:: 旅445日め : 世界旅69ヶ国め : 和人214ヶ国め : あづさ90ヶ国め ::
■ピグミーに逢いたくて
「ピグミー」というのは、一般には矮小な人種を指す言葉です。特に中央部アフリカに多く分布する狩猟採集民族です。固有の部族名をつけ、「バカピグミー」や「ムブティピグミー」と呼ばれることもあります。
私たちは、この世界旅のルート作成にあたり、その両方のピグミーに会いに行くことを検討していました。
まず「バカピグミー」ですが、カメルーン南東部~中央アフリカ南西部~コンゴ共和北部~ガボン北部あたりが主要居住地域であることから、カメルーン南東部からコンゴ共和北部へ抜ける・・・ほとんど“探検隊”に近いルートですが、それでも行ける目途をもっていました。素敵なことに、カメルーン滞在中に、人類学者の方と出会い(
≫2月27日日記)、バカピグミーの集落への移動方法なども詳細に聞くことができていました。・・・なのに、あづさがマラリアを発症したためカメルーンビザが切れてしまい、私たちは中央アフリカからカメルーンへ行くルートを断念しています。
(でも赤道ギニア(≫
4月26日日記)でバカピグミーに一応会えました)
ちなみに、旅行者が訪問しやすいのはウガンダ西部の町フォートポータルFort Portalからピグミー村へアクセスする方法です。交通量も多く英語圏だし、ウガンダ自体旅行者の多い国だし。でも事前にネットで見た限り、「良かった」「ちっちゃかった」等の感想を見ることはなく、「いまいち」「ガッカリ」「あまりちっちゃくない」「期待しないでね」等のネガティブな感想ばかりだったのです。
それはおそらくヘテロ
(ピグミー遺伝子とそうでない遺伝子が混ざっている)でしょうね。
でも会うなら純粋なピグミーがいい。ホモ
(ピグミー遺伝子が薄れていない、真正ピグミー)がいい。
だから、あづさは、ウガンダではピグミー村へ行くのはやめようと、それだけは事前から決めていました。
今日目指すのは、「ムブティピグミー」です。ムブティの主要居住地区として知られるのが、かの有名な“イトゥリの森”です。コンゴ民主(旧ザイール)東部のムブティピグミーは、コリン・ターンブルColin Turnbullの著書「The Forest People」(1962)でもその生活様式などが世界に発表されました。日本人の著書では、船尾氏の本などが知られていますし、京都大学グループもかつてこの地域を研究素材としていたはずです。しかし内戦が始まってからは、日本も諸外国でもコンゴでのピグミー研究を断念しています。
そんな難しいところに、私たちは今日行けるかもしれないのです!! 今いるベニBeniの町は、イトゥリ地区に大変に近いところだから、今日、サミーちゃん(ベルナデットおばさんの息子)の車での訪問が成功すれば、それは、“イトゥリの森のピグミーに会えた”ってことに、なるかな。紛争地であること、人類学者も研究を断念して長らくになるところでもあることから、自力での訪問は半ば諦めていましたが、地元の人が車を出してくれることになり、今日は、本当に、本当に嬉しいのです。
朝7時すぎ、サミーちゃんが迎えに来てくれました。途中道が悪いところも走るだろうからと、友人を連れてきてくれています。
今日の目的地は、サミーちゃんの弟が教えてくれたという、ロヤLoyaという町の近郊にあるピグミー村です。ベニから北上する道は、未舗装道路でしたが整備されており、思った以上に早くオリエンタル州との州境に到着することができました。この国では、州を越えるときにも、まるで他国の国境越えのようなイミグレーションを通らなければならず・・・
そこでのイミグレ官との攻防・・・。「ドライブ許可証に10ドル払え」と言われて、「じゃあバイクタクシーで行く」と断ると、次に「そうかじゃあピグミー許可証に10ドル払え」となり、「その村には行かない」と断ると、次に「そうかじゃあ写真許可証に10ドル払え」と言われ・・・、挙句の果てには、「じゃあ写真撮らない」と断ると、「とにかくここから先に行くのに10ドル払え」となるわけです。地元民を乗せたトラックなど、誰からもお金をせびらずに通行させているのに、なんだかホント嫌んなっちゃうよね。
私たちは、そんなアホらしいことに1人10USドルなんて払えません。しばらく、この州境ポストをうろうろ歩きながら、でもここから先に通してもらえなければ、ピグミーにも会いに行けないのかぁと、寂しくもなっていました。
しかし神は私たちの味方です!!!
和人「ねえあづさ、あの人」 ・)v
あづさ「・・・」(事実認識に時間がかかる)
キャーちっちゃーーい♪♪ v(・
身長110cmくらいの、ヒゲを生やしたおじさん(でも子供にしか見えない身長なのでヒゲがすごく違和感があります)が地元の人(彼らは身長170cmくらいの普通のコンゴ人)と会話しているではありませんか!
んもう、マジでときめきましたね。彼こそムブティピグミーだと、確信しましたね。ちなみに和人は、数十mほど先までお散歩に行ってそのピグミーおじさんと出会い、数十mを一緒に歩いてここまで戻ってきているのだそうです。いいなー、いいなー♪
キャッキャッキャッとウキウキ気分満開! 先ほどのイミグレ官への怒りも忘れ、あづさは110cmおじさんのところに行きました。
「ねえねえおじさん、おじさんち、遊びに行きたい!!」と言うと、おじさんは、ベニ方面を指差します。でもそれは今から行く友達の家で、おじさん自身は、私たちが通行を禁じられている(お金を払っていないから)オリエンタル州に住んでいるのだそうです。でも、指2本を口の前に立てて、「僕タバコ大好きなんだよねー、タバコくれたら案内するよー」と教えてくれました。
(実際の会話は、フランス語です。ピグミーは自分のピグミー言語と地元スワヒリ語を理解するようで、そこに居合わせてくれた人があづさのフランス語をスワヒリ語に翻訳してピグミーおじさんに伝えてくれました)
・・・まてよ!? ロヤの村まで行けなくても、おじさんの友達の家がベニ方面にあるということは、ここから先通してもらえなくても、探せばピグミー村はあるんじゃないのか??
その推測は大正解。110cmおじさんと一緒に話していた地元の人が、州境から数km戻ったところに、ピグミー集落があると教えてくれたのです。
賄賂クレクレのイミグレ官は、私たちがお金を断固払わないまま撤退する様子を見て、慌てて、「この先のブニアBuniaに行って警察でお金を払えばピグミー村に行けるぞ」「いいかとにかくブニアへ行け」などといいますが、ああこれですべて分かりました。ブニアは反政府軍の軍人拠点の町、ゲリラ拠点の町ですから、このイミグレ官も、反政府側の人間だったのですね。ふーんだ、そんなところ絶対行かないもんねっ。
車で向かったのは、まずミニボ村です。メイン道路から数百m入ったところまで一般市民の民家が続き、その奥にぽっかりと -直径50mくらいの- 空き地があり、葉を重ね合わせた小さな家が幾つかあります。明らかに、レンガ造りなどしっかりと建てられた一般市民の家とは、造り方が違います。
ああいよいよピグミーと会えるんだ・・・、そう思いながら来たからか、感動は、とってもとっても大きい。私たちの身長の半分くらいしかない高さの屋根の家。30人ほどの人数が1家族となって、一般市民とは隔離されて生きている。もちろんその空き地のような敷地と一般市民の民家とは塀もなく、物理的な隔たりはないのですが、生活様式などは随分違うことが、住居の違いからも感じられました。
家の中に入れてもらいました。2畳分の面積すらない狭さです。枝を重ねて作ったようなベッドが1つと、残りのスペースでは薪と鍋が置いてありました。その鍋は、20年近く昔に、和人がザイールの旅で使っていた鍋と、同じものでした。
写真を撮らせてもらえ、サミーちゃんが通訳となってはピグミーのことを教えてもらえました。簡単なスワヒリ語なら直接会話をすることもできます。背のちっちゃなおばあちゃん・・・身長は1mくらいかなぁ。家の中で、お茶碗のような小さな鍋に、旦那さんと2人分の食事を作っていました。私が見たら「とても子供1人分にもならない!」と思う程度の、数十粒の豆を炊いているだけですが、ひょっとしたら、胃も小さいだろう彼らには、これで十分なおかずなのかもしれません。
ミニボ村を出たあと、サミーちゃんがもうひとふんばり! なんと再び地元の人に尋ね、もう1つのピグミー村まで連れて行ってくれたのです。
こちらのリンゾ村は、やはり周辺の一般市民の民家とは混ざらず、ピグミーファミリーだけで一角を作って暮らしていました。より森の木々に囲まれたこちらの村のほうが、事前に思い描いていた“コンゴピグミー”の集落のイメージに近く、“イトゥリの森のピグミー”への憧れが昇華されるような感動がありました。今ある家、作りかけの家、これから家を造りかえるための下地作りなども見ることができ、狩猟用の弓矢を見せてもらい、ピグミー独自の文化である顔の傷(傷を紋様のようにいれていく)、食事作りの様子など、いろいろなものを見せてもらえました。こちらもピグミー1家族、約30人で1集落を作っているのだそうです。
写真は、大好きな写真、ムブティピグミーと私たちの記念写真です。実は隣家の人々(ピグミーではない一般市民)も私たちの見物にやってきていたのですが、サミーちゃんの理解があり、その人たちを退け、私たちがピグミーとだけ一緒に写真を撮れるようにしてくれました。本当、ありがとう。
この写真は、子供は数人で、あとは全員大人です。大人でも身長100~130cmといったところでしょうか。私たちが出来る範囲で、最もピグミーらしいピグミーに出会えて、本当に感動の大きな一日でした。
今日の2つのピグミー村の訪問で分かったこと。
ピグミーはピグミー以外の者と結婚しない。つまり、純粋な血がここでは守られている。
ピグミー独自の言語がある。
遠いところ(5km離れている)ところに小規模の畑があり、トウモロコシなどを採取している。
(本来狩猟採集民族であるため、農耕はしないはずですが、現在では農耕も取り入れているのでしょう)
狩猟用の弓矢をもつ。
(つまり狩猟採集民族としての本来の習慣を、いまだ捨ててはいない)
水は、近隣の村の水も使えるらしいが、本来の自分たちの水は遠く離れた川に行かないと得られない。
葉を重ねるように作った家は、なんと2週間に1度の頻度で建てかえる。
(定住しない民族としての習慣が、守られている)
しかし同じ敷地内に建て替えをするだけで、居住地の移転はあまり行わない。
(実際は一定の土地に定住している)
これが、先ほど紹介した船尾氏の本です。和人は書評を書く仕事の中で、この1冊をテーマに取り上げました。薦められてあづさも読みました。私たちが、夢をみた本。この本によって、真剣にイトゥリの森を目指したくなったといっても過言ではありません。
循環と共存の森から―狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵"
船尾 修
発行元:新評論 / 発行日:2006-10
(≫
旅までプチ日誌)
今また、この本を、とってもとっても読みたくなっています。
こういう本を読むとき、そこに出てくる人は、遠い世界の人、会うことのない民族と思うものです。
旅が目前になってもコンゴは危険な国、私たちも、どう旅をしても、会えないと思っていました。
でも今日 本当に会えた The Forest People 血を守る 森の民
あなたたちに 喉から手が出るほど 会いたかったんだよ!
本日の旅
行動 :2つのピグミー村訪問
朝食 :丸パン、マヨネーズ、ミルクチャイ(ミルクティー)/ベルナデットおばさんの家
昼食 :ガレット、パン、パタットドゥス(金時のようなふかしいも)、Maragi(マラギ、玉ねぎと油の加わった煮豆)/ベルナデットおばさんの家
夕食 :ポワソンサレーのトマトオニオン油煮、ワリ(白いごはん)、ソンベ(マニオクの葉とネギをどろどろに煮たもの)/ベルナデットおばさんの家
宿泊 :ベルナデットおばさんの家
旅情報
1コンゴフラン=0.2円
1USドル=111円
*コンゴ民主のピグミー
ムブティピグミー居住地域は、コンゴ民主北東部。ベニ、マンバサ、コマンダに囲まれたエリアはその居住地域の代表的な1つである。私たちが訪問したのはエリンギテ。ピグミー集落だけは一般市民の家屋と隔離されているので、1集落ごとに名称があるようだった。それぞれのビレッジネームを聞いたら、ミニボとリンゾと教えてもらった。