:: 旅240日め : 世界旅48ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ69ヶ国め ::
■ダナネから移動開始
朝、今日は移動するからと宿の主人に伝えたら、乗り合いタクシーの乗り場を案内してくれました。当面の目的地は南部中心都市アビジャンAbidjanなのですが、1日で着く距離ではないので、今日は途中の地点で宿泊となるでしょう。
とりあえず危険地帯とされるところを早く抜けたくて、遠くへ行こうとは思いましたが、ダロアDaloa行きが遅いのしかなくて、とりあえずデュクイエDuekoue行きの直行シェアタク(乗り合いタクシー)に乗りました。
直行だから結構高いお金払ってるのに・・・途中マンManの町でドライバーが私たちを乗り合いバスに売ろうとしたのです(▼▼)!!コラー
私たちは高いシェアタク代を払っている。その乗客を安い乗り合いバスに売ると、その差額がシェアタクドライバーの懐に入るという仕組みです。私たちはそのような“ちょろまかしドライバー”に払うお金などありません。だから喧嘩ごしのようにまくしたて、警察官を味方につけるまでしてダナネ→マンの料金以外の分を返してもらい、予定にないマンの町でそのシェアタクとお別れしました。
■マンの町
コートジボワール西部の中心都市マン、そこはここが平和な頃は、観光客が集まる町でした。しかしそこが反政府勢力の拠点となり、内戦が続くようになってからは、日本の外務省も退避勧告を出すほど、不安定かつ脅かしい場所となっています。こんな町に来る予定なかったのに・・・。
街道脇の木々も草も、家の屋根も車のボンネットも、何もかもが赤い砂をかぶっている・・・なんか汚い町だなあ・・・。きっとどんな人でも、今のマンに来たら、「荒れた町」と思うのではないでしょうか。実際、人々が優しかったダナネとはまるきり違います。町には平和な雰囲気はなく、人々はどうにも物々しい。そして私たちを嫌がらせのように追う人々も多く、そういった意味でもここは「荒れた町」。早くこの町を出たくなりました。
■そして反政府軍地域からの脱出
和人とあづさ、交代で、別の町に行くトランスポートを探しに行きます。大型バスは数社が閉鎖した模様、シェアタクも姿が見えず、本当に困りました。なんとかデュクイエ行きのミニバスを見つけることができ、それに乗って早速移動を開始しました。
デュクイエに着いたらすぐにダロア行きのミニバスに乗り継ぐことができました。そうして、ダロアの町に着いたのは夜7時。ここも人がうるさくて嫌だったのですが、バスを降りたところから近いところに、くつろげる宿を見つけることができました。やっとほっとできた理由・・・ダロアの町は、この旅をしている現在、退避勧告地域からは外れたところにあるのです。つまり、政府軍地域に入ることができたのです。
・・・シエラレオネに入国し、リベリアを経て、コートジボワール反政府軍地域と、緊張の続く危険地帯を渡りきることができました。もちろんコートジボワールそのものを出て隣国ガーナへ入るまでは油断できませんが(もちろん、海外を旅するのだから常に油断はしていませんけれど)、それでも今日の気分は、やっぱり格別です。本当、「ほっとした」という気分が100%、といっても過言ではないくらい・・・。
宿のバーでビールで乾杯しました。おつまみは、バーのおねーさんが分けてくれたコートジボワール郷土食「フトゥ」と、リベリアで富豪おじさんが持たせてくれた絶品の圧縮干しえびです。
本日の旅
行動 :ダナネからマンへ移動、マンからダロアへ移動
朝食 :パタット(イモの葉のどろどろ煮)をリー(ごはん)にかけたもの、アラシー(骨付き肉のピーナッツソース煮込み)をリーにかけたもの/ダロアの食堂
昼食 :なし(移動していた)
夕食 :ジェゲ(揚げ魚)のサンドイッチ/ミニバスの中、フトゥ(マニコクとバナナをついてもちのように丸めたもの)にアラシー(辛いピーマンと肉入りのピーナッツソース)をかけたもの、ビール/宿
宿泊 :オテルラボンオーベルジュHotel La Bonne Auberge
旅情報
1セーファーフラン=0.25円
*コートジボワールでバンバラ語
マリの旅が比較的長く、バンバラ語を繁用していたら、コートジボワールでも使えて嬉しかった。逆にコートジボワールのあとにマリ旅を予定している人にも、ここでバンバラ語を使い始めていくことは良いことだと思う。
簡単会話は11月14日日記に記載(≫
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繁用数字は11月17日日記に記載(≫
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