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■「Don't Forget モスタル」
ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビアの一構成共和国でした。1991年クロアチア人・ムスリム人(イスラム教徒)連合が独立宣言をすると、これに対しユーゴスラビア連邦軍(ボスニア人・セルビア人)は激しく攻撃、大惨事となる激しい紛争を招きました。そして、今日向かうモスタルMostarは、クロアチア人とムスリム人の戦いが繰り広げられたところです(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、1992年~1995年)。紛争前は3民族が住み分けていた地であるにも拘わらず。
ボスニア・ヘルツェゴビナの旅、・・・それは、激戦の戦火の跡をたどる旅になると、あまり浮き浮きせずに、真剣に何かを感じ取ってこようと、今日の移動を開始したつもりです。以前雑誌か何かで見た、モスタル報道の写真 -壁は崩れ、弾痕がいっぱいの写真- が忘れられず、自分の目でそれを見てみたいと思っていました。真剣に。
が!!(笑)
途中バスの休憩で知り合い、同じバスに乗って旅をしている香枝ちゃん(仮称)が明るく楽しい子で、おしゃべりをしているうちに重さと真剣さが途切れちゃった(^^;; 香枝ちゃんは薬学部卒のOLさんで、ゴールデンウィーク休暇を利用してバルカン半島1人旅をしています。
ボスニア・ヘルツェゴビナに入国してからの車窓風景を見ると、廃墟がぽつんぽつん、新築の家もぽつんぽつん、基本的には草原のところに、新旧の痛い跡が見えます。廃墟は爆撃された様相そのものを残しているのです。
さてモスタルにはお昼前に到着。既に宿を予約している香枝ちゃんとお別れして、私たちも宿を決めて、荷物を置き、まずは現地通貨コンバーティブルマルクを得ようと町中のATMへ。
☆モスタル簡単地図☆
■見所の橋、□普通の橋、◎泊まった宿、△駅
↑クロアチア人地区
━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ←Bulevar St.
↓ムスリム人地区
=□===□=■====□===□== ←川
◎
△
きれいな川には見所の橋「スタリモスト」、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際、クロアチア系ナショナリスト(民族主義者)によって破壊され、21世紀に入って再建されたところです。その北に川と平行に大通りがありそこが激戦を起こした民族同士の境界線(1)。
食事を摂って街を歩くと・・・ あれー? 香枝ちゃんがいるよ? 彼女はATMを探しているそうで、それならばと私たちが先ほど行ったATMに案内し、そこから、今日のモスタル歩きは3人旅となりました。
まず、川の南へ。ここはムスリム人地区です。モスクが幾つかありました。観光名所「スタリモスト」へ近づくほど観光客地区らしさも増していきます。お土産物屋さんやカフェレストラン、路上のアイスクリーム屋さんも増え、観光客がごった返しています。
スタリモスト。先述のように、ボスニア紛争時に破壊され、復旧された石橋。そこを渡って、次は川の北へ。上図「Bulevar St.」を東に向かって歩いてみます。
・・・ここは、・・・すごい。これだ、これがモスタルだ!
あづさが事前に描いていた「ボスニア・ヘルツェゴビナの旅」が、現実になったのです。廃墟であれ現在も利用されている建物であれ、その壁には無数の弾痕・・・。
弾痕に、手を置いて、触ってみる。
えぐられた壁、その穴、握りこぶしが入る大きさ。
壁をこんなにえぐるポテンシャルのある銃弾、ヒトに当たったらどうなってしまうんだろう。
先ほど(1)のところで、この大通りは民族境界線と書きました。民族境界線だからこそボスニア紛争時、ここが激戦地の1つだったのです。あまりの弾痕の多さ、弾痕が残るアパートに今も住み続ける住居、ここは遺跡かと思う崩れ方をしたかつての住居、etc、何を見ても目が離せません。
廃墟の中に入ってみました。ほんのちょっとだけの立ち入りですけど。壁が崩れ2階以上の床が抜け落ちて、瓦礫がいっぱい積もっているの。その瓦礫から芽を出した若い木があって、それを見たらぐっときてしまいました。激戦の跡地で、その若い木は今も頑張って生きようとしている、その光景が苦しみながら生き延びる人々の気持ちと、重なって見えてしまったからでしょうね。
そうそう、通り(Bulevar St.)の北側にも行きました。ここはクロアチア人地区です。今日はメーデーでお店が閉まっているものの、お洒落ブランド店やカフェが並ぶショッピングモールや、清楚な住宅が並ぶハイソな地区でした。ムスリム人地区とは全然雰囲気が違いました。
その後も町を歩き、しばしば目に入る戦争の跡を見ながら、香枝ちゃんの泊まっている宿へ行きました。途中、比較的良い状態で残り、今も使われている建物であっても、「崩れやすいから注意」と書かれた看板があるのをしょっちゅう見かけました。
香枝ちゃんの宿はムスリム人地区にあります。先述の通り、この地のムスリム人とは、もともとセルビア人なりクロアチア人なりがオスマントルコの影響で改宗した人々。トルコつながりで、モスタルには何軒もトルコ人駐在員が住む家もありました。香枝ちゃんの宿はそのトルコ人の家をミュージアム兼ホテルに改装したところなのです。
本当は入場料1人2ユーロなんだけど、すでに宿代を払っている香枝ちゃんと一緒に「お部屋見せてくださーい」って入っていったので、無料で入場できました(^o^) 部屋はとても素敵な室礼だし、何より木造りの部屋は落ち着けますね。今日はそれなりに歩いたので、しばし、3人での良い休息タイムとなりました。
夕方、もう一度、スタリモストに戻りました。1993年に破壊され、2005年に再建が終了した橋は、世界遺産にも登録され、観光客でいっぱいです。また、近くに、武器のかけら、ひょっとしてその橋の残骸? と思われるものに「Don't Forget '93」と書かれた札がついているのが目に入りました。
モスタルの旅を終える今、強く思うことがあります。
戦いの跡地モスタルは、「Don't Forget」(忘れないで)を見に来るところなの。
でも、香枝ちゃんが持っていた日本語ガイドブック「地球の歩き方」にも私たちが持っている英語ガイドブック「Lonely Planet」(Europe on a shoestring版)にも「Don't Forget」的な事柄については書いてありません。それって、広島観光案内に原爆ドームがないのと同じだと思う。
両ガイドブックには、観光地としての橋と、観光客がいっぱいいたムスリム地区の情報(多数のカフェ情報含め)はある。だから、今日私たちが見たうち、橋とカフェレストランエリア以外で、観光客は1人も見ていないのです。
みんな、「Don't Forget」、見に行かないの・・・?
もし、これを読んでくれた人がボスニア・ヘルツェゴビナに行くことがあれば、モスタルに行くことがあれば、かつて激戦の最前線であり、今も弾痕と爆撃の、傷跡だらけの町を見てほしい。地元の人が「Don't Forget -忘れないで- 」と訴えるものを感じてきてほしいと願います。
香枝ちゃん、今日一日ありがとうね♪ 3人歩き、とても楽しかったです!
・・・なお、末筆になりますが、本来ムスリムは「イスラム教徒」を指す言葉で(大辞泉より)、クロアチア人、セルビア人と並んでの「ムスリム人」という言葉は適切ではないと考えます。しかしボスニア紛争を報道する際の議論の結果この表記に取り決められたそうで、今回ボスニア紛争にまつわる日記の記述中は「ムスリム人」という表記を取り入れました。
本日の旅
行動 :ドブロブニクからモスタルへ移動、クロアチア出国、ボスニア・ヘルツェゴビナ入国、モスタル観光
朝食 :パン、昨日のアイバル、コーラ/バス車内
昼食 :Cevapcici(チェバプチチ、ひき肉に塩スパイスを利かせた棒状ハンバーグ)、lepinom(レピノン、平たい丸いパンで面と平行に切れ目を入れ肉の焼き脂で内面を焼いたもの)、Dzigerica(ジュガリツァ、薄いレバーソテーにんにくみじん乗せ)/モスタルのレストラン
夕食 :Cevapcici、Pljeskavisa(ピエスカビッツァ、ひき肉に塩スパイスを利かせた薄いハンバーグ)、lepinom、Domace Kobasice(ドマチュコバスツェ、ボスニアンソーセージ、細くて長い)、Pomfrit(ポムフリット、フライドポテト)、Kajmak(カイマック、クロテッドクリーム)、Pivo(ビール)/昼と同じレストラン
宿泊 :ホステルミランHostel Miran
旅情報
1クロアチアクーナ=17.9円
1ユーロ=146.5円
1コンバーティブルマルク=69.4円
*ドブロブニクからモスタルへの移動
朝8時、午後1時、午後5時、午後10時半にバスが出る。所要4時間弱。私たちは朝8時のバスに乗り、1人87.5クーナ+預け荷物代8クーナを徴収された。荷物はコンパクトにまとめてなるべく車内に持ち込もう。なお、昼のバスだともう少し値段が高くなるらしい(105クーナと聞いた)。