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■ガボンビザの空き日
今日も、ガボンビザ申請中で何もできない状態です。なんとなく宿にいる1日です。
骨休めと思って、今までどおり、雑務とか情報収集とか、旅計画とか相談とか、こなしていきましょう。
・・・ということで結局忙しくなるわけです。
写真は、カメルーンで一番気に入った郷土料理、「ンドレ」です。
少しだけほろ苦い葉のみじん切りがいっぱい、ピーナッツをミキサーにかけたようなものがいっぱい、鶏肉もたまねぎも入ってうまみ豊かに煮込まれたもの。本当に美味しくて、しかも体に良さそうな美人食!って思います。
本日の旅
行動 :雑務、旅計画
朝食 :マケロー(焼きサバ)にコンジマン(エストラゴンパウダーと各種スパイスをブレンドした緑のタレ)とペペ(辛いタレ)をつける、バトン(葉に巻かれたマニオクのもち状のもの)/路上ごはん屋
昼食 :なし(あまり動いていないので朝食でお腹いっぱい)
夕食 :クスクス(とうもろこし粉をついてまとめたパテ、今までのクスクスと思うと騙される、ヴタリとも呼ばれる)にタスファ(肉煮込みソース)をかけたもの/ヤウンデの路上ごはん屋
宿泊 :バクースエモルフェーBacchus et Morphee
旅情報
1セーファーフラン=0.25円
*カメルーンの歴史
長期滞在するとここで紹介することがだんだん薄くなっていく~(泣き笑い)
19世紀末のベルリン会議は、当時主要国によるアフリカ分割を決定付けたもので、それに伴いまずドイツがカメルーン全土の宗主国となりました。20世紀に入り第一次世界大戦が始まり、ドイツに対し共同戦線を張っていたイギリスとフランスの共同攻撃はドイツの領土であるカメルーンにも及び、イギリスは西から、フランスは南や東から攻めました。ドイツ降伏により第一次世界大戦が終わると、フランスはカメルーンの約東4/5、イギリスは西に1/5を得ました。その後イギリス領部分の北部はナイジェリアへ、南部はフランス領へと分かれ、南部は20世紀半ば、旧フランス領と共にカメルーン連邦共和国となりました。
ヤウンデ滞在中に、何度か「カメルーンって、もとドイツ領だったのがイギリスとフランスに分割されて云々・・・」という会話が私たちの間に何度かあがったので、きっとふとした体験がその歴史と関連していることが何度かあったのではないかと思います。