2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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アンゴラ>2008年05月10日(Sat)
ルアンダ→ベンゲラ
:: 旅366日め : 世界旅62ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ83ヶ国め ::

■アンゴラ国内移動開始
時間や、気持ちや、旅のしにくさや、様々な要素が戦いとなるアンゴラの旅が、とうとう始まります。

空港の床は、寝心地が良くありません(当たり前ですネ)。仮眠を取ろうとは思うのですが、ここルアンダLuandaは異様に蚊が多く、実際はほとんど眠れませんでした。

朝になり、あづさが空港職員に他都市への移動方法を聞きに行きました。アンゴラはポルトガル語が公用語なので、会話は本当に不便です。なんとか教わって分かったことは、ベンゲラBenguela行きバス乗り場は空港からやや離れた場所にあるということと、その位置でした。教えてくれた空港職員のおじさんはバス乗り場までの交通費(2人100クワンザ)をあづさにプレゼントしてくれた上、「ベンゲラ行きバス乗り場まで案内してください」という内容をポルトガル語で書いてくれた紙を持たせてくれ、困ったときには地元の人にその紙を見せるだけで、私たちがベンゲラ行きバスに無事に乗れるようにと、配慮をしてくれたんです。嬉しいな・・・。そのおかげで、私たちはスムースにベンゲラの移動を開始することができました。しかし言い換えれば、アンゴラからの具体的な移動方法がまとまらないまま、私たちは南部へ向けて陸路での移動を始めてしまったのです。

アンゴラは、2002年に内戦締結を迎えるまで、およそ30年にもわたり戦争を続けてきた国です。内戦の背景には2つの政府があり、かたやソ連支援、かたや米国支援というのですから、アンゴラ内でまるで激しい米ソ冷戦が繰り広げられ・・・その結果、いまや(首都ルアンダはかなり整備されてきたものの、ルアンダを出ると)国中至る所が、地雷地帯。

そんな心配をよそに、ルアンダから南下する車窓風景は、様々な光景が移り変わっていきました。何色もの緑色がひしめく風景は、今は秋なのにまるで春先の新緑風景のようです。かやぶき屋根の集まる村の風景は、石油やダイヤモンドが採れるアンゴラのイメージとミスマッチで、今までのアフリカの旅と共通する光景でした。ブロック塀の家は、何故だろう、丘の上に密集しています。ひょっとして庶民(ないし貧民)は低地に住むことができないのだろうか、もしくは長い内戦にこうして戦火から逃れていたのだろうかと思ってしまうほど。

昨日ほとんど寝ていないので、バス移動の間は、うたたねをすることもありましたが、それでもぐっと頑張って、なるべく起きていようと頑張っていました。5日間有効の短いビザしかないから、できる限りアンゴラの国土や人々を見ていたかった。だから、起きている間は、ずっと外を見ていました。

アンゴラは、“アフリカの様々な国を旅したい”と願うあづさにとって行きたい国の筆頭格。そして今見ているものが、長く憧れてきた大地であるかと思うと、睡眠不足でもカメラを持つ手は興奮がやみません。

外を見ていて、ごく数人ですが、足を失った人をみかけました。内戦の影響でしょうか、それとも戦後の地雷のせいでしょうか・・・。その人が頑張って前に進む姿を見ると、心が、痛い。でも私も頑張ろうと不思議に励まされる。

■中部都市ベンゲラ
今日の目的地ベンゲラに到着したのは夕方です。ここはルアンダ、フアンボHuamboに続くアンゴラ第三の大都市です。しかし廃墟のあまりの多さ、目に入る余りに多い戦禍に、愕然としました。荒れた光景が第一印象だったため、バスから降りるときは正直怖かった。戦いの舞台であったことが、壊れた看板、弾痕だらけの壁、崩れた壁や屋根、舗装がはがされた道からも伺え、なんだか来てはならないところに来てしまったとさえ思えるところでした。

ベンゲラの町

少し離れたところの宿でテントを張り、再びベンゲラの街に戻って街歩きをしました。街外れのごみごみしたメルカド(市場)からATMつき銀行を探した市街地中心部付近まで、いろいろと歩きました。市街中心部はかなり再建がなされたようで、新築のビルディングが並び、公園や信号も整備されていました。

ここベンゲラでは、宿を探すのも、食事を摂る場所を探すのも、苦労しました。物価は「異様」という言葉を敢えて付けたいほど高い。

でも、人は優しかった。

5km離れたところの宿の行き方を尋ねたおじさんは、仕事中にもかかわらず車で私たちを宿まで送ってくれた。街中に立っているガードマンは皆優しく、タクシーに乗りたいと探していたら近くの子供は走ってタクシーを呼びに行ってくれ、私たちが乗車したら笑顔で外からドアを閉めてくれた。宿へ向かって歩いていたら車で巡回する警官が宿まで送ってくれた。

戦争が終わって幾許(いくばく)も無いその街は、確かに見るに悲惨な光景も残していました。でも、戦争で苦しんだ後の人々は、戦争が終わったことを喜び、苦しんだ後だからこそ一層優しさを増しているようでもありました。

彼らの優しさを思い出し、その彼らが数年前まで地獄の戦渦の中で生きてきたのだと思うと、私たちは彼らほどの苦痛を味わったことがないだけに、何も言えなくなる・・・。



私たちが持つアンゴラビザは、5日間のトランジットビザ。

本日、2日目終了。
本日の旅
行動 :ルアンダからベンゲラへ移動
朝食 :パン、バーカ(牛肉炭火焼きを裂いたものにオニオンフライドポテトを混ぜる)/バス移動の途中で立ち寄った村
昼食 :なし(移動していた)
夕食 :Garoupa na cozida c/ batata cozida(ガルーパナコジーダコンバタタコジーダ、白身魚の大きな切り身のスチームに、丸じゃがにんじんでかキャベツのスチームと生にんにくを添えたもの)、パン、ビール/ベンゲラのレストラン
宿泊 :アカンパメントデピオネイロシュAcampamento de pioneiros

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旅情報
1クワンザ=1.4円

*ルアンダからベンゲラへの移動
ルアンダ市内では乗り合いバスなどを使って「ロシャピント」まで行く。ここからバスが出る。1人2500クワンザ、所要8時間。