2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
 旅して » 2人の世界旅 »旅日記 » ルワンダ »
 旅して » 旅紀行 »旅日記 » 世界旅» ルワンダ »
ルワンダ>2008年08月03日(Sun)
キガリ
:: 旅451日め : 世界旅71ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ92ヶ国め ::

■ルワンダの歴史
ルワンダの歴史背景を知らないと、今日の旅は理解しにくくなってしまいます。簡単にするほど語弊も出るものですが、プチ紹介ということでお許し下さい。

ツチ族は、人口比率の少ない長身の牧畜民。フツ族は、人口比率が高い短身の農耕民、
ルワンダは、独立するまでは、ツチ族支配(およびベルギー間接統治)の王国でした。
1959年の王の死去後、選挙で多数派のフツ族が政権をとり、ルワンダは独立国となりました。
ツチ族は近隣国へ亡命しました。
南の隣国ブルンジはツチ族政権の国であり、ルワンダツチ族の越境攻撃を支援しました。
北の隣国ウガンダからルワンダツチ族による反政府組織(ルワンダ愛国戦線RPF)が侵攻し内戦勃発。
いったんは和平合意を迎えたものの、フツ族大統領の疑わしい死を発端に対立が再発しました。
政府軍とフツ族過激派が、ツチ族並びにフツ族穏健派の大量虐殺を始めたのです。
その数は、100日間に80万人から100万人とも・・・。

1990年代初頭のルワンダは、虐殺の渦でした。

■虐殺記念館へ
上記のような背景から、ルワンダ観光のポイントの1つとなっているのが、虐殺記念館です。原爆ドームしかり、アウシュビッツしかり、暗い歴史背景をもつ観光名所というものは、世界に幾つもありますよね。ルワンダ国内にもいろいろなところ虐殺記念館があるようなのですが、私たちは今いる首都キガリKigaliのものに行くことにしました。ミニバスと徒歩で、簡単に行くことができました。

入場は無料です。植樹も噴水もきれいで、白亜のモダンな建物は、「虐殺記念館に、ちょっとこのオシャレさは、いかがなものかと・・・」と、躊躇を覚えるものでした。説明は英語とフランス語です(他言語イヤホンは有料ですが日本語サービスはありませんでした)。道順に従って順々にパネルを見ていくと、いろいろな角度から、ルワンダ虐殺について学べる仕組みになっています。

生々しい流血の写真パネル、テレビモニター画面からは目を閉じたくなるほどの酷い傷口。そうそう、飼っている牛の数やおでこの長さで、ツチ族とフツ族の識別したというのですから、そんなんで虐殺対象になってしまうのかと思うと、やるせない気持ちも湧き上がってきてしまいます。

とある一室は、人骨陳列室でした。泉門(頭蓋骨頭頂部の継ぎ目)の閉じた、すなわち大人の骨ばかりが並べられていました。子供はあまり殺されなかったということ? 館内のどこかのパネル説明では、虐殺に引き続く大量の孤児問題のことが、取り上げられていました(もちろん命を落とした子供もいたでしょうけれど)。

明るいウキウキした気持ちになれる場所ではありません。折角来たのだから、めいっぱい説明文を読んでめいっぱい学ぼうと思っていると、知れば知るほど気分が滅入ってしまうものです。

そうそう、ここは、白人観光客がいっぱい来ていましたっけ。ボランティアの人もいるのかもしれませんが、彼らはこれらの展示を、どう見ているのでしょうか。

一通りの閲覧を終え、建物の外に出て、ベンチに座りました。

植樹も噴水もきれいで、白亜のモダンな建物を前に腰掛けていると、心が安らかになり、沈んだ気持ちが薄れるようでした。入る前は「虐殺記念館に、ちょっとこのオシャレさは、いかがなものかと・・・」などと思ってしまいましたが、今は、「虐殺記念館が、心安らぐ外観で良かった」とさえ思っています。

「虐殺記念館」、ここは、展示物なども豊富で、とても真面目に作られた場所。
建物内部は写真撮影禁止なので、ここでその展示を紹介することはできません。
ルワンダに行く機会があれば、是非訪れてほしいと思う場所です。

さて、午後はきれいな市街地を見ようと散策していましたが、日曜日でお店が閉まっていて寂しい感じだし、気分が疲れていたため、その時間もあまり長くとりませんでした。

写真・・・きれいですよね。首都中心部は大変に整備されている印象を受けました。昨日、宿の受付のお兄さんとおしゃべりする機会があったのですが、彼はしきりに「キガリは変化した、キガリは変化した」と、連呼していましたっけ。

国連広場

午後は部屋に戻って、2人で静かに過ごしていました。
今日のような日は、こういう午後を過ごすのが、いいなぁ。
本日の旅
行動 :キガリ観光、虐殺記念館訪問
朝食 :Ichayi(イチャイ、甘い紅茶)、Agatogo(アガトゴ、1つの鍋で作るという意、今回のはモツとバナナピーマントマト煮込み)/キガリの食堂
昼食 :メランジェ(いろんな鍋から取り出したという意、今回のはイニャマインカ(牛肉煮込み)、キラーイ(揚げジャガ)、イトーチェ(バナナ)、ムチェリ(ごはん)、イビシンボ(煮豆))/キガリの食堂、ビール/キガリのバー
夕食 :ムチェリ(ごはん)、アボカドトマト千切りキャベツオニオンビーツレタスマヨネーズのサラダ、ニビライ(じゃがいも煮)、イソンベ(マニオクの葉のどろどろ煮)、揚げヤムイモ、肉煮込み、チップス(フライドポテト)/キガリの食堂
宿泊 :モンキガリロッジMont Kigali Lodge

関連ページ
行程 行程  お金 お金  写真 写真  お宿 お宿  ご飯 ご飯  ≫2人の世界旅トップ

旅情報
1フラン=0.2円

*虐殺記念館への行き方
私たちが訪問したのはキガリ市内にあるもの。まずニャブゴゴNyabugogoタクシーパークへ行き、カチルKacyiru行きミニバスに乗る。虐殺記念館「ギソジGisoziのメモリアルジェノサイドサイト」へ行きたいことを伝えると、出発して10分くらいのところで降ろしてくれ、谷の反対側に見える白い建物を教えてくれるだろう。所要170フラン。そこにはバイクタクシーも止まっているが、歩いても長くかからない距離である。虐殺記念館は入場無料。