2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
 旅して » 2人の世界旅 »旅日記 » イスラエル&パレスチナ »
 旅して » 旅紀行 »旅日記 » 世界旅» イスラエル&パレスチナ »
イスラエル&パレスチナ>2009年04月03日(Fri)
★アンマン→キングフセイン国境→アーレンビー国境→エルサレム
:: 旅694日め : 世界旅105ヶ国め : 和人218ヶ国め : あづさ124ヶ国め ::

■イスラエル&パレスチナへ行くこと
今回の旅において、ヨルダンは大きな分岐点です。ヨルダンは、西にイスラエル、南にエジプトがあり、もし西に進めばヨーロッパへ、もし南に進めば北アフリカのアラブ諸国へと、私たちの旅が続くことになります。

同じパスポートで、その両方をとることは難しい。
そして私たちは、イスラエルをとりました。

他の国を犠牲にしてまで選んだイスラエルですから、ここは少し時間をかけて、様々な学びを含めた、充実した旅にしようと思います。

パレスチナ問題、セム系三大宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)、イエスの生涯、ユダヤ人、・・・とにかく、膨大な知識を増やせる旅となるでしょう、それらについて実際に自分が触れることができる今回のイスラエルの旅。

楽しみです。楽しみで仕方ありませんよ!

なお、イスラエルにはパレスチナ自治区(パレスチナ人居住区、パレスチナ人とはパレスチナに住むアラブ人を指す)が含まれます。パレスチナも他国との外交をもち、多くの国から国家承認を得ている(日本はパレスチナ非承認)ので、今回、イスラエル&パレスチナを旅することで、訪問国はプラス2としています。

そして、イスラエルや宗教関連事項に馴染みがなくても読んでもらえるよう、説明を取り入れるように心がけました。どうぞよろしくお願いいたします。

■イスラエル入国
ヨルダンの首都アンマンAmmanからイスラエルのエルサレムJerusalemへは、まず乗り合いタクシーを使ってキングフセイン橋国境まで行き、その後は国境間バス、イスラエル側バスに乗ることになります。

イスラエルは、ユダヤ人が建国した国家で、その入国審査は厳しいことで知られています。特にアラブ諸国を旅してきた履歴があると、入国を拒否される可能性もあります。何故? 「パレスチナ問題」は、ユダヤ人とアラブ人の紛争問題だから。

入国審査では、あづさのパスポートからイエメンビザとシリアビザが見つかってしまい(そりゃ見つかるわな・・・)、2時間も待たされ、別紙質問用紙に回答させられ、更に出国予定日時などの審査を受けました。それら質問自体はシビアなものではなかったので、正直に予定を答えたら、無事に3ヶ月の滞在許可をもらえました。「航空券はこれから予約します」という確約性のない回答でも大丈夫でした。

■エルサレム観光
エルサレムでは、旧市街「ダマスカス門」に到着。エルサレムはイスラエルの首都ですが、国際的には首都とは認められていません。

エルサレムは複雑です。
20世紀半ばより国際管理地域だったエルサレムが、イスラエル独立時の紛争で、西エルサレムはイスラエル(ユダヤ人国家)に、東エルサレムはヨルダン(アラブ人国家)に分割されました。その後の中東戦争の結果全土イスラエルの実効支配都市となりますが、パレスチナ自治政府が東エルサレムの領有権を主張し、「ユダヤ人が住む西エルサレム」と「アラブ人が住む東エルサレム」に大別されているのが現状です。今回私たちが主として訪問する「旧市街」は、東エルサレムに属します。

その旧市街も複雑です。
旧市街はイスラム地区、キリスト地区、ユダヤ地区、アルメニア地区と、4つの宗教地区に分けられています。異なる宗教であっても、エルサレムは皆の聖地。

なぜ異なる宗教なのに、皆エルサレムが聖地?
旧約聖書で、神はアブラハム(アラビア語でイブラヒム。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれた最初の預言者)に、子孫を「約束の地カナン」に増やすことを約束しました。そうして人類の始祖アブラハム(イブラヒム)がやってきたのがエルサレムの地。エルサレムは、キリスト教徒(アルメニア正教もキリスト教一宗派)にとってはイエスが処刑されたあと復活を成し遂げたキリストゆかりの地、ユダヤ教徒にとっては3000年もの昔にイスラエル王国の首都であった場所、イスラム教(回教)徒にとっては、イスラエル王国の跡地に聖なる岩のドームが建てられた場所。エルサレムはそれぞれの宗教における絶大な信仰対象にあたるのです。

さて事実エルサレムには、かつてのユダヤ人の神殿があり(写真のキンピカ屋根の建物の基礎部分)、そこにはイエスの訪問歴もあり、ユダヤの神殿があった場所にイスラムモスクが建てられ(キンピカ屋根の建物)、ユダヤの神殿城壁が残された部分はユダヤ人の祈りの場(人が集まっているところ)。近くにはイエスが十字架に張り付けにされた場所や聖母マリアの眠る教会(写真外)、etc。ともあれ3宗教の信仰対象が絡み合っています。ごちゃごちゃと。

エルサレム旧市街

その「ごちゃごちゃ」を、単に複雑とかユニークだとか思ってはいけない。歴史の中で、必ず理由があって、そのようになってきたのだから、複雑さこそエルサレムの醍醐味であり、歴史の重さを理解していき、ごちゃごちゃを自己解消してこそエルサレム観光というものです。気合入れて頑張ろう。


今日訪れた主な場所。

悲しみの道(ビア・ドロローサ)。
イエスがローマ総督の法廷で判決を下され、十字架を背負って、ゴルゴタの丘まで歩いた道です。何故処刑判決か? 理由は諸説ありますが、イエスが当時の宗教(おそらくはユダヤ教)を痛烈に批判したこと(また、自らを神の子と称したことも一説にある)などが原因です。後日他の教会で見た絵では、非常に苦しみ、苦しみのあまり何度も倒れながらイエスはその道を歩いていました。

聖墳墓教会。
ゴルゴタの丘の、悲しみの道の終着点はイエスが処刑された場所、ここに外観質素な教会があります。内部にはイエスが十字架に貼り付けられた聖なる像があり、イエスをキリスト(救世主メシア)と信じる数多くの人が嘆き祈っていました(観光客もいっぱいいてしょっちゅうフラッシュがたかれています)。なおイエスは、死後埋葬された後、復活して弟子たちの前に肉体をもつ姿を現したことが聖書に記載されおり、これが「復活祭(イースター)」の起源となっています。

ダビデの塔。
ダビデはBC11世紀のイスラエルの国王。BC11といってもピンと来ませんが、モーゼがエジプトで奴隷だったユダヤ人を連れてイスラエルに帰還した、その少し後です。この建物はその1000年後(ヘロデ王の時代)に造られ、現存する塔はずっとずっと後、オスマン帝国時代に再建しました。ここは外観を見るだけの観光。

嘆きの壁。
嘆きの壁は西の壁(Western Wall)とも呼ばれます。広場の東なのに何故西の壁? それは壁の向こうにあったユダヤ人の聖地神殿の西の壁の名残りだからです。上記ダビデの息子ソロモンはBC10世紀に「第一神殿」を完成。400年後破壊され、その数十年後に「第二神殿」として再建され、その500年後(BC20年)にヘロデ王が改築。しかしAD70年にローマ軍に破壊され、この壁が残骸として残りました。先ほど「ユダヤの神殿城壁が残された部分はユダヤ人の祈りの場」と書いたところです。そこにはたくさんの祈るユダヤ人の姿がありました(ユダヤ人は帽子やキッパ(お皿のような形状のもの)を帽しているから分かります)。今日と明日は特別な日なのか、嘆きの壁は2日間写真撮影禁止となっていたので、ここにはまた後日来ることにしました。

第一神殿時代のエルサレム。
旧市街を歩いていると、人が歩く高さよりも低いところに、第一神殿時代のエルサレムが残っている場所があります。第一神殿っていつだっけ? そう、さきほどソロモン云々と書いたあたりだから、今から3000年も前のもの。無数の紛争の場となってきたエルサレムで、本当、ここまでよく残ってくれましたね。


今日の観光は、あとは狭い路地にびっしり並ぶ旧市街のスーク(市場)歩きなど。
アンマンからの移動、入国審査を経て、観光も含めて今日は充実した1日でした。

懸念していたイスラエル入国も無事に果たせたので、宿ではネットで早速出国エアチケットを手配できました。これで、イスラエル&パレスチナ→キプロス→ギリシャというところまで、旅路が確定しました。
本日の旅
行動 :アンマンからエルサレムへ移動、ヨルダン出国、イスラエル入国、エルサレム観光
朝食 :ホブス(アラブの薄パン)、ホムス(ヒヨコマメのピューレにタヒーニ(ゴマペースト)やレモンを混ぜたもの)、紅茶/アンマンの宿
昼食 :パン/バス車内
夕食 :ホンモス(ホムスと同じ)、クッベ(挽き肉入りラグビーボール型ポテトコロッケ)、ホブス/エルサレム旧市街の食堂
宿泊 :アルアラブホステルAL-ARAB HOSTEL

関連ページ
行程 行程  お金 お金  写真 写真  お宿 お宿  ご飯 ご飯  ≫2人の世界旅トップ

旅情報
1ヨルダンディナール=143.5円
1イスラエルシェケル=24.8円

*イスラエル入国審査
私たちはパスポートにイエメンビザやシリアビザがあり、別途質問を受けることになった。別紙質問内容は、最近の渡航国と出入国日、イスラエル出国予定など。正直に書いたら、アラブの国をいっぱい記載することになったが、無事大丈夫だった。
イミグレ官との口頭質疑では、イスラエル内での渡航地について聞かれるので、エルサレム(イスラエルが首都と主張するところ)、ティベリア、ハイファ、テルアビブといった、ユダヤ人地区、しかも観光地を答えたため問題無し。なおこの質問の際に「パレスチナ」と答えて入国拒否された日本人がいたそうだ。パレスチナはアラブ人地域を意味するのでくれぐれも口にしないように。
バッグを開けられる荷物検査はなかった。手荷物検査もなし。
なお、イスラエル側国境で大きな荷物を預けさせられる際、パスポートに「荷物預かりましたシール」を貼られる。荷物を預けない場合は「荷物預かっていませんシール」を貼られる。このシール、糊が強力で、はがしたところで痕跡ばっちり残ります。イスラエル入国スタンプを別紙に押してもらっても、これじゃあイスラエルに行ったことは、ばればれってなくらいに。イスラエルのあとにアラブ諸国を旅しようというチャレンジャーは、対策したほうがよいと思います。アンマンで会った日本人は、「パスポートのシールのせいで」シリアの入国を拒否されてきたばかりでした。