2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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ナミビア>2008年05月15日(Thu)
★オプウォ→オフングムレ(ヒンバ族の村)
:: 旅371日め : 世界旅63ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ84ヶ国め ::

■ヒンバ族の村へ
朝、体格の良いおばさんが宿に到着しました。おばさんは、もともとヒンバ族の女性でしたが、文明社会生活入りのためにヒンバの姿を捨てて、現在は一般市民の姿をしているのだそうです。

昨日のうちに、宿のオーナーを通じて、おばさんにはヒンバ族の村へ行きたい旨を伝えてあるので、今日はその具体的な内容確認と料金交渉から始まります。提示された価格から安くなる方向で料金調整することもできました。更に「村に泊まりたい」というあづさの突然の申し出から滞在が2日にわたることになったにも関わらず、料金を据え置きにしてくれたことには、感謝です。

さて、ここでかかる料金は、ガイド料(村に連れて行ってくれ、私たちの存在を説明し、私たちにトラブルがかからないようにするおばさんへの御礼)と、村へ行くための車代です。

その他、村への訪問には、手土産が必要なのだそうです。例えば日本でならば病院にお見舞いに行くときに手ぶらでは行きにくいように、この地域でも、訪問には手土産という風習があるのかもしれません。本当はそんな風習なんてないのかもしれませんが、そういう天邪鬼は考えず、おばさんと一緒にスーパーに行き、おばさんの選ぶものを買いました。とうもろこし粉、砂糖、クッキー、食パンで100ドル(1400円)くらいでした。

オフングムレOhungumure村は、オプウォOpuwo市内から15kmほどのところにあり、おばさんの妹が、おばさんの甥の第一夫人として嫁いだ村とのことです。妹と甥の結婚ですから、つまりは家長も夫人もおばさんの身内というわけですね。

おばさんは当然ヒンバ族の言葉を話せますから、村の人々に、私たちにトラブルがないよう説明をしてくれました。私たちが一番心配していた、カメラを向けることのトラブルと、写真に伴う「金くれ」のトラブルも、絶対にないことを約束してくれました。そして、「ありがとう」「こんにちは」といった基本的なヒンバの言葉と、あづさがよく使う「この名前は何ですか」という言葉を教えてくれました。

おばさんの妹にあたる、村の第一夫人は、ドンゴーナという名だそうです。ドンゴーナママは「ヒンバの女はこうするのよ」とばかりに、ヒンバ族の典型的な顔料、赤い土の粉「オクラ」を体に塗ってくれました。

家の外では、村の人々が私たちの手土産を分け合っていました。

驚いたことが、1つありました。収入もない貧しい村ですから、クッキーやパンなど、嗜好品に近い食品はみんなで取り合ってあっという間になくなるだろうなと予想していました。しかし、女性も、子供も、ガツガツ食べず、のんびりポリポリと食べているし、更に、多くの人が、自分の取り分の中から私たちにひとかけを分けてくれるのです。

また、いつまで眺めても、ヒンバ族の女性は、本当に美しい。

髪の毛までオクラで真っ赤に塗りあげ、全身すべてが真っ赤です。聞けば彼ら彼女らは、一生シャワーも浴びず水浴びもしないのだそうです。気になる汗臭さは、香木を炊く煙を体にまとわせるのだそうです。でも流石に一生体を洗わないとなると想像を絶する印象も受けますが、不思議なことに、私たちは2日間ヒンバ族の人々と共に過ごし、体臭が気になったことは一度たりともありませんでした。

■2人の少女と
オフングムレ村に着いたのは午前中だったので、今日は長くこの村に滞在し、様々なヒンバ族体験ができます。そしてその時間のほとんどを一緒に過ごしてくれたのが、愛らしさいっぱいの2人の少女でした。これぞヒンバ族と言わんばかりの髪型(髪を太く編み、毛先を馬の尻尾のように残して残りをオクラで固めるもの)が可愛いオロヤウィちゃんは、英語名でマリアナちゃんといいます。ショートカットにスラリとした体系が似合うガエンデゴヤオちゃんは、英語名でヘレナちゃんといいます。ここに案内してくれたおばさんも2つの名前を持っていたので、これはヒンバ族の風習なのでしょう。私たちは、呼びやすい英名で彼女たちを呼ぶことにしました。

2人は、あづさの手のひらをつかんで、手のひらをパンパンと叩く遊びを、教えてくれました。

日本だと、「なつもちーかづくはちじゅうはちや」とか「アーループースーいちまんじゃーくー」といった具合で、歌に合わせて2人向かって手のひらをたたきっこしますよね。あれにかなり近い遊びです。

写真の左がヘレナ、中央がマリアナです。スタイルも装飾も、かーわゆいっ♪(*^-^*)

ヒンバ族の少女たち

そうそう、お洒落好きのマリアナは、あづさの持っていた輪ゴムを使って、上手に三つ編みすることを楽しんでくれました(写真にマリアナの三つ編みも映っています)。

ところで、この村はツーリスティックではないようで、一切の英語が通じません。町からたった15kmという近さにあるのに・・・「ハロー」も「サンキュー」も通じないのです。マリアナは「フォーティーン」(14歳)を、ヘレナは「ビューティホー」(美しい)だけを、英語で口にできるようでした。

私たちは、何かをもらったとき、何かをしてもらったとき、「グッド」という意味の「ペリナワ」、「ありがとう」の意味の「オクヘパ」という2つの言葉を使いました。でも本当は、その言葉の何倍も何倍も、心を込めて気持ちを伝えています。

マリアナとヘレナは、私たちに、いろいろな物の名前を教えてくれました。腰につける毛皮を持って「オンディクア」、太いネックレスを持って「オンバーレ」、腰の大きな装飾は「エパテカ」といった具合に。

物の名前を覚えることは、知的好奇心としては嬉しいことだけれども、それよりも遥かに強く嬉しさを感じるのは、今までは憧れの遠い存在だったヒンバ族の人々と、自分自身が触れ合い、対話をしていることに、客観的に気づいたとき。

マリアナもヘレナも、歌をいっぱい歌ってくれました。美女2人が歌を歌うと、更に子供たちが踊ってくれ、あっというまに賑やかな雰囲気が出来上がります。嬉しいな。実はアンゴラの旅の疲れと、アンゴラの食中毒から、体調はものすごく悪いけれど、ヒンバ族のみんなに見せるのはありがとうの気持ちと笑顔だけにしなくっちゃ。頑張らなくっちゃ。

和人が、気分が悪くなって、集落から少し離れた草原に出ました。あづさとマリアナ、ヘレナが、付き添いました。

ヘレナは、まるで歌姫ね。

透き通った声で、時間の隙間にはいつも歌を歌ってくれます。単純で単調な歌だから、その歌は私たちもすぐに覚えられます。でもやっぱり、ヘレナの声で聞く歌が一番好き。そうそう、彼女達の歌、四七抜き音階(よなぬきおんかい、ファとシがないメロディ)なんですよ。日本伝統音階との共通点だと思いました。

食中毒と旅の疲れで、ちょっとしんどくなってきたから、あづさと和人、2人きりで丘に登って、少し休息をとることにしました。疲れた様子をヒンバ族の皆に見せたくなかったから、ちょっとだけなら2人きりもいいよね。

2人でほっと一息ついて、丘の上から景色を見ていました。丘の上からは、幾つもの円が見えました。円形の柵で囲まれた集落群です。きっとこの円の群は、国境を越えてアンゴラまで続いているのでしょうね。

でもすぐに、私たちを追うように、ヘレナと少年たちが丘を登ってきたのです。

ヘレナたちは私たちに木登りを見せてくれました。 「あ、妖精、いた」 ふと、心に思う、瞬間でした。体重を感じさせない身軽さ、そして、木と自然と空と大地と一体となって、葉陰から笑顔を見せるヘレナは、すごーく、素敵です。

ヘレナが石を両手に持って、少年の前歯を叩く真似をしました。ヒンバ族の女性は11歳になると下前歯2本を抜く風習があるのですが、その模擬のようです。ヘレナは自分の唇をまくって、「ほら私も歯がないのよ」と、大人の仲間入りを誇るように、嬉しげに歯のない歯茎を見せてくれました。

一緒に丘から降りました。あづさが先に降りていくと、後ろから、歌姫の歌声。振り向くと、赤い肌と紺碧の空の色空間があまりにも美しい。



・・・さて、長いこと一緒にいて分かったことが1つあります。どうやら、ヘレナは、和人のことが、大好きみたいです。和人が具合悪そうにしていると、心配そうに付き添いますし、和人が「オクヘパ」(ありがとう)と言うと、すっごく嬉しそうです。彼女の行動や振る舞いから、和人の奥さんになりたいのだということが、伝わるんです。可愛いナ。

一方、マリアナは、あづさと友達になれて嬉しいみたいです。お洒落っ子のマリアナなので、あづさの持っていた緑色の輪ゴムが新しいアクセサリーに見えたのか、興味を持ってくれ、その輪ゴムをあづさの髪につけてくれたりしました。またマリアナは胸が膨らんできたことが嬉しいみたいで、胸を持ち上げては、「ほらっほらっ!見て!」って、嬉しそうに見せてくれます。

ところで、集落を囲む円形の柵の中には、寝泊まりをする住居と、人が集う集会所のような場所があり、そこに幾頭もの牛が共存しています。

夕刻になると、おそらくはその牛のミルクだと思うのですが、それをヒョウタンの中に入れて、絶えずシャカシャカと振り続けています。そのときはミルクを分離させてバターを得るのかな? と思っていましたが、後から、好気的発酵を促進するために酸素を送りこんでいるに違いないと思うようになりました。そう思うようになったのは、夕食に酸っぱいミルクが出てきたからです。

そうそう、本日の夕食について。

食べたものは下欄から見ていただけるのですが、どうやらゆでたきゅうりは特別食のようで(他の家で見なかったからそう思っただけですが)、彼らの食事はトウモロコシに大きく依存していることが分かります。

ロバに乗って遠くから汲んできた水は茶色いけれど、その水をお鍋で沸かし、粒の大きなトウモロコシをゆでます。食べている途中で炭の上に置き、コンガリとしてきたら残り部分を焼きトウモロコシとして楽しみます。もう一つの主食が、とうもろこしの粉をおかゆのようにした「ルヘレ」。私たちには、先ほどの酸っぱい牛乳と砂糖をたっぷりかけて、出してくれました。

夕食を作るのは、第一夫人ドンゴーナママでした。食後には、おそらくは貴重な砂糖をいっぱい使った甘い紅茶を作ってくれました。

今日が、月のある夜でよかった。
新月だと、何も見えなくなっちゃうものね。

月の光のおかげで、夜も楽しく、楽しく、楽しくみんなと過ごせました。

私たちはテントを持ってきたので、集落の柵の中に張って、彼らと同じ床の高さで、寝床につきました。

あづさの体、2人の服、もう、「オクラ」で真っ赤っかです。
ああ今私たちは、ヒンバ族と同じ色をしているんだね・・・。



かなり無理しちゃったけれど、ちょっと強引だったかもしれないけれど、ヒンバ族の、ツーリスティックさのない、人が素朴で素晴らしい村に来ることができ、暮らしに混ぜてもらうことができ、こんなに嬉しいことはありません。

今日が、あると、ないとでは、アフリカの旅が終わったときの印象は、格段に違うでしょう。

それほどに、大満足を大きく上回るドラマティックな1日でした。
本日の旅
行動 :ヒンバ族の村へ行く、ヒンバ族の村に泊まる
朝食 :なし(ヒンバ村行きの準備で忙しかった)
昼食 :食パン、レモンクッキー/ヒンバ族の村
夕食 :テ(砂糖いっぱいの紅茶)、エティラ(ゆできゅうり)、ルヘレ(英語名ポリッジ、とうもろこし粉をふかしたもの、これに発酵牛乳と砂糖をたっぷりかけて食べる)、マプング(ゆでとうもろこし、食べている途中で焼く)/ヒンバ族の村
宿泊 :ヒンバ族の村

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旅情報
1ドル=14円

*ヒンバ族の村へ行き方
ヒンバ族の村は、ナミビア北部からアンゴラ南部に比較的広域に分布し、決して単一箇所を指すものではない。ナミビア側ならオプウォからアクセスするのが最も現実的で、車を持たなくても訪問が可能になる。私たちはオプウォの宿の主人にヒンバ族の村に行きたいと相談したら、ヒンバ族の友人を紹介してもらえ、その方の妹が第一夫人として暮らす集落へ連れて行ってもらえた。最初は日帰りという話しでしたが、是非宿泊をとお願いし、ヒンバ族の暮らしに混ぜてもらった。訪問には、食糧などの手土産が決まりのようで、行かれるときは詳しい方のアドバイスを乞うてください。私たちは、車代とガイド代(ヒンバ族の人々に私たちの存在を受け入れる架け橋を作る役目、写真を撮るのにお金を請求しないこと等の説明、風習などの簡単な説明も含む)で2人で350ナミビアドル、その他手土産の食糧で約100ナミビアドル。これでヒンバ族の村に1泊2日滞在させてもらえ、食事も出してもらえた。