2人の世界旅 日々の記録

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エチオピア>2008年12月17日(Wed)
★ロアレンガク→トドニャン→トドニャン国境→ナモルパス→エレレ→オモラテ
:: 旅587日め : 世界旅86ヶ国め : 和人217ヶ国め : あづさ106ヶ国め ::

■トゥルカナ湖西岸ルート、後半
私たちが目指す道は、間違いなく、この旅一番の、「挑戦」になるでしょう。ナイロビNairobiにいるときに、諸々を考慮してこの道をとることに決めました(詳細は≫11月30日日記参照)。

昨日、第一の関門であった、「カラコルKalokolから北上するトラックをヒッチする」ことに成功しました。その条件は最高のもので、幸先の良さを感じます。不安もまだまだ大きいですけど。で、今はロアレンガクLoarengakというトゥルカナ湖畔の北西部に位置する村まで到着しました。

朝6時に起きてドライバー達と近くの食堂に入って朝食を済ませたら、トラックが出発するまで、町のメインストリートの道端に座って、トゥルカナ族の往来を楽しく眺めていました。

トラックは轍(わだち)しかない道を走ります。左手にラプル山、右手には赤い塩湖、トゥルカナ湖。トゥルカナ湖は注ぐ川があっても出る川がないので、塩分が蓄積され、塩湖になっているのです。時折、遠目に漁村風景を見ることもできました。ここで獲れた魚は「ひらき」にされ、ケニア都市部へと輸送されていきます。

■ケニア最北端の町から、いよいよ国境越え
朝9時前にロアレンガクを出て1時間ほどで、ケニア最北端の町に着きました。ここはトドニャンTodonyangというところだそうです。この先は、いよいよ、あの、「No-man-land]、エチオピアの厳しい大地なのか・・・。

ここで見た大地・・・まるで、「アフリカの美しい大地」ね。すがすがしく空気が透き通る、地球の果てに来たかのような、本当に大好きな風景です。

トドニャン

下車したのは、トドニャンミッションという、この村の教会の前でした。

概図ですが、
トドニャン─(15km)─ケニア国境─(8km)─エチオピア国境─(15km)─オモ河を船で渡る─(12km)─オモラテ

目指すオモラテOmorateは、遠い。
今いるトドニャンからオモラテの距離は事前に分かっていたので、歩く覚悟はあるけれど。

トラックのボスが、教会の人に説明をし、お願いをしてくれ、私たちは、幸せなことに、教会の車で23km先にあるエチオピア側国境へ行けることになったのです。・・・あまりに親切なトラックのみんなだったのに、みんなには感謝を十分に告げる時間もなくお別れとなってしまったことが心残りです。

教会の職員は、「私たちの車は、エチオピア側国境までしか行けない」と言います。ケニアの車なのだからエチオピアの国土は走行できない、これは当たり前のことで、私たちも容易に理解できました。残りは、相当の距離を自力で歩かなければなりません。

11時半、ケニア側トドニャン国境到着。彼らはパスポートも見ません。つまり私たちは出国スタンプがもらえません。

12時、エチオピア側ナモルパスNamorupus国境到着。・・・こんな荒れた国境ポスト、見たことない・・・。食器が外に投げ出され、明らかに誰も整備していない国境・・・、地元の人の往来もほとんどないのだろうから、仕事のない兵士(じーさん)が、酒を飲んで出てきました。英語も一切通じない、教会職員とも会話ができない人・・・、教会職員は私たちのパスポートを使って、「これアンバサダ(大使館)ね」「これエチオピアのビザね」と、理解できない人に苦労して説明をしてくれます。

教会職員は、「君たちを、オモラテまで、送る」と言ってくれました。国境ポストでさえこんなにひどい状態であることを見兼ねて、私たちをここに置いて帰れなくなったのだと思います。本当はやってはならないエチオピア側の運転も、教会職員を車から降ろし、国境ポストにいる兵士(じーさんではない人)を乗車させるという、つまりは監視つき人質つきの条件で、走行を認めてもらえたようです。1km70シリング(84円)という料金の請求も、私たちは喜んで受け入れました。・・・飲む水も食べ物も得られずに歩く灼熱の大地を、怖いながら覚悟していた私たちに、こんなに嬉しい、神の加護はない・・・。

道なき道ではありますが、それでも轍(わだち)があり、車は迷わず進みます。その道は、事前情報として得ていた「No-man-land」とは違い、ダサネッチ族の集落もぽつぽつ見られるところでした。来てみないと分からないこともいっぱいあるものですね。

突然タイヤがパンクしました。私たちは少々の時間、下車させられました。車に乗っていた1人があづさに「こっち来い」というので、てくてく歩いていくと、その先は小さなダサネッチ族の集落でした。

「うわーーー!!」 あづさの憧れていた、夢のエチオピア古代民族地域への突入を感じました!! 伝統的な、鳥の羽を頭につける男性たち、上半身裸、まさに裸族と呼ぶにふさわしい女性たち!

お祝い事があるようで、牛が一頭、火であぶられていました。男性たちは、牛の胃袋の中をどろりと手ですくい、足に塗って、体の化粧をしています。胃酸や消化酵素で皮膚が溶けないかと心配になりますが、「これがダサネッチのカルチャー(文化)なんだ」と、説明する男たちは誇らしげでした。

オモ河より西に位置するところに住む彼らは、ツーリストに出会わないのでしょう。あづさが写真を撮っても「次は俺を!」「次は俺を!」と、喜んでカメラの視野に入ってくるだけで、お金をくれと一切言わないんですよね。一方パンクした車の脇に立っていた和人も、ダサネッチ族の男性に囲まれては「次は俺撮ってくれ」とお願いされる連続で、被写体になっては喜ぶダサネッチ族の人々の写真を何枚も撮っていたようです。・・・このエレレ村というダサネッチ族の民族地域から、私たちはハマル族、カロ族、バンナ族、アリ族、そしてムルシ族と、様々な民族と出会いながら旅をすることになりますが、写真に対してお金と言わないのは、唯一オモ河西岸の、この地域だけでした。

さて、タイヤ交換も終え、私たちは終着地に到着しました。
エチオピア国境─(15km)─オモ河を船で渡る─(12km)─オモラテ、の道ではなく、
エチオピア国境─(27km)─オモ河を船で渡る─(すぐ)─オモラテ、の道の、河渡し場が終着です。

事前情報ではまったく知り得なかった道ですが、オモラテの町が対岸に見えるところまで送ってもらえたのです。教会の人たちが、私たちがこの地域を歩かなくてすむように、配慮をしてくれたのだと思うんです。

ありがとう、本当にありがとう。あれだけ怖がっていて、でもあれだけ諦められなかった道からここまで導いてくれたのは、優しい人々に出会えたおかげです。・・・あまりにすごいことを達成してしまい、彼らと別れるときには大泣きしてもいい状況なのに、実際はカラコルKalalolからとんとん拍子でここまで来た、そのあまりに早い展開に、お別れのときに涙は出てきませんでした。

■オモラテ到着
教会の皆と別れ、途中から乗車した検問兵士と共にオモラテに着いたのは午後2時。いつのまにか兵士と別れ、自分達でイミグレーションに出頭したら、ケニア出国スタンプがなくとも無事に入国スタンプがもらえました。

そして宿を見つけ、余ったケニアシリングをエチオピアブルに両替しと、とりあえず必要なことを終えました。

オモラテは、エチオピアの南西端にあります。民族に興味がある旅行者がエチオピア南西部に訪れたとしても、なかなかオモラテまでは足を運べません。ここには公共の交通手段が走っておらず、移動は物資輸送のトラックをヒッチするしかないから、というのが理由の1つ、他の理由は、エチオピアの端すぎて遠い、といったところでしょうか。

ダサネッチ族の人々、特に女性のおっぱいむき出し度(裸族度)はとても高い。動物の皮をつないでフレアスカートのようにする伝統衣装は、黒茶色い肌と同じ色なので目立たないけれど、近くで見ると模様の入れ方も素敵です。

町に入ってしまうと、エチオピア民族に共通する「フォトルール」(大人1人撮影に2ブル、子供1人撮影に1ブル、子供を抱いた女性の撮影は3ブル)が適用されるようで、お金なしに面と向かって個人を撮影することはできなくなります。

私たちは、特に写真にこだわることなく、ゆっくりとブンナ(エチオピアンコーヒー)を飲み、もらったチャット(覚せい剤類似成分が含まれ噛むと気分がすぐれる、エチオピアでも日本でも違法にはならない葉っぱ)を噛み、裸族の酒場でタッジ(はちみつから作る伝統酒)を飲みました。

・・・それは、あまりにエチオピアらしい午後だった。


■その道を越えて
今日、私たちは、1つの大きなルートを越えました。
ロンプラ(最大手英語ガイドブックLonely Planet)掲示板でも何件も「行ってみたい」と書かれているけれど、行ける保証を示すリプライのないルート。

そのルートとは、ケニア北西部からトゥルカナ湖西岸沿いにエチオピアへ北上するルートです。公共の移動手段はもちろんありません。何十kmもの道、飲む水を得られないで歩く道は、旅行者を最も阻む道。

この道を目指すその決断には、時間がかかりました。怖かったから。

でも和人もトライすると言ってくれたのですから、私も頑張らなければなりませんでした。

でも本当に今日、成功したよ。助けてくれた優しい人々にも感謝いっぱいしなければいけない。来るまで何日も、怖くて怖くて、本当に怖がっていた私。

オモラテ・・・エチオピア南西部の秘境の村で、シャワーを浴びるとき、上を見たら満天の星が見えたとたん、生きて来れたことに、わんわんと声を上げて泣いてしまいました。
本日の旅
行動 :ロアレンガクからオモラテへ移動、ケニア出国、エチオピア入国、エレレ村観光、オモラテ観光
朝食 :チャイ(アラブの薄パン)、チャパティ(甘いミルクティー)/ロアレンガクの食堂
昼食 :なし(移動していた)
夕食 :インジェラ(テフ粉の酸っぱいクレープ)、ケッケル(ヤギ肉と油の黄色い煮込み)、バイヤイナト(ムッセロワット(ひよこ豆の煮込み)、シュロワット(挽き豆の煮込み)、アトロワット(じゃがいものような食感の大きな豆の煮込み)の盛り合わせ)、コーラ/オモラテの食堂
宿泊 :ツーリストホテルTourist Hotel

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旅情報
1ケニアシリング=1.2円
1エチオピアブル=10.5円

*トゥルカナ西岸-オモラテルート概要
公共移動手段があるのはカラコルまで。そこからエチオピア国境方面行きのトラックを待つ。毎日ではないらしい。車でトドニャンの村、もしくはトドニャンの教会前(トドニャンミッション)に着いたら、そこからはケニア側国境まで車で30分、出国後エチオピア側国境まで車で20分の距離がある。車があれば良いがなければ相当の距離を歩くしかない。エチオピア入国後は、
(1)オモ河まで15km、河渡しの船、オモラテまで12kmを歩く
(2)オモ河まで27km歩き、河渡しの船に乗ってすぐオモラテの町
という方法が考えられる。私たちはトドニャンミッションが車を出してくれることになりエチオピア側国境まで行った。トドニャンミッションの車はケニアの車なので、当然エチオピア国内を走ることができない。私たちは当初、事前に情報のあった(1)の道を歩くつもりでいた。しかしエチオピア側イミグレーショの問題など諸々の事情により、特例で(2)の道で車で行けることになった。ミッションの車は村人のためのトランスポートも有料(1km70シリング)で行っているのでその料金(往復分)を支払った。車はミッションにいつも待機しているわけではなく、またエチオピア側は走行禁止が原則であるため、必ずしも期待できる方法ではないだろう。

また、このルートの問題点は、オモラテの町に着くまでブル(エチオピア通貨)が得られないことである。(1)の方法で行った場合、手持ちにブルなしで船に乗れるかどうかは不明。(2)なら河を渡ったらすぐ町なので両替可能。エチオピア側入国時はスタンプがもらえないので、オモラテの町でイミグレーションに出頭すること。

このルートを実際に越えてみて、大胆な方法ではあるが、入国後オモ河に行き村人の船をチャーターするという方法も可能だと考えられた。料金(ケニアシリングを受け付けてもらえるかを含め)や安全性等は一切不明だが。

ちなみに、カラコルから乗ったトラックは、最初私たちの乗車を拒否し続けた。理由はメリル(殺人強盗族)の存在にある。ケニア及びエチオピア側の両方の話だと思われる。