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■ダッカ歩き
いつも旅の途中で、近々渡航する国のガイドブックを調達するのですが(実物を得るもしくは写真を撮る)、今回は悔しいことにバングラデシュのガイドブックに縁がなくここまで来てしまいました。シンガポールで泊まった頼りの綱のウェーチェン(世界中の旅行本を持っている)もダメだったんです。彼がここを旅したときは、バングラデシュのあとインドへ入り、インドからガイドブックや土産等を自宅に送ったのですが、バングラデシュのガイドブックを含め、その荷物は、家に届かなかったのだそうです(犯罪の匂いぷんぷん)。
で、それで昨日目指した宿というのが、日本語情報ノートが設置されている宿だった、というわけです。今でこそブログやSNS(ソーシャルネットワーク)で個人が旅情報を発信/世界中から閲覧できる時代になって、「その宿に行かなければ見られない手書き情報ノート」の価値は薄れ、情報を書き残す人も減っていますが、情報の少ない地域では手書きの情報ノートは有難い、心強い存在ですね。
昨夜から今朝にかけて情報ノートを精読した上で、今日はダッカDhakaの市内歩きに出ました。ここは人口密度が高い国(約1000人/km^2)の首都。まず人の多さに驚きます! ・・・でもね、この「人の混沌と行き交う様」こそ、バングラデシュの魅力なんですよね。それは国内にあまり見所とされる観光地要素が少ないから、余計に「バングラは人を見るところ!」と言われています。
さ!今日もお勉強、おべんきょうー!
今でこそヒンドゥー教のイメージが強いインド。
昔は、今のインドとその周辺はヒンドゥーとムスリム(イスラム教徒)が混住していた。
第二次世界大戦終了後、激しい独立闘争の結果、英国が手を引くことになった。
ヒンドゥーをH、ムスリムをMとする。その他少数派宗教はここでは割愛。
現パキスタンの土地 現バングラデシュの土地
【 】 【 】
【 】
現インドの土地
に、
【HM】 【HM】
【HMHMHMHMHM】
と混住していたのが、
【MM】 【MM】←2つあわせてパキスタンという1つの国へ
【HHHHHHHHHH】 ←インド
となった。
比率が0:100、100:0になるわけがないので実際はM交じりのH、H交じりのM。
ムスリム(M)が集まる2つの地が「パキスタン」という独立国家になった(1947)。
国名「パキスタン」は「ムスリムの住むピュアランド(清浄な国)」という意味である。
カシミールについては帰属が解決せず印パ戦争へ(1948~、69~、71~)、現在も未解決。
東パキスタンと西パキスタンは1つの国なのに民族も言葉も文化も違い、国内で共存できなかった。
政治主体が常に西(現パキスタン)で、東パキスタン(現バングラデシュ)は不満を抱え独立を望む。
インドの支援を得て、東パキスタンがバングラデシュとして独立達成(1971)!
パキスタン
バングラデシュ
【MM】
【MM】
【HHHHHHHHHH】 ←インド
・・・バングラデシュがムスリム主体の国でインドがヒンドゥー主体の国なのに仲良しなのが面白いね。現パキスタンがインド最大の難敵だから(中国も難敵だが)「敵の敵とは仲良くできる」ってことなのね。
さて、予備知識の埋め込み完了~☆ 何しろ、「もともとインドと同じ国だった」だけに、言葉も文化も似ている点が残っている、「ぱっと見た目」がインドっぽいからこそ、「インドとバングラデシュの違い」という基本事項をしっかり植えつけていかないと観光がきちんとできません。
では元気よくダッカ観光に出かけましょう! 人口過密都市と呼ばれる混沌の大都会を歩きました。歩いたのは、主にオールドタウン。今いる宿から歩いていける場所です。路地が複雑に入り組んでいて、地図なしで歩くのは相当困難ですが、治安が不安な街ではないのならばこういうところを「彷徨い歩く」のも旅。人の喧騒を、バングラデシュらしさを見るには最高の路(迷路)でした。
人の流れと共によく見かけるのは「リクシャ」(人力車、最近はバイク搭載型もある)。朝の通勤・通学時間帯には細い路地にもリクシャが渋滞を作っています。流石人口の多い(人口密度の高い)街ですね。それを見ながら、リクシャにひかれないように気をつけながら歩いていると、道端では豆料理の行商人がいました。和人が「これはよくあるやつだよ」と教えてくれる -それはインドでパニプリと呼ばれる- ので、興味深く眺めていたら、ムスリムの姿をしたおばさんたちがジェスチャーで「食べなさい、食べなさい」「私がお金を出すからさあ召し上がれ」としきりに勧めてくれるのです。美味しかった。いつのまにかお替わりまで頼んでいてくれて、1つたった2タカか3タカくらいのものですけれど、「旅人に優しいムスリム」を今日もまた実感できてしまいました。ちなみにインドのパニプリは、ここバングラデシュでは「ポチカ」と呼ばれます。
バングラデシュの歴史から、ここはインドからこのあたりにかけて混住していたムスリムが集められた場所、ということになるのですが、先述したように100%ムスリムだけを集約できるわけではなく、ムスリムの中にヒンドゥーが混在しています。その様子も今日はよく理解ができました。ヒンドゥーとムスリムは、女性の伝統的衣装が異なる(顔と手以外を見せないアバヤ着のムスリムとヘソ出しルックでサリーまといのヒンドゥー)ので一見でそれが分かります。
路地を彷徨うように歩いていて、人々の暮らしなどを見て歩きながら、安飯屋でバットとトルカリ(ごはんとカレー)をつつきながら、たどりついた寺は、ムスリムのモスク(礼拝堂)ではなく、ヒンドゥー教の寺でした。いや、至る所にモスクはあるのですが、ちょっと雰囲気が違って目立っていたのです。ちょうど巡礼者たちへの食事が振舞われているところに招いてもらえ、さすがにお腹いっぱいだったので食事は遠慮しましたが、ヒンドゥーの神々についての説明を聞かせてもらったりしました。日本の古典宗教とも言うべき「神道」に多数の神が出てくるように、ヒンドゥーにも神がたくさん出てきます。それは、「イエスのキリスト教」、「アラーのイスラム教」、「ブッダの仏教」 -誰かが説いた教えに従う宗教- と対比させると決定的に、本当に決定的に異なる基盤だと思うわけです。
ハイ、そんなわけで、バングラデシュ初日から思ったことは・・・。
「バングラ、めちゃ面白い!!」
町のここはムスリムの国で、人々の優しさが基礎にあるからこそ言えることだとは思います。もしインドからここに来ていたら「どこかインドに似てるかも」なんて思ったりしてポジ度が下がったかもしれませんが、今回まるきり違う場所(私たちの場合はシンガポール)からやってきたからこそ、面白さが満点です。
本日の旅
行動 :ダッカ観光
朝食 :ポチカ(小麦の揚げふうせんに穴をあけて豆マッシュを入れて酢唐辛子水をかけて食べる)、ムルギリバルガ(チキンのハンバーガー)、カッシリバルガ(ヤギ肉のハンバーガー)/ダッカの路上
昼食 :バット(ごはん)、テンガラマス(小魚から揚げ入りカレー)、ショブジー(小松菜ナスじゃがいものカレー)、ダオル(豆のつぶれたカレースープ)/ダッカの食堂
夕食 :ムルギリビリヤニ(チキンのビリヤニ)、カッシリビリヤニ(マトンのビリヤニ)/宿
宿泊 :ホテルアルラジャックHotel Al-Razzaque
旅情報
1タカ=1.23円
*バングラデシュでの健康アドバイス
元大使館医務官として勤務していた友人がおり、大変に有益なアドバイスを下さいました。
以下転載。
「水が悪いので、ミネラルウォーター以外は飲まないこと。屋台の食べ物はもちろん、レストランの食事でも下痢する可能性が高いですので覚悟してください。新任の大使館員はほぼ全員、赴任して一週間以内に大下痢して苦しんでいました。下痢は止めないほうが良いというのは、バングラでは間違いです。下痢をしたら即座にニューキノロン系の抗生剤と下痢止めを飲むこと。」