2人の世界旅 日々の記録

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ケニア>2008年12月12日(Fri)
★ナルース→ナダパル→ロキチョキオ
:: 旅582日め : 世界旅85ヶ国め : 和人217ヶ国め : あづさ106ヶ国め ::

■スーダン南部、最後の選択
なんかね、このナルースNarusの村が、良すぎます。カポエタKapoetaと併せて、素晴らしく美しいトポサ族の人々と接しています。みんな、下心も外国人ひやかしの気持ちなどない、素直な良い笑顔を私たちに見せてくれるの、嬉しかったよ! 写真のお母さんの皮膚の紋様も見事です。

ナルース村

あづさは、エチオピアに行くなら夢の古代民族に出会える南西部への訪問をマストと考えていました。ムルシ族やハマル族、カロ族の美しさに、もう一度出会いたいと夢を見、更に遠く離れるオモラテOmorateの人々に逢うことに、一種の憧れをもっていたんですよね。だからその地域へ行くために不可能と言われるルートを通りたいのだけど、その道は、恐い・・・(詳細は≫11月30日日記参照)。

今日の朝のお散歩で、トポサ族の人の良さと美しさに改めて引き込まれました。・・・不可能ルートに突っ込む大きな賭けまでしてエチオピアの民族地域へ行く気持ちが薄れてきました。美しさだけならそれぞれの民族に固有の良さがあるのですが、“人の良さ”という尺度になると、エチオピアの、ツーリストを見慣れて「ボトボトブルブル」(写真写真お金お金)と言うスレた民族が、ここナルース村のスレていない人々に勝てるわけがありませんからね、こんな良いところを体験できてしまったなら、潔く普通にみんなが通る道(モヤレMoyale国境を通る道)でちゃちゃっとアディス(アディスアベバAddis Abeba、エチオピアの首都)に行っちゃってもいいんじゃないかなぁ・・・。

それが、今朝のあづさの気持ちでした。
つまりはそれだけナルースで満足してしまった、ということです。

それでも今日は、また道路脇の検問ポリスのところに待機させてもらって、ジュバJubaにいるとき以来、ずっと諦めずに追いかけてきた「ブマBume行きの車」を待つことにしました。あづさからコロコロ意見を変えてしまっては和人に申し訳ないから。でも昨日の午後もずっと待っていたし、ここで誰に聞いても、ブマから先の道のことなど知っている人がいませんから、「やっぱり無理なルートなのかなぁ」という心配はいつも伴います。ミシュラン地図に道も出入国地点記載もない、そんな辺鄙なところから、エチオピアへ移動するなんて、やめたほうがいいのかもしれません。

そこで、和人と決めごとをしました。

「ブマ行きの車を待つのは昼まで」
「昼になっても車がなかったら、ケニアのロキチョキオLokichoggioへ抜ける」

そして、午前中ずっと待ったけれどもブマ行きの車は見つかりませんでした。
約束の時間の正午をまわったとき、私たちの前を「Japan」と書かれた車が通りました。
「さあ約束の時間を過ぎましたよ、迎えに来ましたよ、さあ行きましょう」といわんばかりに・・・。

日本の援助グループが所有する車には、中川さん(仮称)という日本人の方が乗っていました。折しも私たちと同じ、ロキチョキオに行くのだそうです。そして私たちを後部座席に快く乗せてくれ、私たちは、最初から最後まで脱出の道探しに没頭し、夢の民族世界に彷徨いこんだ不思議な南部スーダンの旅を、・・・最後はあっけなく楽に終えてしまったのでした。

■ロキチョキオの町
ロキチョキオはケニア北西端の町です。かつてはスーダン難民の受け入れ体制を作る拠点の1つとしてUN(国連)関係者、つまり外国人が多く居住していた町です。UNが撤退してからはそのかつての繁栄はないと、地元の人も言っていました。

ロキチョキオまで車に乗せてくれた中川さんには、感謝を伝えてお別れしました。お世話になりました。本当にありがとうございました。

この町では、またまた美しい民族、「トゥルカナ族」が見られます。首にビーズ飾りをいっぱいいっぱいつけて、首が長くなっているように見えます。ケニアの首長族とさえ思います。お散歩のあと、炭酸飲料を売っているお店の塀際に腰かけて、道を往来する美しい民族女性の姿を見ていました。

さて、スーダンの疲弊の旅で、明らかに2人とも疲れています。元気をつけなければならないときに、食欲減退はまずいです。

でも、ロキチョキオに来てしまったからには、トゥルカナ湖西岸を北上してエチオピアへの入国(例の不可能ルート)にトライしますよ。だから、ここでしっかり最後の情報収集をし、車探しと(またかいな・・・ここ連日車探しばかりしているのにねぇ)、体力回復に努めたいと思います。

■スーダンの旅を終えて
南スーダンの旅を終えました。

行ってみないと分からないことだらけの国は、行ってみてもよく分からないことがいっぱいでした。

結局、ビザを取らずに正規入国させてもらえ、何度ポリスにチェックを受けても、ビザもレジスト(外国人登録)も不要だった。必要だったのはパスポートとパーミット(旅行許可証)だけ。その旅行許可証は南部政府が発行したものだから、もし私たちが、ジュバJubaからナイル河を下って北上した場合、いつからどこからビザやレジストが要求されるのか、はっきりとは分からず仕舞いだったなぁ。

ジュバに入ったはいいものの抜け方を知らない。何通りも抜け方を発見したけれど、コレというものは唯一ブマ行きの道だけで、ずっとブマ行きの道を追いかけてきたのに、最後まで縁がないままだった。本当に可能な道なのかも最後まで分からないままだった。

結局は、スーダン入国前に第一希望としていたロキチョキオへ抜ける道を通っての出国だった。まったく皮肉なもんだ。あんなに心身を疲弊させながら道を聞いて聞いて聞きまくって聞きまくってきたのに・・・、あ、いけない、こんなに悲観的になっては泣いてしまいそう。

一方で、持っている詳しい地図にも地名がないところにも行けた。地元の人を尊敬し、地元の人の話を聞いてきたからこそたどり着いたところには、素晴らしい裸族の村が広がっていたのよ。知らない素晴らしさとのめぐりあいは、大きな感動をもたらすの。

旅にはいろいろな出会い方があると思う。「次はエジプトでピラミッド、次はバルセロナでサグラダファミリア、次はパリでエッフェル塔」みたいな能動的な出会いと、今回のような、風に吹かれるような、受動的な未知なる世界との出会い。

どっちの旅も好きです。でも、今回のほうが、旅らしいと感じています。子供心に「旅人」のイメージ -風と地元の人との触れ合いに吹かれるままに土地を移り行く人- をもってきて、今回ガイドブックや地図なんて役に立たない“未知の世界”を動いて、美しい世界との出会いに感激できた。自分が持っていた旅人のイメージを自分自身が再現できたことが、ちょっぴり嬉しかったんですよね。

南部スーダン。
今の地球に、これだけドラスティックな人類学が感じられる土地があるでしょうか。もともとエチオピア南西部からスーダン南東部にかけては、民族の体系が他に類を見ないほど複雑で、その複雑な民族たちの基盤となる暮らしを、文明が生まれ変わらせている、今まさに真っ只中。

いつか、この人々がいたところに帰りたくなるのでしょうね。愛しい人よもう一度、って。

未知なる空の下での道探しが幸せにつながった、・・・旅のテーマは「めぐりあい」なスーダンでした。
本日の旅
行動 :ナルースからロキチョキオへ移動、スーダン出国、ケニア再々入国、ロキチョキオ観光
朝食 :チャパティ(アラブの薄焼きパン)、ティー、ミルクティー/ナルースの食堂
昼食 :ピラウ(いわゆるピラフ)/ロキチョキオの食堂
夕食 :Mukimo(モキモ、葉野菜ピューレを混ぜて緑になったゆでコーン入りマッシュポテト)、ニャマ(肉のトマト煮)/ロキチョキオの食堂
宿泊 :ワナンチホテルWananchi Hotel

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旅情報
1スーダンポンド=44.8円
1ケニアシリング=1.2円

*ロキチョキオのATM
1軒のみ、「UNコンパウンド」(UNの施設が集まるところ)の中にVISAカードが使えるATMがある。なおロキチョキオ空港にも行ったがATMはなかった。