準備編・2004年5月 ~旅3ヶ月前~ 
『そうだ、一人旅をしてみよう』と思い始めました(#^.^#)
まずは旅先を決めるところから、今までにない大研究☆が始まりました。


*** 私の旅先の決め方 ***

だって折角の女一人旅だもの~(*^.^*)
パックツアーなどで気軽に設定されているようなコースは歩きたくない
(これは多分見栄なのだが)という気持ちが満載です。
  1. まず、約200ヶ国のリストを作ります。
  2. ヨーロッパ、北米、アジアなど、行きやすい国を消します。
  3. 一度行ったことのある国とこれから旅をする可能性がある国を消します。
  4. 自分自身にとって興味のない国(多くはキリスト教や仏教の宗教が根付く国)を消します。
そう・・・残ったのはアフリカのサハラ周辺諸国なのでした。
それは、一応地球6大陸を制覇している私にとって課題点でもありました。
だってアフリカ大陸で訪れているのはエジプトだけなんだもん。
エジプトに行ってアフリカに行ったことにしていいの!?って思うんです。
あそこはイスラム文化が根付き、なんだか中東諸国のような感じ。
私は、アフリカに行くならよりアフリカらしいところに行かなければならない、
それでこそ6大陸制覇なんだと、今までの旅実績の後押しをしたいと思いました。


*** アフリカの行き先の決め方 ***

私の職場には世界史の教職を勤めてきた人がいます。
その人に『夏休み、アフリカ行こうと思っているんですよ。
ガーナ、チャド、ウガンダ…アフリカには南米の何倍も国があって迷ってます』
なんて相談してみました。

そこで返ってきた彼の一言は私にとって極めて衝撃的なもので
『でも、西と北のアフリカはフランスの匂いがぷんぷんしますよ。
東と南はイギリスの匂いがぷんぷんしますよ』

『!』

それは私にとって衝撃の言葉でした。
確かに西アフリカなどはフランスの植民下に置かれた歴史があり、
公用語までもがフランス語という国が多くあります。
それはそれでいいし
他国に支配された史実がその国の姿であることは確かなのですが
『一世一代のアフリカの旅が、フランスの匂いでいいのかしら・・・』と、
一気に西アフリカと北アフリカへの興味が萎えてしまいました。サヨウナラ。
同様に東アフリカと南アフリカはイギリスの植民下でした。こちらもサヨウナラ。

*

「私は、何を感じ取りにアフリカに行きたいんだろう」
そう思ったとき、ノートを広げ、感じ取りたいものを書き連ねました。



「空気、土、人、ブラックアフリカ、マザーアフリカ、空、太陽、訳の分からなさ…」

うふふ、面白いでしょ。
個人的に動物サファリはどーでもよい、というかいらないというマイナス要素なのです。
日本で暮らす私にとって衝撃的な異世界に飛び込みたい気持ちがあるんです。
通念も感覚も何もかもが違う空間に飛び込んでみたかった。
本当に、訳の分からない国に行ってみたかった・・・。

そこまで確固たる信念があるならば行き先は決まったも同然です。
『明らかなる異世界』
つまり、アフリカの中で唯一ヨーロッパの植民地になっていないエチオピアです。
ほんの数年イタリアに占有されたことがあるくらいで、植民地になっていない。
だからこそその大地が何百万年も前からはぐくんできた匂いがあるはず!

アフリカに行ってビルディングやビジネスマンを見るのもナンだなぁ~って思い、
いつしか私の目的は、原始的で土着的な古代から伝わるアフリカらしいアフリカ…
そう、薄れゆくわずかに残されたアフリカの姿を目に残すことだと固まってきました。

しかもエチオピアは、地球で初めて人類が生誕した人類発祥の国なんです。
(チャド説、タンザニア説もありますが、エチオピア説も濃厚です)
地球規模の古い歴史がありながらも文明の侵食の薄い暮らしを続ける国であり、
そして、私が目に記憶しておきたい古代民族の宝庫でもあります。
そしてちょっぴり安心なのは、地球の歩き方と旅行人ノートの2つのガイドブックで
(少々ですが)移動情報などが紹介されていることと、
現地語(アムハラ語)以外の言葉としては英語の流用度があることです。

私はおそらく現地滞在6日程度の旅しかできないので、
アフリカを何ヶ月もかけて歩きわたる人と同じ感覚ではダメなんです。
現地に到着したのにまったく動けないのでは旅が出来ないのと同じになってしまいます。
だから少々であっても情報誌が存在することと英語が通じることは、
エチオピアをアフリカの旅先に選ぶ、大きな決定打の1つでした。

いうことで、私の初めての一人旅は、エチオピア『古代民族、探検の旅』に決定です。

*

ところでところで!私が目的にしたかったエチオピア南部辺境地は
『水曜スペシャル藤岡弘、探検隊』が進んだルートとかなり重なるんですよ!

http://www.tv-asahi.co.jp/tanken/
↑ここ↑

なんだかすごいでしょう~(*^o^*)

…でも、果たしてそんな、テレビ撮影隊が巨額を費やして進むルートに、
女一人旅で行って帰ってこれるのかは、私にも分かりません。
 準備編・2004年6月 ~旅2ヶ月前~ 

さて、行き先の目途がつきました。
エチオピアが掲載されている地球の歩き方を買って、
まずは都市名と移動所要時間、地図上の位置を頭に叩き込みます。

うーん・・・

首都アディスアベバが国の中央にあるので北部と南部両方まわるのは無理だわ。
私の行き先は、もちろん南部の特殊民族の宝庫、に決定です!!
首都アディスアベバ以南、特に南部の街ジンカを拠点とするわけです。
そこまで行き先と大まかな日程がイメージできたら航空券と所要手配の準備です。
  1. 西遊旅行:秘境旅行専門の会社です。世界各国秘境系あれこれ手配できるのはよいのですが、エチオピアで徹底的に。。。ということになると弱いなぁと感じました。ともあれ、私のエチオピア旅行について『あちらは国内線がうまく飛ばないから』というアバウトな理由で反対され、こちらでの手配は終了。
  2. 道祖神:アフリカ専門の会社です。マリやサハラなどイイ味のツアーもたくさん出しています。でもやはりエチオピアとなると弱いなぁと感じました。ともあれ、私のエチオピア旅行について『あちらは国内線がうまく飛ばないから』というアバウトな理由で反対され、こちらでの手配は終了。
さてそんなわけで、私が考えていた2つの会社からエチオピア行きを反対されました。
でも反対するという姿勢はとてもありがたいもので、
エチオピア行きをより真剣に慎重に検討するきっかけになりました。
インターネットの旅行記も今までの旅の情報収集に比べて明らかに少なく、
旅行情報収集も、ネットでは限界まで調べました。

本当に女一人旅で行って帰ってこれるのかは、いつになっても分からないまま。
そうして悩んでいるうちに「ただ行ってみたいだけなのか、本当に行きたいのか」すら
自分自身が分からなくなってきちゃうんです。 だって・・・(TT)
アフリカは、未知なる病気と未知なる媒介動物が満載なのですよ。

学生時代、公衆衛生学や予防接種学、医動物学といった科目が大好きで(笑)、
ほとんどマニアのように楽しく勉強していたわけなのですが、
そんなわけで私には馴染み深い南京虫、ハマダラカ(マラリアを媒介する)、
ツェーツェーバエ(ガンビアトリパノソーマ、いわゆるアフリカ睡眠病を媒介する)、
しかーもエボラ出血熱に至っては丁度隣国スーダンで発生してるじゃーん、んもう。

そんな一類感染症にかかったら東京ではどこの病院に収容されるんだ?
なんて夜な夜な調べてしまったりして。でもかなり深刻なことなのですよ。
『行って、本当に帰ってこれるのだろうか・・・』
様々な感染症という見えない敵の多さに、こればかりは本当に悩み続けました。

*

しかしもっと悩んだのは、移動できないかもしれないという『完全に見えない敵』です。
エチオピア滞在のリミットは6日のみ。
超不安定な国内線、超不安定なバス移動。
何より時刻表も路線もつかめない情報収集。
短い旅日程の中で、帰りの国際線に間に合う移動が出来るのかどうか・・・
旅計画を立てれば立てるほど不安が大きくなります。
そんな状態で、ほんの数ページしかない地球の歩き方情報と
数少ないインターネット情報を日々眺めては、
エチオピアへの渡航自体を悩む日々が今後数十日も続くことになります。
ホント、女一人旅で行って帰ってこれるのかは、私にも分かりません…。
 準備編・2004年7月 ~旅1ヶ月前~ 

エチオピア行き自体を悩んだまま、職場全体の夏休みの出勤担当日が決まりました。
希望通りに休みを取ることができました(もりもり働いたからね、ふふふ)。
そうしたら流石に旅の手配を始めなければならない・・・
そう思ってからも、さらにまた2日悩み続けました。

でも夏のエアーを取らなくちゃと思い、ふらりと近所のJTBに立ち寄りました。
JTBのカウンターに呼ばれるそのときまでエチオピア行きを悩んでいました。
でも、カウンターに呼ばれてしまったので(当たり前か)、
不安なままエアーの手配を進めていくことになってしまいました。
  1. JTBトラベランド:いつも航空券を手配していることからすっかり顔なじみの上顧客です。それに甘えてマイナーなホテルや無謀な現地国内線などを手配してもらっています。またJTBのツアーでエチオピアを扱った商品を出しているので何とかすればエチオピア航空のチケットだって取れるはず!と思っていました。そしたら自社では取扱いはないけれど、かわりにエチオピア航空のチケットに強い会社を紹介してくれました。こういう対応までバッチリなので、さすがJTBサマサマ大好きです。
  2. 日本エアービジョン:エチオピアの空路に強い会社ということでJTBトラベランドから紹介してもらった会社です。んまー素晴らしいもんです。まず担当者がエチオピアに詳しく、旅行会社2社で異口同音に言われた、『あちらは国内線がうまく飛ばないから』というアバウトな説明も、『確かに1日2便飛行機を飛ばしている都市への周航は集客状況によっては1日1便にまとめてしまうなんてことがあります。でもジンカ方面は週に2便しかないので、フライトの遅延はあったとしてもフライトキャンセルになるようなことは滅多なことではございません』という、納得理由つきの回答をいただけました。私はとても信頼感をおくようになりました。もともと事前情報の少ないエチオピアの旅ですが、エチオピア航空の出している全フライトスケジュール本とエチオピア航空機内誌、その他いろいろをカウンターでもらうことができました。この会社に出会えて本当によかった。その他、現地のことをいろいろと教えていただけたため、私の事前準備が相当違ったものになったのも事実です。このままこちらの会社にエチオピア入国査証(ビザ)の手配もあわせてお願いしました。そもそもJTBから紹介してもらったためか、担当してくださったのはお偉いお方だったんです。とても素敵なことです。
エチオピア行きを考えると心が潰れそうで涙が出そうなほどの不安を取り除いてくれたのは唯一この会社だけでした。本当に本当に本当に本当にありがとうございました。
 準備編・2004年8月 ~いよいよ旅~ 

8月に入ると仕事は超~忙しいのですが(←これ、いつも書いていますね、笑)、
わずかな時間の隙間をついて準備も着々と進めていきました。
  1. 東京検疫所:黄熱病の予防接種を受け、イエローカードを発行してもらいます。医師にワクチンのいろいろを直接教えてもらえ、またまた勉強させていただけました。
  2. 100円ショップ:S字フック(一人旅なのでトイレに行くときも全部荷物を持ち込まなければならないだろうから、荷物かけが必要)を買ったり、ビーチサンダル(汚い宿だろうから水を浴びるときなどに使用する予定)などを買ったりしました。
  3. 近所の薬局:蚊&蠅にW効果な蚊取り線香(ハマダラカやツェーツェーバエ対策)、虫除けスプレー電池式(リュックに吊るして歩こうかなと)、ダニアーススプレー、殺菌剤入り虫刺され用薬、抗菌薬&抗真菌薬W配合軟膏、ろうそく(電気が流れない時間が多いため)、ミヤリサン(正露丸以上にオススメされた下痢止め)、ポカリスエット粉末(エジプトよりも赤道に近いエチオピア南部の8月は灼熱に違いない)などなどを購入。
  4. 東急ハンズ:サバイバルシート(レジャーシートサイズのアルミ蒸着ポリエチレンシート)を購入。宿のベッドはダニ満載なので、アルミ蒸着シートの上で寝ます。
・・・という感じで、必需品あれこれを購入していきます。
本当に個人で行けるかどうかは、わたしにも分かりません。
でもここでやめてしまったらダメ。
いつまで経っても「行ってみたいな」って思い続けることになってしまう。
だから絶対に生きて帰ってくることを最優先にしてともかくエチオピアに踏み込もうと、
まるで探検隊のように、気持ちを最大限に引き締めて準備していきました。

また、今回の旅は、マザーアフリカに伝統の暮らしを続ける古代裸族、
特に、滅び行くムルシ族という『人』を目的にした旅です。
世界に無二の素晴らしい被写体が向こうで待っています。
だから、荷物は少しでも軽いながらもいい映像と画像が残せるようにしたいと思い、
結局、一眼レフのカメラにかさばるけれどもいいレンズをつけて、
三脚も持っていくことにし、更にデジタルハンディカムと充電セット、
フィルムにDVテープにカメラ電池にという感じで映像機材をリュックに詰め込み、
結局いつもの2人旅と同じボリュームの映像荷物になってしまいました。

それじゃあどの荷物を減らすかというと、そのしわ寄せは衣類に寄ってくるわけですね。
結局着替えは1日分だけ、そして上着(長袖シャツ、ウィンドブレーカー)だけです。
また、靴下は、洗いにくい乾きにくいかさばるとよくない3点セットのかたまりなので、
10日間でストッキング5足を用意しました。荷物がかさばらないのがいいのよね(*^^*)

荷物の形態はリュック1つ。
多分500mLのペットボトルが10本入ったらいっぱいになってしまう、
隙間を見積もったとしても10リットルくらいの小さなリュックです。



ここに荷物を詰めてみると、なんと虫&感染症対策で1/3、映像関係で1/3!
・・・残りのスペースに衣類や化粧品、薬、ガイドブックなどなどを詰め込みました。
(バンコクの本まであるからかさばるったら・・・)
パッキング技術を、またまたいろいろ発明しちゃった(^^)/

*

ところで8月上旬、インターネットでエチオピア国内のサイトを探しているとき、
やっと現地NTO(nathional tour operation)のサイトを見つけました。
私の名前、日本に住んでいること、ジンカへのフライトが無事に飛んだら
ムルシ族の村に行くための車をチャーターしたいことなどをメールで伝えました。

向こうの送信元は首都アディスアベバのオフィスからでした。
でも具体的に話を進めようにも無事にジンカへの国内線フライトが飛ぶかどうか
移動が予定通りにできる保証もないので、具体的な交渉などはできませんでした。
ただ、「8月21日、予定通り飛行機が飛べば、昼12時にはジンカに着きます」
という表明をメールに書き、あとは現地についたら支払いをしようと思っていました。

*

旅の前日、寝ようとは思っても外の風の音(台風です)もうるさくて眠れず、
うだうだと時間ばかりが過ぎていきます。

私は、今までインターネットで集めたエチオピア関連のわずかな情報を、
一度テキスト形式に移し、A4サイズ1枚あたりに8ページを狭小印刷しました。
その量数十枚。これを最後の荷物に詰めたら、空が明るくなってしまいました。





もう引き下がれない、エチオピアへの旅。

2004年8月20日

女一人旅、エチオピア滞在6日で古代部族の集落まで行って帰ってくるという、
私の挑戦が、始まりました。
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