2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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タイ>2010年10月27日(Wed)
★メーホンソン→ナイソアイ→メーホンソン
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■首長族に、会いに行こう
風邪も治ってきました(*^-^*)

元気になったついでに、大好きなバイクの運転ができるご褒美つきで、とうとう今日こそ首長(くびなが)族の村に行きましょう♪ ここメーホンソンMae Hong Sonから日帰りで行ける首長族の村は3つあるそうで、そのうち、最も規模の大きなところに行くことにしました。

タイ北部の首長族の集落に観光客が行くことに対し反論を唱える人々もいることは知っています。「彼女たちの首は普通の人間の首と同じだ、そういう見物心で見に行くところじゃない」という主張です。でもその主張には無理がある。その主張だけが通ってしまうと、彼らの生活はどうなってしまうのか。

首長族は、正確にはパダウン族(カヤン族とも)。タイ側に居住していても、実は彼らは全員ミャンマー人です。ミャンマーの情勢が劣悪であったゆえ彼らは難民となりタイ国境付近に流れてきました。UNHCRのホームページが信頼できる難民情報を発信しているので、字の細かい膨大な英文であっても一見の価値はあります。それによると、南北に長く続くタイ-ミャンマー国境に沿って、こういう難民キャンプ/難民村が多数点在していることが分かります。

例えばね、歌舞伎役者が、衣装や化粧をまとって独特の姿を披露する。その姿をお金を払って観に行きたい人が観客となる。授受されたお金は役者の稼ぎとなる。この例えが最良の例えである自信はありませんが、首長族だってそうだと思うんです。どの世界だって「見せたい人と見たい人」がいるとそれはお金を介したやりとりになる。動物園のような使役があるわけじゃないんだから、それでいいじゃない? なお村では、観光客収益を各人(伝統的姿を披露している人)に分配し、更に村として得た収益は学校を作るなどの基金に充てられているとのことです。

さて、レンタルバイクに乗って1時間ちょっと、和人と2人乗りの悪路運転は楽しかったです。到着したナイソアイ村の入村料は250バーツ(約700円)です。私たちが到着したときには他のツーリストは来ていませんでした。

興味があること、というよりは、ここの土地に来て考察したかったことは、「ミャンマー少数民族が何故難民になったのか」、タイという異国にて「彼らはどう暮らしていて、どんなことを考えているのか」、ということなど。気分は社会見学ですよね。

村を歩き、「壊れた学校」が目に入ったときは気持ちの沈みを感じましたが、更に歩いているうちに「稼動している学校」を見てその気分は賦活しました。よかったよかった。観光客からお金を受け取る仕組みが確立したことで、彼らは子供たちに教育を施せているのだということが、この目で分かったからです。教室は3つあり、活発に授業が行われていて、見ていて嬉しかったですね。ここは、領土的にはタイ国内ですけれど、もちろん全員ミャンマー人。それを証明するかのごとく授業はミャンマー語(ビルマ語)で行われていました。ミャンマーなんて次に渡航する国でまったく言葉を知らないけれど、黒板の文字を見て、○を多用し文字をぐるりと4辺(口)で囲む独特の文字があったことから、それがミャンマー語であることが分かりました。

「よその国の人がずかずかと入っていく」、そんな観光をするのは好きじゃないので、最初はサッカーをしている少年少女たちを見学するだけ。やがて興味津々寄って来る彼らと遊びました。子供は無邪気なので、大人よりは接しやすいですね。

子供たちから離れ、村を更に歩くと、古びた教会が1つありました。ミッショナリー(宣教師)がここに来た証です。教会から村の中心のほうに戻る途中には、ニコニコとしながらぼーっと縁側に座るおばあちゃんがいます。おばあちゃんは首長族「カヤン族」ではなく、時に日本語では大耳族や耳長族と表現される「コヨ族」のおばあちゃんです。耳に大きな穴をあけて金属の輪を通し、足にメタルワイヤーを巻き、首には多数のアクセサリー。独特な姿をしています。おばあちゃんとは会話ができる共通言語がないけれど、和人がその教会を見学している間、あづさは縁側のおばあちゃんの隣に座らせてもらって、「今日は暑いですね」など、手振りで意思疎通。おばあちゃんは昔の旅人が撮ってくれた自慢の写真を見せてくれました。こうして少しずつ、少しずつ、私たちは村になじんでいきました。

別の家屋では、軒先で数人の女性が集まって共に昼食を食べていました。きっと井戸端会議的な(笑)、団欒の時間なのでしょうね。嬉しいことに私たちもその場に招いてもらえました。

タイ

首長族4、5人、時々他の首長族の人や大耳族の人が出たり入ったりします。しかも女性のうち1人は英語が話せる! 流暢ではないけれど、これは嬉しい! 彼女を介して、様々な話を聞けるのですから、すごく良い体験になりますよね!


このナイソアイ村には、22家族92人が居住、コヨ族とカヤン族はどちらもミャンマー人難民で、言葉は違うけれど1つの村で共存できています。村には電気はない。この村に人が来たのは1990年とのこと。

  ・・・それって推測するに・・・。

来週「20年ぶりの大選挙」で混乱が予想されるミャンマーについては先日の日記に書きました。来週が20年ぶりっていうことは・・・「前回の大選挙の混乱」が、まさに1990年なんですよね。まさかそれが原因ってこと?

ここに書いたことは会話から知ったことの一部です。その他にもまだまだ会話は続きました。何かの会話の中で、「首の巻く金属は重い」といった会話になったとき、1人の若い女性が首から肩にかけてのラインを見せてくれました。今日は金属をつけない気分の日らしく、シャツの中は素肌だけ。「ペイン、ペイン」(結構痛いのよ~)と言って、ちょっと色気ある肌を見せてくれたとき、確かに首の付け根から肩にかけて金属が擦れた跡があるのが見て分かりました。


みんなの今日の昼食は、空心菜入り汁そば、ソーセージとにんにくと唐辛子の和え物、ビール(笑)、私たちにもおかずを分けてくれてありがとう♪ (ビール代は出しました) 彼らの食べているものも見ることができたことも嬉しかったです。ちなみに裕福な生活が送れているわけではないので、食事の偏りなどから栄養バランスが保てないのでしょう、「ビールに栄養ドリンク(リゲインみたいなやつ)」を混ぜて飲み、「パワフル、パワフル」(これで健康を保つのよ)と言っていたのが印象的でした。


先ほど肩まで見せてくれた女性の家では、伝統的な炭火調理。おイモをふかしている最中の台所を見せてもらえました。またその近所にいた綺麗な女性は首に巻く金属を完全にスカーフで隠しています。一見「首の金属を隠したい」という意思表示にも見えうるのですが、あづさがその女性と会話するうちに、本当の理由を教えてくれました。首に重い金属を巻きつけると肌との摩擦で痛みがあり、スカーフを巻いて布を内側に織り込んで、痛くないようにするのだそうです。もうひとつ大事なことは、肌と金属の間に汗がたまると蒸して不快だから、布を入れて汗を吸収させるのだということも教えてくれました。

さて、およそ4時間弱の首長族の村滞在でしたが、人々と打ち解けてきたからこそ滞在がどんどん楽しくなってきた、というのが本音です。あのおばあちゃんは最終的にどんな夕食を作るのか、夜や朝のみんなの過ごし方はどんなものなのか、まだまだ興味は尽きません。首以外の、タイ-ミャンマー少数民族の文化風習そのものに対する興味はまだまだいっぱいあるのです。

今日は、そういう文化の一端に触れ合えた。何より、姿も言葉もまるきり違う私たちとの間で、人と人としての心の通ったふれあいができた。だから私は首長族の村を訪れて本当に良かったと自信を持って言えます。どうか支払った入村料1400円が、彼らの明るい未来につながる遣い方をされますようにと、心から願っています。
本日の旅
行動 :ナイソアイ村(首長族の村)日帰り観光
朝食 :カフェオレ/宿
昼食 :ゲーンパー(揚げ魚のどくだみナムプラー唐辛子煮)、ゲーンペッ(たけのこ薄切り骨付き鶏肉入り黄色カレー)、ごはん/メーホンソンの食堂
夕食 :ラープムー(豚肉細切りの和え物)、パッロー(豚の角煮ゆで卵入り)、カウニウ(もち米)、パックー(山菜酢砂糖ナプムラ唐辛子煮)/メーホンソンの路上ごはん屋
宿泊 :ジョンハムプレイスJONGKHAM PLACE
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旅情報
1バーツ=2.82円

*メーホンソンでレンタルバイク
首長族の村に行くには、メーホンソン市内からツアーも出ているが、バイクの運転ができるなら24時間150バーツ(約420円)のレンタルバイクもある。2人乗りできるので1人あたり210円は安いかと思います。レンタルに必要なものはパスポートだけで、運転免許証は不要。レンタル時に地図コピーをくれます。できるだけ走行距離の短いものを借り、借用書記入の前に試し運転をしましょう。ちなみにガソリン満タン返しなのですが、ガソリン代は60バーツでした。