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キプロスからギリシャへの道

移動|20May2009|URL
 現在南キプロスへの定期客船は運航していないので、海路を取るなら、北キプロスからトルコを経由することとなる。
 空路は何路線も飛んでいる。

 キプロスエアーでラルナカからクレタ島に飛んだところ、荷物を無くされそのまま出てこず;;)v 今の所何の保証もなし、ひどいものだ・・・
 ちなみに届かなかった荷物は、積み残し。翌日はキプロスエアー便がなく、アゲニア航空でクレタまで飛んできたところまでは分かっているらしいが、降ろし忘れでそのままロードス島に運ばれ、以降永遠に行方不明。

キプロスのグリーンラインを越える

情報|19May2009|URL
 事前情報では2004年に行き来が緩和されたのはEU加盟国在住者のみだったが、実際には何の問題もなかった。
 通れる場所はたくさんあるらしい。実際に通ったのは2往復3ヶ所で、他に少なくとも2ヶ所存在を教えてもらった。
 ただし、公共交通機関はまだないとのこと。車がない人はレフコシア/レフコーシャの中心にある歩行者のみ通行可能のチェックポイントを越えるのが良いと思われる。ここは完全に観光地化しており、グリーンライン上やイミグレーションの写真をとってもまったく問題ない。他のチェックポイントは南北の緩衝地帯が広く、そこを徒歩通過させてくれるかどうかが怪しいと思われた。(ヒッチは簡単そう)
 南側はパスポートを見るだけ。北側は出入国カードを記入し、別紙にスタンプを押してくれる。複数回行き来する場合には、この別紙を見せると出入国カードを書く必要がなくなる。

キプロスの通貨

情報|18May2009|URL
 南キプロスの通貨はキプロスポンドからユーロに変わっている。北キプロスは今もトルコリラ。

北キプロスの遺跡

世界遺産|17May2009|URL
政治的な問題で北キプロスの遺跡は世界遺産登録されていないが、世界遺産に登録すべきものは数多くある。中でも有名なのはサラミス遺跡。バスで行けるが、本数は少ない。

97トロードス地方の壁画教会群

世界遺産|16May2009|URL
 キプロスの山中に点在する村々に分散しており、公共交通機関で行くのは困難である。

96パフォス

世界遺産|15May2009|URL
 キプロス第2の国際空港があるパフォスの街中にある。レフコシアやラルナカからの直行バスはなく、リマソール乗り換えとなる。
 メインの遺跡だけでも広大で見学には時間がかかる。一部は街中や郊外にも分散。すべてを見るなら我々のようにレンタカーが必須かも。

95キロキティア

世界遺産|14May2009|URL
 キプロスで最初に訪問した世界遺産。
 レフコシア・リマソール or ラルナカ・リマソール間のバスで途中下車すれば行けるが、我々はレンタカーで訪れた。
 小さな遺跡なので、中は徒歩ですぐに見終わる。

北キプロス

情報|13May2009|URL
 現在キプロス北部は北キプロス・トルコ共和国という実質的な独立国となっている。
 もともとこの島にはギリシャ系住民とトルコ系住民が平和裏に混住していたが、1960年に英国支配から脱し、独立した辺りからきな臭くなり、1974年、ついにギリシャ併合派がクーデターを試みた。これは独立前に英国、ギリシャ、トルコの間で定められた条約に反しており、トルコ政府はギリシャのキプロス併合阻止、すなわちトルコ系住民の保護のために軍を出動させた。
 この結果、トルコ軍が北部を支配、南部に住んでいたトルコ系住民の大半は北部に脱出し、北部に住んでいたギリシャ系住民は南部に脱出した。停戦ラインは国連が管理するグリーンラインという緩衝地帯となり、住民の行き来は途絶えることとなる。
 国際的には、北部がトルコによって不法占拠されているかのような解釈となっているが、両側の歴史を読む限り、私にはそうは思えない。欧州に属するギリシャの立場を欧州各国が支持し、日本政府もその立場に乗っているような・・・。
 トルコ系住民は元の対等に近い権利を主張しているだけで、独立を望んでいないのに(北側は欧州各国からの行き来を締め出された状態で経済が成り立つわけはなく、本当の独立など不可能・・・)ギリシャ系政府が拒否し続けた(ギリシャ系政府の主張は1974年前の体制に戻すだが、混住してた住民が完全に分離してしまった以上これも不可能・・・)ため、結局1983年に北側は独立宣言することとなる。
 南政府のEU加盟に関連し、2004年には国連が交渉を仲介、再統合へ向けた南北同時住民投票が行われたが、南側の反対多数により否決された。歴史経緯を知らないためか、“不法”占拠側住民が統合賛成で南の住民が反対だったことが、予想外であるかのように日本では報道されていたのが、歯がゆい・・・。
 2004年、南政府がEUに加盟。以降、南北の行き来の制限が徐々に緩やかになり、現在では少なくとも観光客の行き来は自由となっている。我々にとってはありがたいこと。