2人の世界旅 日々の記録

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アフガニスタン>2011年06月29日(Wed)
★ホーローグ→イシュコシム国境(タジキスタン側)→イシュコシム国境→イシュコシム
:: 旅1509日め : 世界旅227ヶ国め : 和人245ヶ国め : あづさ232ヶ国め ::

■世界旅最終ステージアジア
朝アフガニスタンビザを受け取った。そして乗り合いのランクルに乗り、国境を目指す。アフガニスタンの最寄りのイシュコシム(タジキスタン側)の町の5km手前に、「アフガニスタンへ渡る国境の橋」がある。幸いその褐色の金属の橋は遠目からも分かりやすかった。運転手に「アフガニスタン(へ行くからここで降ります)」と言って、下車。

橋には鉄格子の扉。バラ線ががんじがらめに張り付き、軍人が2人、銃を持って立っている。ここはまだタジキスタン側であるのに、その重々しい雰囲気、重苦しい空気は、アフガニスタンへ入る扉には、相応しいものだった。

国境イミグレーションと、同時にこの橋の重苦しい扉は、午後2時まで開かないそうだ。迂闊なことをすると出国拒否/入国拒否にもなり兼ねない空気なので、そのまま大人しく待っていた。カメラも一切出していない。

2時を過ぎてやっとアフガニスタンへの扉が開いた。タジキスタンを出国し、国境間はものの数十m、すぐにアフガニスタン側イミグレーションに到着。入国手続きはスムースだったが、なかなか色男の青年が保冷容器を持って「ポリオワクチン受けて下さい」と言ってきた。

「ちちちち、ちょっとまって! 私たち日本人、ハイジーンの国!ね? 大丈夫、ポリオワクチンもうやってるから!!!」・・・慌てて拒否(苦笑) 急性灰白髄炎という疾患を予防するために「ヒトが健康なときに弱ったウイルスを飲ませて腸の抵抗力を引き出す」というワクチンなのだけど、たまに弱ったウイルスに負けちゃうヒトが出てくるんです。つまりワクチンで発症するリスクがある。そんなワクチン絶対やだ! と思ったので、無事に、未接種でも入国させてもらえて良かったです。

なお、この「色男」くんは、今後あづさとちょくちょく遭遇し、アフガニスタンの旅の重要人物となっていくので、便宜的に彼のことを「ポリオくん」と呼ぶことにします(名前を知らなかったので滞在中もそう呼んでいました)。


さあ、無事に、アフガニスタンに入国した!
実に、2人の世界旅227ヶ国目の、大舞台!

・・・でも、ここに何があるのかは、まったく分かりません。そもそもこのイシュコシム国境を入国地点に選んだのは、まず第一に「安全なアフガニスタン」であること。現在では反政府勢力となっているタリバンの活動範囲は主に南部~東部で、近年までは北部はまだ安全だと言われていました。なのにごく近年より、マザリシャリフなどの北部ですら治安が悪くなっていて、それゆえ、もう今はウズベキスタンから入国することは危険度が高すぎて無理です。クンドゥースも今は危なすぎます。そうなるとここ、「今まで一度も悪い事件の起こったことがない」「そして多分今後も起こりようがない」、イシュコシムしか、安全に入れるアフガニスタンがないのです。

ちなみに、イシュコシムは「ワハン回廊」へのトレッキングツアーで欧米人に人気を博する安全なところ。安全だから、欧米人向けのツアーがバンバン出ています(日本では外務省がアフガニスタンの渡航情報地図を全土全域真っ赤っかにしているのでツアーを催行する会社はありません)。イシュコシムはワハンではなくあくまでイシュコシムという地域名ですが、ワハン同様に安全なところとみなされています。


ここを入国地点に選んだ理由は、100%安全性だけしか考えていなかった。あ、でも、一応文化的なことは考えたつもりです。多民族国家アフガニスタンでは、イランと同じ系統の民族もいれば、モンゴル系民族(ハザラ)もウズベク人もいる。でもね、正直、「せっかくアフガニスタンに来たのにそこがウズベク人やモンゴル人の町だったら」と考えると、ちょっとつまらないじゃない? ペルシャ文化圏とされるアフガニスタンまで苦労してやってきたのに、それじゃあつまんないなー、と。でも、ここイシュコシムが、幸いにも、あづさの希望する「ペルシャ文化圏」であったわけです。だから入国に快く踏み込め、準備を前向きに進めることができたのです。

なお日本人バックパッカーがここに入った記録がインターネットでは1つも出てこなかった。だから、「イシュコシム」という町に何があるのかはまったく分からない。ひょっとしたら何にもない、ポツンポツンと民家があるだけの、町にすらなっていないところなのかもしれない・・・。

そんな不安もあり、私たちは、国境から数kmはなれた町(地図上は点がうってあるところ)まで歩く気でいました。何もないかもしれないから、せめて途中の光景もちゃんと見ておきたかった。


国境から歩き始めてすぐ、廃車となった戦車。
ここは、世界有数の、紛争国ですから。

途中後ろから来た車が1台止まってくれ、私たちを乗せてくれた。この優しさもアフガニスタン人の特徴である。そうして20分車に乗り・・・


 「店だ!!!!」

目を見開いて喜んだ!!! 声を最初に出したのは和人だった。
木の小屋が立ち並ぶ、バザールが目に飛び込んできたのです!!!!



その想いは、まるで不思議の国のアリスのようだった。
「Down down down... Alice went down a big hole. At last, she came to a strange country. She came to wonderland!」

中学のとき、教科書「THE NEW CROWN」を丸暗記した。だから今も覚えているフレーズ。

私は、イシュコシムへの道に吸い込まれ、ついに、異世界に来た、魅惑の世界に来たのだ。


男性は伝統的なアフガン服を着ている!
女性は全面顔も姿も隠す青い(時々白い)かぶり布「チョードリー」を着ている!
ああイスラムだ・・・

来たよ!!「アフガニスタン・イスラム共和国」!!

アフガニスタン


心配などまったくする必要なかった。
賑やかな中心通りさえ未舗装の道で、途上国たる「秘境の魅力」がありますし、連なる小屋には様々な店が入り、衣料品、食糧、日用品が売られ、そして食事どころもある。男性の伝統衣装が素敵。女性の伝統衣装は、旅人の心をくすぐって仕方ないくらいエキゾチック!! 勿論赤い色で埋め尽くされるじゅうたん屋もある。ここはペルシャ文化圏、アフガニスタンなのだから。

「旅をするなら、首都・都会よりも、地方・田舎のほうがいい」というのはあづさも和人も概ね共通意見。だから、ちょっと国境を越えただけなのに、和人も「アフガニスタンだ」と何度も口にするほど、アフガン度が高く、田舎の良さが溢れていて本当に嬉しい。「タジキスタンとの国境に近いから、物資などタジクに依存していて、アフガンらしい文化があまりないのではないか」という心配も無用。タジク度0%です。ハイザバード(もう少し内部に進んだところ)からのトラックが数台見かけられましたから、物資はアフガン中央から運ばれています。

食糧などがそうして運ばれているということは・・・

正解♪ 食堂の食事も、宿の食事も、典型的なアフガニスタン料理♪
遅い昼食をとったら、魅惑的な「ワンダーランド」たるバザールに後ろ髪を引かれながら、宿探しのために中心部を離れたのでした。


宿は民家街にありました。こうして今日は、バザールのある商業地区も民家街も観光できたのです。



「アフガニスタンに行く」とは穏やかな言葉には聞こえないかもしれません。

でも、アフリカを離れたあと、東アジアや中央アジアを旅する中で、一番治安の良さを感じたのは皮肉にもここアフガニスタンでした。
本日の旅
行動 :ホーローグからイシュコシムへ移動、タジキスタン出国、アフガニスタン入国
朝食 :ノン(薄いパン)、コーヒー/宿
昼食 :マントゥ(大きな蒸し牛肉シュウマイ)、チャカー(ヨーグルト)、ボロニ(じゃがいも入り薄焼きパン)、チョイ(緑茶)、チップス(フライドポテト)/イシュコシムの食堂
夕食 :サブズィ(生野菜盛り合わせ)、コカコーラ、パロウ(トマト油ピラフ)、オシュ(パスタ入りトマトスープ)、グーシュトゥ(チキントマト煮)、ノン、タルブーズ(スイカ)/宿
宿泊 :パミールマルコポーロゲストハウスPamir Marcopolo Guest House
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旅情報
1タジキスタンソモニ=19.4円
1アフガニスタンアフガニー=2円

*イシュコシムでの両替
銀行、ATM、両替所などはない。バザールの商店(衣料品店)でUSドルからアフガニーへの両替をしてもらった。