2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
 旅して » 2人の世界旅 »旅日記 » 赤道ギニア »
 旅して » 旅紀行 »旅日記 » 世界旅» 赤道ギニア »
赤道ギニア>2008年04月05日(Sat)
★モンゴモ→アニゾー→アサシ→アニゾー
:: 旅331日め : 世界旅60ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ81ヶ国め ::

■赤道ギニアの腐りポリスたち
朝から雨が降っています。
モンゴモMongomoの町をお散歩したら、次の町へ移動しようと思います。

赤道ギニアは小さな国で、大陸側にリオムニと呼ばれる四角形の領土と、海に島をもっています。私たちは大陸側を進んでいますが、いずれはガボンに戻って、リーブルビルLibrevilleからサントメプリンシペへ向かう予定でいます。そのサントメプリンシペの船は週1便で、かつ出港予定までまだ日があるので、赤道ギニアを急いで出ることもありません。

小さな赤道ギニアでは、今日中心都市バタBataに移動することもできるのですが、まだ日数があるのだから、今日は少しだけ移動して、赤道ギニアの田舎地方を見てみようということになりました。見つけた車は、アニゾーAnisoc行き。どんな町かもまったく分かりませんが、それこそ旅! とばかりにウキウキして、車に乗り込みました。

走ってしばらくして、最初のポリスコントロール(検問)。あーやだやだ。

「俺行ってくるから、あづさは車の中で待ってて」と、和人が1人で2冊のパスポートを持ち、警官のところに行ってくれました。時間はかかりましたが、賄賂要求も拒否することができ、無事に戻ってきてくれました。

またしばらくして、2度目のポリスコントロール。また和人が警官のところに行ってくれますが、また時間がかかっているみたい。ずぅっと待っていると、警官があづさを呼びに来ました。長引きそうな予感がします。

あづさ「どしたの? 大変?」
和人「うん、・・・多分無理」

・・・それは、お金を出さずにはこれ以上進めないという、和人の判断でした。小さな建物には、男性ポリスが数名に、女性ポリスが1人。見ると、まだ午前中の時間帯だというのに、ヤシ酒(パームワイン、アルコール度は結構高く、酔いやすい)をみんなガバガバと飲んでいて、あづさが見ている前でも女性ポリス(デブおばさん)がグラス1杯のヤシ酒を一気飲みのように飲み干していました。・・・流石は世界ナンバーワンを争う金クレ星の強者星人たち。

はっきり言って、あんたがたのような酔っ払いと話し合いをする気、ないんですけど・・・。

とは思っても、相手が検問の警官だから、決着をつけてここを通過させてもらわなければなりません。

「通行料だ、この道を通るんだから1人10000フラン出せ」
「ノートにお前の名前を記録するんだ。記録料だから10000フラン出せ」

中央アフリカでもガボンでもコートジボワールでも、言い分というか言い訳というかこじつけは、皆さん同じことを仰います。だから私たちは、そんな言い分、お金を取るためのこじつけであることも重々知っていますし、その要求はきちんと拒否します。相手を怒らせても良いことはないでしょうから、「お願いです、通してください」「お金持っていないんです、通してください」と、下手(したて)に出てお願いをする姿勢で、また、「パスポートとツーリストビザがあり、すでにビザ代を払っているのでこの国の移動に必要なものは揃っています」と説明もしますが、それでも、酔っ払いは私たちのことなどに聞く耳も持たないのでしょう、「金出せ」の要求はまったく緩みませんでした。

あまりに待った乗り合いタクシーの運転手が、もう待てないとばかりに私たちに運賃を要求してきました。私たちは、「アニゾーに着いたらお金は払うから」と言うものの、その言い分は通らず、アニゾーの手前となるこの腐りポリス検問所で、酔っ払いポリスの要らん一声により、アニゾーまでの運賃全額を支払わさせられて強制下車となりました。

「外に出ろ」とジェスチャーで呼ばれました。まずは和人のバックパックから開けさせられました。私たちは、雨に降られることを考え、荷物をむき出しでしまうことはしていません。全ての荷物をビニール袋に小分けにして入れています。でも腐りポリスたちは1つ1つ荷物を出していき、しかも1つ1つビニール袋の結び目をといて中身を見ていくのです。貴重品(パソコンや書類など)はあづさのリュックに入っているので、和人が1つ1つを「これ、サンダル、ほらほら」「これ、せっけん、ほらほら」「これ、テント、キャンプに使う、こーんなかんじのやつ、ほらほら」といった具合で、かなりの時間稼ぎをしてくれました。それはすなわち、あづさの荷物検査になる頃には警官も疲れてつぶさに中身を見る気が減ってくるのを狙う戦法です。それは大正解で、実際、あづさの荷物検査はそぞろになり、パソコンもカメラも見られずに済みました。

また、私たちは、現金を荷物の中に小分けに分散させるといったことをしていないので、荷物検査で現金を見られることもありませんでした。しかし、何を没収されるかも分からない荷物検査は、本当に、屈辱的なほど嫌なものです。世界旅の現時点では、ビニール袋の中まで開けられる大々的な荷物検査は、ここが最強でした。

酔っ払った腐りポリスたちは、荷物から現金を見つけることができなかったからでしょうか、脅しをかける貴重品を見つけられなかったからでしょうか、まだ不満げなようです。

「プリゾン」

そうして出た言葉は、「牢屋、監獄」・・・。

脅しかもしれない。でも、狂ったキチガイの腐りポリスの国では、平気でそうするのかもしれない。

 こんな狂った国には、まだ入ったばかり。
 この国を抜けるまでに、あと何十箇所の検問があるのだろう。
 こんな嫌な思いを、あと何十回しなければならないんだろう。

旅の中には、我慢できることと、我慢できないことがある。

もともと、覚悟はしてこの国に来た。だから、金クレ星人との戦いは、我慢できる。次の旅人がお金を出さなくてもここを通過できるように、お金を払わずに通過できた旅行者の例を増やしたいと思っている。

でも・・・、あづさのアフリカ旅の夢を叶えてくれる和人、こんな嫌な国にも一緒に旅をしてくれる和人のことを考えると、つらい。一緒に旅をするのなら、楽しいほうがいいし、辛い旅をするなら、“何かの達成のために辛くても頑張る”といった前向きな辛さがいい。なのに、今いる場所は、腐りポリスにいびられるだけの、醜い場所・・・。

腐りポリスは、また恐い顔で「プリゾン」(牢屋、監獄)と言ってきます。

あづさは、「和人に嫌な思いをいっぱいさせて、こんな国で私は何をしているんだろう」と思ったら、とっても泣きたい気持ちになりました。・・・そして、自然に和人に言いました。

「ここから先に通してもらえないなら、もうこの国いいよ。モンゴモに戻ろ、ガボンに帰ろ。」

和人も、同意してくれました。
うん、これでいい。言って良かった。

私たちは荷物を持って「歩いてモンゴモに戻ります」と言い、検問所を離れようとしました。そうしたら焦ったポリスが乗り合いタクシーを止め、「こいつらを町のコミサリア(警察本部)に連れて行け」と命令していました。

コミサリア・・・、そこで、新たな話し合いをするのか、牢屋に入るのか・・・。

コミサリアに着きました。もう今日は、嫌な思いをしたくないから、和人がポリスにパスポートを提示しているとき、あづさは、お腹が痛いフリをしてうずくまり、ウソ泣きを始めました。お腹が痛いフリは簡単、マラリアでお腹が痛くなっていたあのときを思い出せば良い。ウソ泣き(泣き真似ではなく、ウソ泣きだから、本当に泣きます)も簡単、一緒に旅してくれ、賄賂地獄も共に乗り切ってくれる和人を思い、「嫌な思いばかりさせて、ごめんねごめんね」って思えば良い。大事な人を傷つけると思うと、涙が止まらなくなる。

お腹を押さえて泣くあづさに、おろおろしたポリスは、「薬が必要か?」と聞いてくれました。あづさは「薬よりも横になりたい、宿に行きたい」と訴えました。おろおろポリスは、あづさを署内の長いすに横にならせてくれ、揚げバナナと冷えたミネラルウォーターを買ってきてくれました。このとき、「ああ、これでここでは、賄賂を要求されることはないな」と思いました。

やがてお偉いさんポリスが出てきました。先ほどの「横になりたい宿に行きたい」という訴えを知っているのでしょう、私たちを、すぐに近くの安宿に案内してくれ、チェックインが済むまで付き添ってくれたのでした。

・・・ウソ泣き、効いたみたい。

少し宿で休息を取って、食堂で昼食を食べたら、2人で郊外へお散歩に行きました。赤道ギニアのジャングル村は楽しかったです。でも今日は腐りポリスとの戦いとウソ泣きによる勝利で、この日記を書くのがめいっぱい・・・、良かったら、ジャングル村の雰囲気は、写真で目で見てみてください(uu*

アサシ村、ジャングル奥の民家



赤道ギニアの、今日の感想。

昨日の入国手続きも、今日のコミサリアも、大きな警察組織はしっかりしているような気がする。
金クレ星人たちは、地方の小さな検問所に潜んでいるような気がする。

朝から酔っ払うポリスなんて撤廃させようよ、と思っても、
朝や昼間に町を見ていても、お店ではコーヒーやジュースを飲む人がいなくて、
男どもも女どもも、朝昼夜いつ見ても、ビールをビンごとラッパ飲みしている。
ここはこんな国なのか。こんな国なら、酔っ払いポリスも撤廃できないじゃないか。

政府は機能しているのかいないのか、ともあれまともな国を作ってほしい・・・。
本日の旅
行動 :モンゴモからアニゾーへ移動、腐りポリスと戦う、アニゾー観光、アサシ村観光
朝食 :バゲット、ウイニー(米粉をお湯に溶いてダマダマにしたもの、レモンと砂糖入り)、ウエボ(ゆで卵、半割りにしてマヨネーズとピカンテ(辛ピーマンペースト)を挟んで食べる)/モンゴモの路上ごはん屋
昼食 :Arooz con Pollo(アロースコンポヨ、トマト玉ねぎ塩炊きこみごはんに鶏手羽の素揚げを乗せたもの)、Yoca con carne(ヨカコンカルネ、ヨカはマニオクのもち状のものの輪切り、これにトマト玉ねぎ煮のフレッシュビーフシチューを添える)/アニゾーの食堂
夕食 :パン、アボカド、オニオンスープ、ゆでじゃがいもの塩和え/宿
宿泊 :オテルパラディスセイラHotel Paradis Seyla

関連ページ
行程 行程  お金 お金  写真 写真  お宿 お宿  ご飯 ご飯  ≫2人の世界旅トップ

旅情報
1セーファーフラン=0.25円

*赤道ギニアの写真撮影について
ガイドブックには、写真許可証(フォトパーミション)が必要と記載されており、また、赤道ギニアが写真が撮りにくい(撮れない)国であるといったことは様々な旅行記録(掲示板情報、情報ノート、旅行記サイト等)で散見される。しかし私たちは、最後まで写真許可証は取得しなかった。そして、検問で多数のポリスによるパスポートチェックを受けるが、1回も、写真許可証の提示など求められなかった。
アニゾーの町には中国人労働者が多く、町の風景をデジカメで撮影している中国人もいた。中国人に聞いてみたところ、「警察など役所を撮ってはだめだけど、普通の光景は撮っても問題ない」ということだった。赤道ギニア人はカメラつき携帯電話を持っている若者も多く、町には写真屋も見かけたことからも、もう、写真が取れない国というのは今は昔のことなのかもしれない。
しかし他のアフリカの国と同様、カメラを向けられることや、カメラを出すことに抵抗を感じる人は多い印象だった。通常通り、写真撮影には気を配り、また、金を要求する腐りポリスの国であることを忘れず、ポリスが視界に見えるところでは決してカメラを出さないなどの注意は必要である。