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■シエラレオネへ行く心
シエラレオネは、2000年の政府と反政府勢力(統一革命戦線、RUF)との停戦合意を経て2002年に内戦が終結するまで、長い間、戦争の連続だったところです。もちろん今は戦争していない、だけれども・・・。
内戦中は、子供が殺人兵器として教育されていたとききます。私たちは、蚊が飛んでいるとパンと叩いて殺しますよね? そしてわずらわしい蚊を殺せたときに、ヤッタ! と嬉しくなったりすることもありますよね? そういった喜びを“人を殺すこと”に対して覚えこまされた子供たち -今は大人になっている者もいるでしょうけれど- に対し、国は国家再建の一として再教育を施しているそうですが、果たして田舎を含めて国のすみずみまで行き届いているかどうかは・・・。
日本で、終戦後数年間はどんな感じだったかなーと、何かを思い出そうとしたときに、まず思い出したことは、覚せい剤取締法制定が昭和26年だったことでした。それを鑑みると、昭和20年の終戦から数年間は市場も闇で、戦争はしていないけれどもの国内は混乱だらけ。生活も安定しない者も多く、様々な取締法を制定するほど、国内は荒れていたことが伺えます。
内戦終結5年めという、まだ若い新シエラレオネ・・・、やっぱりここはまだ闇の中で人の暮らしが安定しない混乱の最中(さなか)なのでしょうか? まだ武器は出回っているのだろうか、戦争が終わったことで今度は仕事がない人々がむしろ多いのではないのだろうか、殺人兵器化した人々にどこかで遭遇しないだろうか・・・。
だから、日本を離れる前から、できる限り、というだけではありますが、シエラレオネの情勢には気を配り、情勢情報収集にも努めてきたつもりです。でも、いざ今日突入するとなると、やっぱり、緊張してしまいます。それでも臨むには、獅子の心が必要か・・・。
■ギニア出国
ギニアのキンディアKindiaからシエラレオネのカマクイエKamakwieへ行く乗り合いタクシーは、今日の朝出発するはずでしたが、乗客が集まらないとのことで、なかなか出発しません。集客状況から、ドライバーに「明日になるねぇ」と言われてしまうほどです。でもしばらくして運良く乗客が集まり始めたため、13時半と遅い時間ではありますが、無事に今日、ギニアを出る見通しがつきました。
2時間ほどで、国境の村マディナウラMadina Woulaに到着しました。実は私たちは、ギニアビサウからギニアに入国する際、非常に旅行者の少ないルートを通ってきたため、パスポートに入国スタンプがありません(入国手続き所が外国人パスポート用の入国スタンプを持っていなかったのです)。でもその点は特に指摘されず、ここでの出国手続きは無事にOKとなりました。
■シエラレオネ入国
マディナウラを出てすぐ、サンヤSanyaのイミグレーションに到着しました。
・・・ここにも入国スタンプはありませんでした・・・。英語ガイドブックに記載されているルートなのに、イミグレに尋ねると、「外国人は最近では半年前にオーストラリア人が1人通っただけ」「ここを通る日本人は初めて」との回答。もちろん、シエラレオネを旅する人自体が少ないということもありますが、援助などの国際支援で来ている人や、稀な旅人は、多くは両国の首都を結ぶ幹線ルートを利用するでしょうから、こんなレアルートでは、またしてもスタンプの常備などないのでしょう。そうそう、恐い賄賂請求もなく、とりあえずはここも無事OKです。
ところで、この日誌や写真館にはよく国境の写真が登場しますが、本来ならば国境の写真を撮るなど、してはいけないタブーであることはご承知ください。国境は国家機密がある場所なのですから。私たちは、まずは雰囲気を察し、許可を得てから国境を撮影していることを、ここに付記しておきます。
■カマクイエ到着
シエラレオネに入国して、道がどんどん悪くなりました。2輪駆動の車なのによく走るわぁ・・・と感心するほど、山道のごとく路面はガタガタでボコボコしています。でもギニアから入ってまだすぐなのに、家の造りが良いことと、人々の洋服着用率が高いこと、女性のヘアスタイルのお洒落さなどが、シエラレオネで初めて得る印象でした。洋服着用率が高いということは、外国からの物資援助があるということを反映しているのだと思われます(のちに知ったのですが、事実、シエラレオネにはアメリカなどから古着が援助物資として流入しているそうです)。
出発が遅れに遅れたのだから、当然到着も遅れます。カマクイエ到着は夜10時半でした。なんか、大音量で音楽が流れる、静かとはかけ離れたうるさい村というのが第一印象で、ここを歩いて宿探しすることには治安面から恐怖を覚えたほどです。だから車のドライバーに相談して村人に泊まるところを聞いてもらい、連れて行かれるままのところに行くことになりました。
連れて行かれたところは病院でした。病院の婦長さん? のような人に紹介してもらえ、病院の来客用宿舎に泊まれることになったんです。ああ、これなら、安心・・・。
まだまだ緊張の日々は続くでしょう。今日は、蚊帳つきの安心ベッドで、ぐっすり寝ましょう。
本日の旅
行動 :キンディアからカマクイエへ移動、シエラレオネ入国
朝食 :バンディン(ごはん)にスプ(羊の骨付き肉が入ったシンプル味のトマト煮込みスープ)と砕き唐辛子添え、カーバ(とうもろこし粉をふかしたもの)にノノ(ヨーグルト)とネバ(黄色い油)をかけたもの/キンディアのガールルティエール
昼食 :なし(朝食が遅かった)
夕食 :プラサス(マニオクの葉のどろどろ煮込み、魚の身がいっぱい)をライスにかけたもの/カバフェリ村の食堂
宿泊 :病院の宿泊施設
旅情報
1ギニアフラン=0.027円
1シエラレオネレオン=0.04円
*ギニアからシエラレオネ国境越え
1)最もポピュラーなルートは、ギニアの首都コナクリからシエラレオネの首都フリータウン行きの乗合バスを探すこと。コナクリのマトナ地区のガールボワチュールで探せる。パメラPamelapで乗り換えもできる。
2)私たちはキンディアからカマクイエという内陸ルートを通った。日記にもあるように、外国人の通過は皆無に近いため、パスポートに入国スタンプを押してもらえない。国境イミグレでは中規模都市マケニでスタンプをもらうように言われるが、カマクイエルートを通る外国人が皆無に近い以上、マケニでの対応も期待できず、結局私たちは入国スタンプなしでシエラレオネ国内を旅することになり、リベリア方面での出国手続き上も問題なかった。ところでキンディアからカマクイエルートは、もともと車の運行日数が少ない上、途中何度かフェリーで車ごと渡河するため、雨季はシャットアウト。
3)その他のルートとしては、ファラナー→カバラルート、ゲッケドゥ→コインドゥ、ゲッケドゥ→カイラフンルートなどもあるが、英語ガイドブックではあまり推奨されていないような・・・。