2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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中央アフリカ>2008年03月19日(Wed)
★ガルワブレ→ブアー
:: 旅314日め : 世界旅57ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ78ヶ国め ::

■カメルーン出国、そして賄賂要求地獄へ
昨日寝たのは、1時間程度でした。16時間に及ぶ長い移動のあとだったので、起きたら余計に体がしんどく感じたほどです。

ここガルワブレGaroua-Boulaiはカメルーン東部の中央アフリカとの国境の町です。私たちは朝6時に、国境へ向けて歩き始めました。6時半、出国手続き所に到着。出国スタンプをお願いするや否やパスポートを取り上げられました。お金を要求され、私たちがうんと言わないと、そのパスポートを返してもらえないまま部屋から追い出されました。

こういうの、本当に嫌です。パスポートがなければ旅ができない、パスポートにスタンプがなければ旅ができない、それを利用した金せびりと、それを許してしまっているこの国の社会には、本当に嫌気がさします。

「5000フランを出せ」などと具体的に金額を提示されるのも、嫌なこと。

結局そこでは2時間近く「金クレ攻撃」に耐えて待ち、ようやく賄賂なしでパスポートにスタンプをもらうことができました。その後の2度の賄賂要求も、頑張ってかわしました。

■中央アフリカ入国、最悪の賄賂要求道
カメルーンを出国したらすぐに中央アフリカ入国手続きです。

ここも賄賂要求がきつかった・・・。「お願いですから通してください」の要求にも一点張りで「ダメ」しかいわない女性のところでは、地元の人もお金を出さずには通過させてもらえない様子でした。

あづさは以前、モーリタニア人に、賄賂を要求されたときに何と言えば良いかを尋ねたことがありました。彼の回答は「オンナパダルジョン(On n'a pas d'argent、お金持ってない)で通せ」というものでした。で、実際あづさは、賄賂要求の度に、オンナパダルジョン、オンナパダルジョンと訴えて、大変に多くの場所で支払い拒否に役立てています。

しかしここの女性のところは醜い“金クレ一点張り”の態度が緩まず、非常に時間がかかりました。何度目の「オンナパダルジョン」を言ったときでしょう、やっとやっと「薬置いていけば通すわ」とまで相手が譲歩したことと、こういうときのために使用期限切れの抗生物質(多分有効だけれど自分は使いたくないナというもの)を持っていたので、それをお金代わりに置いて、執拗な“金クレ攻撃”から、お金を払わずに抜け出すことができたのでした。

・・・中央アフリカの、この道は、最悪の賄賂要求道でした。

私たちは乗り合いバスに乗ったので、ポリスコントロール(警官が車を止めて荷物や乗客の検査をする)の度に“金クレ攻撃”に遭い、他の10人以上の乗客を待たせて、賄賂要求を拒否し続けました。申し訳ないなと思いながらも、悪しき腐った軍人に払うお金など持っていないので、こうするしかないのです。

しかも、こういうときならば、たいてい乗り合いバススタッフが助けてくれるものなのに、今日は彼らが何故か、私たちと軍人との戦いを茶化しながら見ているではありませんか、ムカ。それだから、通常よりも更に時間がかかってしまったんです。

今日だけで10回以上も、賄賂要求と支払い拒否のために時間をくってしまいました。合計したら何時間になるのでしょうか、本当、その何時間かの時間のストレスの大きさったら・・・。

今日の到着地ブアーBouarの町に着きました。

ブアーの町

ここで今日の移動はおしまいだと知ったとき、あづさは、腹部に仙痛が激しく走り、下車したところに倒れ込んでしまいました。ストレスがあまりに大きかったのだと思います。

幸い安宿が下車地点目の前にあったのは良かったのですが・・・

 ・・・たった20mの距離が歩けなかった。

親切な地元のおばさんが優しい手で支えてくれ、そのおばさんの手にすがって、何分もかけて、体を引きずるように歩きました。和人が部屋を見に行ってくれている間、1人になったあづさは、汚い地面に、お腹を押さえて呼吸もままならず、泣いて倒れていました。

■中央アフリカ、ぼったくり騒動
和人が戻ってきました。

あづさに手を貸してくれたおばさんも、そこにいました。和人がバスチケットをおばさんに見せて、「乗ったバスはバンギBanguiまで10000フランで、今日はブアーで宿泊だから、明日はここからバンギまで行くそうです」ということを伝えていました。

そしたら、和人の「えっ!?」という大きな声が聞こえました。

おばさんの話によると、チケットの行き先には、いかにも「Bangui」にも見え得るような汚い字(日本人には判別しにくいようなアフリカ人の殴り書き)で、「Bouar」と書いてあったのです。つまり、私たちは、通常3500セーファーフランのブアー行きのチケットを、「バンギ行き、バンギ行き」と言われて10000セーファーフランで購入させられたのです。そして先ほどの和人の声は、おばさんの説明に驚いた声だったのです。

当然、バンギ行きという呼び込みもウソだったのです。

和人が表通りに出て、数人の人に助けを求めました。乗り合いバススタッフの居場所を探す努力をしてくれました。あづさも頑張って、他の乗り合いバスのスタッフ、その辺を歩いている人に助けを求めました。私たちはフランス語は流暢になんてとても話せないので、意思を伝えることが精一杯で・・・、しかしそうして分かったことは、悪徳な乗り合いバススタッフは今日はここで一泊して、明日来た道を戻る、だから、ポリスに言えば、捕まえてくれる、というものでした。

そして私たちはポリスに行き、解決をお願いしました。話を聞いてくれたポリスは、「明日の朝、必ず」と言ってくれました。

宿で食事を摂り、悔しい、悔しいと会話をしている私たち。そんな中、外でバイクの音と外で話し声がする・・・? 誰かが宿を訪ねてきたようです。

太ったおばちゃん警官が運転するバイクのうしろには、悪徳乗り合いバススタッフ(しかも和人をバスの屋根の上に乗せて自分が乗客席に座る、信じられない大馬鹿者)が乗っていました。警官が犯人を連れてきてくれたのです。警官の前なのに醜い言い訳をつけて返金をしぶる大馬鹿者・・・本当、醜い奴・・・、最終的には、私たちの「セトレサンプル、ドネマラルジャンシャケン6500フラン(簡単なことよ、1人6500フラン返金しなさいよ)」の言い分が通り、そしておばちゃん警官の仲裁で、ぼったくり分の料金を返金してもらえたのでした。

問題が解決したので、おばちゃん警官は帰ろうとしました。

「ありがとう、本当にありがとう」と言って、最後の握手をするとき、あづさは気づきました。

その手は、優しいあの手・・・! お腹に仙痛が走って歩けなくて、泣きながら体をひきずるあづさを優しく引っ張ってくれた、あのおばちゃんの手だったのです!! すぐには確信が持てないままだったから、握手してすぐおばちゃんはいなくなってしまったけれど。

あづさの手をひっぱってくれたおばちゃん、和人の話を聞いてくれてすぐにぼったくりを教えてくれたおばちゃん。私たちがポリスに行った事を知り、早い解決のために頑張ってくれたおばちゃん。

これぞ中央アフリカの旅と言わんばかりに最悪だった賄賂要求地獄とは裏腹に、こういう素晴らしい警官もいるのだと分かったことは、このあとも、この国を旅する、気持ちの支えになるでしょう。

「悪名高き中央アフリカも、捨てたもんじゃない」・・・明日も首都バンギに向けて、賄賂地獄道を走りますが、なんか、明日はもっと背筋を伸ばしてにこやかに戦えそうな気がします。

ありがとう、優しい手をもつおばさん。

中央アフリカの旅が、もし「楽しかった」って終わることができたら、それは、きっと、苦しかった今日を2度も救ってくれた、おばさんのおかげです。
本日の旅
行動 :ガルワブレからブアーへ移動、カメルーン出国、中央アフリカ入国
朝食 :パン、はちみつ/カメルーン出国手続き所の待合室、ブイヨンスープ/中央アフリカ入国手続き所前の路上ごはん屋、バナナ/ポリスコントロール前
昼食 :なし(移動していた)
夕食 :シクワング(葉に巻かれたマニオクのもち状のもの)、ハリコーリー(ごはん、煮豆、オニオンソテーが層になった重ねごはん)、カンダ(魚と生ピーナッツすり身を葉で包んで蒸してプリン状にしたもの)、ブイ(とうもろこし粉をお湯に溶いたもの)、ケンケリバ(お茶の一種)/メイガンガの路上ごはん屋
宿泊 :モーテルタズヌーMotel Tazounouの管理人おじさんの部屋

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旅情報
1セーファーフラン=0.25円

*ガルワブレからブアーへの移動
ガルワブレでカメルーン出国手続きをし、国境を歩いて越えて(歩いてすぐ)中央アフリカ入国手続きをする。入国手続きをするところではバンギ行き乗り合いバスの呼び込みをしているので、行き先と料金を確認して乗車する。私たちはブアー行きに乗車した。片道3500セーファーフラン、所要7時間半(ただし、私たちはポリスコントロールの金クレ攻撃に屈しなかったので時間がかかった)。