沿ドニエストル共和国
モルドバ東部で独立宣言している国内国。
ロシアの傀儡政権とも言われ、色々問題のある国で、将来的にも独立できるとは思えない地域。
訪れた感想は、驚くべきほどの寂れ方に呆れた。独自通貨まで発行し、もっと独立国ぽいのかと思ったが、全然ダメだった。
ロシアの傀儡政権とも言われ、色々問題のある国で、将来的にも独立できるとは思えない地域。
訪れた感想は、驚くべきほどの寂れ方に呆れた。独自通貨まで発行し、もっと独立国ぽいのかと思ったが、全然ダメだった。
コソボにおける使用通貨
ユーロ導入より前の国連暫定統治時代からすでにドイツマルクを使用しており、現在はユーロとなっている。
ところが、セルビア人地区ではセルビアディナールが使用されており、ビックリ。一時期はセルビアとの行き来が難しかった時代もあり、セルビアディナールが大暴落で紙切れ化した時代もあったのに、いまだこれに固執しているとは・・・。
ところが、セルビア人地区ではセルビアディナールが使用されており、ビックリ。一時期はセルビアとの行き来が難しかった時代もあり、セルビアディナールが大暴落で紙切れ化した時代もあったのに、いまだこれに固執しているとは・・・。
セルビアとコソボの両方を訪れるには
セルビア側から見るとコソボはセルビア領。コソボに他国から入るとセルビア側にとっては、セルビアの入国手続きを経ずにセルビアに入国した不法入国者とみなされる。したがって、他国→コソボ→セルビアは不可能。
他国→セルビア→コソボは無問題だが、コソボから他国に出た場合はセルビアを不法出国したことになり、セルビアには以降入れなくなる。つまり、他国→セルビア→コソボ→他国・・・他国→セルビアは不可能。将来のことを考えてセルビア側のルールを遵守しておくには、他国→セルビア→コソボ→セルビア→他国と移動しておくのが無難。同じ国境を通る必要はなく、コソボからマケドニアに抜けたいのならプリシュチナから南東に進んでセルビアに戻ればよい。ただし、スコピエに行くのにバスを3本乗り継がねばならなくなるのでセルビアに戻る予定のない我々はコソボからマケドニアにまっすぐ抜けた。
他国→セルビア→コソボは無問題だが、コソボから他国に出た場合はセルビアを不法出国したことになり、セルビアには以降入れなくなる。つまり、他国→セルビア→コソボ→他国・・・他国→セルビアは不可能。将来のことを考えてセルビア側のルールを遵守しておくには、他国→セルビア→コソボ→セルビア→他国と移動しておくのが無難。同じ国境を通る必要はなく、コソボからマケドニアに抜けたいのならプリシュチナから南東に進んでセルビアに戻ればよい。ただし、スコピエに行くのにバスを3本乗り継がねばならなくなるのでセルビアに戻る予定のない我々はコソボからマケドニアにまっすぐ抜けた。
パルテノン神殿の入場券
周辺にある遺跡を合わせた6ヶ所共通チケットしか発売していない。12ユーロ。見応えのある場所が多く、一日で全部をまわるのは大変かも。でもぜひ全部見よう! ちなみに冬の間は日曜無料。他にも色々無料日があり、観光局のサイトなどに無料日の一覧がある。
キプロスのグリーンラインを越える
事前情報では2004年に行き来が緩和されたのはEU加盟国在住者のみだったが、実際には何の問題もなかった。
通れる場所はたくさんあるらしい。実際に通ったのは2往復3ヶ所で、他に少なくとも2ヶ所存在を教えてもらった。
ただし、公共交通機関はまだないとのこと。車がない人はレフコシア/レフコーシャの中心にある歩行者のみ通行可能のチェックポイントを越えるのが良いと思われる。ここは完全に観光地化しており、グリーンライン上やイミグレーションの写真をとってもまったく問題ない。他のチェックポイントは南北の緩衝地帯が広く、そこを徒歩通過させてくれるかどうかが怪しいと思われた。(ヒッチは簡単そう)
南側はパスポートを見るだけ。北側は出入国カードを記入し、別紙にスタンプを押してくれる。複数回行き来する場合には、この別紙を見せると出入国カードを書く必要がなくなる。
通れる場所はたくさんあるらしい。実際に通ったのは2往復3ヶ所で、他に少なくとも2ヶ所存在を教えてもらった。
ただし、公共交通機関はまだないとのこと。車がない人はレフコシア/レフコーシャの中心にある歩行者のみ通行可能のチェックポイントを越えるのが良いと思われる。ここは完全に観光地化しており、グリーンライン上やイミグレーションの写真をとってもまったく問題ない。他のチェックポイントは南北の緩衝地帯が広く、そこを徒歩通過させてくれるかどうかが怪しいと思われた。(ヒッチは簡単そう)
南側はパスポートを見るだけ。北側は出入国カードを記入し、別紙にスタンプを押してくれる。複数回行き来する場合には、この別紙を見せると出入国カードを書く必要がなくなる。
北キプロス
現在キプロス北部は北キプロス・トルコ共和国という実質的な独立国となっている。
もともとこの島にはギリシャ系住民とトルコ系住民が平和裏に混住していたが、1960年に英国支配から脱し、独立した辺りからきな臭くなり、1974年、ついにギリシャ併合派がクーデターを試みた。これは独立前に英国、ギリシャ、トルコの間で定められた条約に反しており、トルコ政府はギリシャのキプロス併合阻止、すなわちトルコ系住民の保護のために軍を出動させた。
この結果、トルコ軍が北部を支配、南部に住んでいたトルコ系住民の大半は北部に脱出し、北部に住んでいたギリシャ系住民は南部に脱出した。停戦ラインは国連が管理するグリーンラインという緩衝地帯となり、住民の行き来は途絶えることとなる。
国際的には、北部がトルコによって不法占拠されているかのような解釈となっているが、両側の歴史を読む限り、私にはそうは思えない。欧州に属するギリシャの立場を欧州各国が支持し、日本政府もその立場に乗っているような・・・。
トルコ系住民は元の対等に近い権利を主張しているだけで、独立を望んでいないのに(北側は欧州各国からの行き来を締め出された状態で経済が成り立つわけはなく、本当の独立など不可能・・・)ギリシャ系政府が拒否し続けた(ギリシャ系政府の主張は1974年前の体制に戻すだが、混住してた住民が完全に分離してしまった以上これも不可能・・・)ため、結局1983年に北側は独立宣言することとなる。
南政府のEU加盟に関連し、2004年には国連が交渉を仲介、再統合へ向けた南北同時住民投票が行われたが、南側の反対多数により否決された。歴史経緯を知らないためか、“不法”占拠側住民が統合賛成で南の住民が反対だったことが、予想外であるかのように日本では報道されていたのが、歯がゆい・・・。
2004年、南政府がEUに加盟。以降、南北の行き来の制限が徐々に緩やかになり、現在では少なくとも観光客の行き来は自由となっている。我々にとってはありがたいこと。
もともとこの島にはギリシャ系住民とトルコ系住民が平和裏に混住していたが、1960年に英国支配から脱し、独立した辺りからきな臭くなり、1974年、ついにギリシャ併合派がクーデターを試みた。これは独立前に英国、ギリシャ、トルコの間で定められた条約に反しており、トルコ政府はギリシャのキプロス併合阻止、すなわちトルコ系住民の保護のために軍を出動させた。
この結果、トルコ軍が北部を支配、南部に住んでいたトルコ系住民の大半は北部に脱出し、北部に住んでいたギリシャ系住民は南部に脱出した。停戦ラインは国連が管理するグリーンラインという緩衝地帯となり、住民の行き来は途絶えることとなる。
国際的には、北部がトルコによって不法占拠されているかのような解釈となっているが、両側の歴史を読む限り、私にはそうは思えない。欧州に属するギリシャの立場を欧州各国が支持し、日本政府もその立場に乗っているような・・・。
トルコ系住民は元の対等に近い権利を主張しているだけで、独立を望んでいないのに(北側は欧州各国からの行き来を締め出された状態で経済が成り立つわけはなく、本当の独立など不可能・・・)ギリシャ系政府が拒否し続けた(ギリシャ系政府の主張は1974年前の体制に戻すだが、混住してた住民が完全に分離してしまった以上これも不可能・・・)ため、結局1983年に北側は独立宣言することとなる。
南政府のEU加盟に関連し、2004年には国連が交渉を仲介、再統合へ向けた南北同時住民投票が行われたが、南側の反対多数により否決された。歴史経緯を知らないためか、“不法”占拠側住民が統合賛成で南の住民が反対だったことが、予想外であるかのように日本では報道されていたのが、歯がゆい・・・。
2004年、南政府がEUに加盟。以降、南北の行き来の制限が徐々に緩やかになり、現在では少なくとも観光客の行き来は自由となっている。我々にとってはありがたいこと。
キプロスでレンタカー
キプロスでは日本の運転免許書が有効。つまり、国際免許が切れている我々でも大丈夫!
というわけで久しぶりにレンタカーに挑戦。レンタカー会社の規則で読めない免許=日本の免許はダメというところもあったが、問題なく借りることが出来た。
日本と同じ右ハンドルなので走りやすい。北キプロスにも入れる。ただし、北キプロスでは南の保険が効かないので、入国時に強制保険加入が必要。
というわけで久しぶりにレンタカーに挑戦。レンタカー会社の規則で読めない免許=日本の免許はダメというところもあったが、問題なく借りることが出来た。
日本と同じ右ハンドルなので走りやすい。北キプロスにも入れる。ただし、北キプロスでは南の保険が効かないので、入国時に強制保険加入が必要。