2人の世界旅 日々の記録

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ウズベキスタン>2011年06月18日(Sat)
★サマルカンド
:: 旅1498日め : 世界旅225ヶ国め : 和人245ヶ国め : あづさ230ヶ国め ::

■シルクロードの巨大交易都市
パミール高原の雪どけ水はザラフシャン川に注ぎ、その水はサマルカンドというオアシス都市を作った。紀元前5世紀の記録にはすでにサマルカンドが登場する、ここは中央アジアの最も古い人類定住地、「古代コスモポリタン」の1つであった。

シルクロードの重要交易地として繁栄し、インド、ペルシャ、中国など多方面から人が訪れる。6世紀から13世紀にかけては今よりも人口が多く、西トゥルク(トルコ系)、アラブ、ペルシャ、モンゴルなど、多民族性を見せていた。

1220年、モンゴルのチンギス・ハーンの侵攻でサマルカンドは破壊され、1370年、チンギス・ハーンの末裔であるティムール王朝は中央アジア各国を征服して大帝国を築いた。サマルカンドはティムール帝国の首都であり、レギスタン広場とこれを囲む美しい3つの神学校(マドラッサ)が造られた。

16世紀にウズベク・ハン国に滅ぼされ、都はブハラに移された。
さらに18世紀の大地震で、サマルカンドは無人の地となったのだ。



今いる、サマルカンドは、そんなところです。レギスタン広場のすぐ近くの宿に泊まっており、今まさに、かつての繁栄の跡地に自分が来ているのだなと、嬉しくなります。

朝からよい天気で、素晴らしい観光ができました。もちろんお目当ては、レギスタン広場を取り囲む3つの美しいイスラム神学校。「青の都」と称えられる美しいブルータイルの数々も目にすることができました。・・・期待では、もっと「青青」していると思ったんだけどな。写真や映像で、青い部分ばかり見せられてきて、事前の期待が膨らみすぎていたようです(^^ゞ

ウズベキスタン

でも、本当にここに来て良かった。世界遺産名は「サマルカンド文化交差路」。中央アジアの屈指の観光地だけあり、その堂々たるマドラッサはやはり美しく、勉強にもなった。マドラッサだけでなく、周辺の民家街を歩いて、小さなイスラムモスクや、ジュータウン(ユダヤ人地区)のシナゴーグ(ユダヤ教会)も見て歩きました。

もちろん、夕暮れ時にレギスタンに再訪問。再び目に入る美しい光景に、本当に大満足です。
本日の旅
行動 :サマルカンド観光
朝食 :シルベニッチ(ミルク米粥)、キフィール(ヨーグルトドリンク)、チャイ(緑茶)、ナン、チーズ、サラミ、コーヒー/宿
昼食 :чебуреки(チェブレキ、肉玉ねぎ入り揚げパン)、チャイ、чалоб(チャロップ、刻み野菜入り冷たいヨーグルトスープ)/サマルカンドの食堂
夕食 :чалоб、マンタ(大きな蒸し餃子)、プロフ(肉にんじん炊き込みご飯)、リピョーシカ(円盤状パン)、スウェジェ(きゅうりトマトサラダ)/サマルカンドの食堂
宿泊 :ビーアンドビーバホディールB&B BAHODIR
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旅情報
1ソム=0.038円

*レギスタンとマドラッサ入場料
入場料は7US$。しかし公定レート(1USドル=1700ソム)で計算すると11800ソムとなり、闇両替でソムを作ってからソム払いにすると、約5USドルで済ませられる。ちなみに地元民は800ソムだった。入場チケットは1日有効なので、朝観光に来て、夕暮れ時にも観光に来たい場合は、朝の提示の時点でチケットを回収されないようにすること。