見え見えなのだが…)






*




写真は、カラマから乗った飛行機から見た、険しきアンデス山脈です。

「私はこれを越えてきたんだ・・・(涙)」

フライトの間、ずっとずっと、私は、私の夢を叶えてくれたアンデスの山を
感慨深く見つめていたのでした。





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