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■モンテネグロへ
バルカン半島の旅が続いていきます。今から向かうモンテネグロは、2006年というごく近年に独立した小さな国です。
覚え書き、これ大事ね。これからコソボも旅するしね。しばらく旧ユーゴの旅が続くので、この旅日記を読んでくれる人にも、読みやすくなるようなバックグラウンドがあったらいいなって思うから、ときにこういう記載も心がけています。
スとかクは現在の国名の最初の一文字です(カーソルあてると国名も出ます)。
1992年まで、
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国=セ(含コ)+モ+ス+ク+ボ+マ。
よし。もと、
セモスクボマ。ふむふむ、せもすくぼま…っと(・・*
なお、あづさが高校で世界史を習っていたのはこの時期でした。
6つの国家のゆえ様々な民族・宗教と諸種の問題を抱える国、として、先生の語りは熱かったよ。
1991年より分離解体、
スクボマがそれぞれ離れ、
ユーゴスラビア連邦共和国=セ(含コ)+モ
セモセモセモ…(・・*
国が4つ減ったら国名も4文字減っちゃった(←こういうの書くのが予備校講師だね)。
これより紛争と激戦の時代へ。多数の死者も出た悪夢の時代へ。
2003年国家再編、
セルビア・モンテネグロ=セ(含コ)+モ
中身は変わらず
セモ。でも、モンテネグロ側の独立意識およびEU加盟の夢は大きい。
そこからわずか3年・・・
2006年モンテネグロ独立。
ついに旧ユーゴスラビアの構成連邦国家はばらばらになりました。
2008年コソボ独立。
セ→
セ+
コへの分離。
今は2009年。
今日からモンテネグロの旅の始まり。
それは、旧ユーゴスラビアをめぐる、最初の1日目。
旧ユーゴ外であるアルバニアからの移動はちょっと大変でした。アルバニアのシュコードラShkodraに行ったらあるはずのミニバスは撤廃(?)されていて、ふっかけタクシーがいっぱい(国境越えに30ユーロとか言ってくる)いる中、八方尽くしたら安く行ってくれるタクシー運ちゃんにやっと出会ったので、国境を越えてモンテネグロ南部のウルチンUlcinjまで行きました。またウルチンから首都ポドゴリツァPodgoricaへ行くバスも、予想していた以上に遥かに多くの本数がありました。
ポドゴリツァには、日本人とフランス人のハーフ、アナイスに会いにいったようなもんです。アナイスは日本にあまり住んでいないのに日本語もぺらぺら。顔立ちも日本人に似ていて、とても親近感のある女性なの。
アナイスと、もう1人泊まりに来ていたフランス人くんと4人でモンテネグロ料理店に行ったりしながら、会話も弾むと(やっぱり日本語は会話が弾む!)あっという間に時間が経っていきました。
最後になりますが・・・モンテネグロは「黒い山」という意味なんですよね。移動のときもその山が如何なるものかを見たいと思っていたのですが、別段黒いものはなく、ごく普通の風景しか見られませんでした(^^ゞ 国土のどこかに本当に黒い山があるのかしら? ご存知の方是非教えてくださいね!
本日の旅
行動 :ティラナからポドゴリツァへ移動、アルバニア出国、モンテネグロ入国
朝食 :塩むすび、トマトじゃがいも玉ねぎソテー/ラリーおじさんち
昼食 :朝+ゆで卵/バスの中
夕食 :Teleci paprikas(テレチパプリカシュ、パプリカの粉で仕立てた仔牛のシチュー)、Pastrmka przena(パストゥルムカプルジェーナ、マスのフライ)、Popeci(ポペツ、カッテージかフェタのようなチーズを鶏肉で巻いて衣つけて揚げたもの)、Pivo(ピーボ、ビールのこと)/ポドゴリツァのレストラン
宿泊 :アナイスんち
旅情報
1アルバニアレク=1円
1ユーロ=146.5円
*アルバニアからモンテネグロの国境越え
ティラナから北上するトランスポートはシュコードラまでしかないようだった。国境行きなども探したがなかった。シュコードラでは事前情報ではあったはずのミニバスが見つからず(撤廃か?)、タクシーも言い値は高い。私たちは手持ちレク残金が1570レク(約12ユーロ分)だったので、それで国境を越えた先のウルチンまで行ってくれるタクシーが幸いみつかった。ウルチンではバスターミナルで降ろしてもらうと次の移動が続けられるのでよいだろう。
シュコードラ→アルバニア側国境→モンテネグロ側国境→ウルチンまで、所要1時間20分。
しかし、国境で、国境を越えるバスを見てしまった。どこから出発したのか不明(多分シュコードラではない)。