2人の世界旅 日々の記録

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米領サモア>2010年06月19日(Sat)
米領サモアへ行く船→パンゴパンゴ→アピア→バオアラ
:: 旅1136日め : 世界旅191ヶ国め : 和人241ヶ国め : あづさ203ヶ国め ::

■米領サモア
サモアに滞在していたときにね、その家はオーストラリア人やフランス人が住むシェアハウスで、彼らの流暢な英語の中で必死こいて会話していたときのこと。

フランス人ねーさんは、「米領サモアはアメリカアメリカしてるわよ~★☆★」と言う。

おおーっ、それはすごい発言だ!

「アメリカアメリカしてるわよ~★☆★」

妄想は続く。カリフォルニアのワイナリー、マンハッタンのミリオンダラーの夜景、ロッキー山脈の雄大な自然、シアトルのお洒落な街並みにシカゴのビル群、フロリダのウォーターフロント、ラスベガスの眠らぬ夜・・・。イカンイカン、頭の中が完全「アメリカ横断ウルトラクイズ状態」だ。


「 ア メ リ カ ア メ リ カ してるわよ~★☆★」


この田舎のサモアのすぐ隣のポリネシア人の国に何があるのか!? いやのどかな途上国に煌く夜景や街並みがある訳はないぞ・・・、でも実際アレックスは米領サモアにも行っているし米国の大学を出ている。だからこそ「何が彼女にそこまで言わせたか」を考えると楽しい。軍事基地として栄えたのならアメリカ人だらけの賑わうカジノの1つくらいあるだろう。マクドナルドにはアメリカ人に受けの良い「サモアンポークテリヤキバーガー」くらいあるかもしれない。ショッピングセンターはマイアミ並みの品揃えにヨドバシカメラも驚くリーズナブルディスカウント合戦、ショッピングモールを歩けばフレンチフライとビーフステーキの匂いが漂い、夜は繁華街にずらり並ぶバーでアメリカ人の威勢良い喋り声が高らかに響く・・・。

うんうん。ありえる!ありえる!

ま、アメリカ本土ほどの規模ではないにしろ、沖縄にだって米軍基地やアメリカ人街があるわけだし(行った事ないけれど)、ちっちゃな島にもいろいろとアメリカ人の賑わいがあってもおかしくないじゃないか的発想から、妄想が広がっていきます。


さて昨夜出発が早まった船は、予想を裏切られて到着が遅れました。もともとの予定が朝7時着で、そのまま午後4時にこの船に戻ってアピアApiaに戻るスケジュールでは滞在時間が9時間しかありません。しかも入国時には、船側もイミグレーション側も入国用紙を切らしていて私たちは入国を相当待たさせられるといった、ありえない事態の遭遇に、のっけから良いことがありません。



しかも。

これが、アメリカ横断ウルトラクイズ状態の妄想脳を「即時破砕!!」した、米領サモアの首都の光景です。

米領サモア

妄想は壊れた。ぱっと見もど田舎だ。これが米領サモア最大の都市だとな? カリフォルニアのワイナリー、マンハッタンのミリオンダラーの夜景はどこに行った? ロッキー山脈の雄大な自然、シアトルのお洒落な街並みにシカゴのビル群、フロリダのウォーターフロント・・・うっく、どこにもねーよ。ラスベガスの眠らぬ夜も絶対ここにはなさそうだ。


さて、予定より遅れた上陸により、観光を始める頃にはもう9時をゆうに過ぎています。英語ガイドブックLonely Planetには、今いるパンゴパンゴPago pago市内の観光ウォーキングルートが提示されているので、それに沿って歩くことにしました。

市場(朝食を摂りました)、市街地、教会、サモア伝統住居の建築を残す集会所、韓国の家(韓国人漁師の集会所だった)、スタジアムなど。

体は2人してしんどいです。トケラウから戻る揺れる船で2泊、平地でも揺れる体で昨日は遅くまで食事会とバー、そして同じ船でもう1泊と、体に鞭打つ状態でここ数日の旅を続けてきているからです。それでも、ガイドブックに史跡マークまで付いている「韓国の家」までは頑張って歩きました。そして同じ道を通って(湾沿いに歩いているのでショートカットの道がない)市街地へ戻りました。

後半は、あづさがマクドナルドで2人分の荷物番をし、和人が身軽になって観光に出ました。やっぱり荷物を持ったままというのは、特にこれだけ疲弊した体ではしんどいから、そうして良かったと思っています。しかし、妄想にこだわるのもナンだと思うのですが、アメリカ人に受けの良さげな「サモアンポークテリヤキバーガー」みたいな魅力的メニューはありませんでした(^^ゞ


米領サモアは、サモアそのものですね。田舎で、緑が豊かで、ココナッツやバナナの木がいっぱいあります。Lonely Planetには「世界で最も取り残された場所の1つである」なんて書かれています。ここに元来住んできた人々も、サモア人とまったく変わりません。かつては米軍基地があり軍事要所として栄え、第二次世界大戦中はサモア人よりも多いアメリカ人がここにいたそうですが、今はそんな影は感じません。残るのは、サモアと変わらない伝統的な -取り残された- 暮らしです。

物価はサモアよりも高いです。「サモアで1ドルが米領サモアでも1ドルだ」と、以前ここに来たことのある日本人おじさんが言っていました。それはつまり、例えばバナナ3本を買うのに、サモアでは1ドル(38円)を払うところ、ここでも1ドル(94円)払う、つまりは3倍の物価高という意味です。でもそれはちょっとオーバーな表現かなとも思いました。ココナッツジュースを使ったドリンク「バイサロ」の値段が、サモアで2ドル(76円)、米領サモアで1ドル(94円)。タロイモの葉でおかずを包んで蒸し焼きにしたものがサモアで8ドル(304円)、こちらで4ドル(376円)。このくらいの価格差は両替レートやATM使用手数料によって変動します。だから、ほんの少しの滞在ですが、食べるものを探すだけではそんなに出費に差がないようにも思いました。ただし宿代は米領サモアのほうが強烈に高いと言われていますし、バス代やタクシー代のことも今日は分からず仕舞いです。


さて、定刻よりも到着が遅れたのに、何故定刻よりも出港を早めたのでしょう? まったくもって理解不能です。午後4時発が午後2時発になってしまい、しかも出国手続きがある都合上港には午後1時にはいなければなりません。9時間の観光予定は、そんな事情で4時間の観光だけとなりました。でも、後悔していません。こういう国もあるのだと分かったし、来て良かったし、あまり見るものもなかったし。

疲労がたまっているせいで食欲がないまま、船に乗りました。アピアに着いたら夜10時、タクシーに乗って、やっとホームベースであるアドリック兄さんの家に戻り(アドリックたちは飲み会で不在)、気が抜けたような感じで、眠り込みました。


あづさのメモ用紙には、「やっとしんどいのが終わった」と書いてあります。多分和人の言葉です。

行きにくい孤島国家トケラウへ行くこと、至極不安定なトケラウ訪問スケジュールの中で今日の米領サモアの訪問も組み入れること。その残りの、ベストとは言えない日程でサモア観光を組み込むこと。

私たちの、サモア滞在中の「3大ミッション」が、これでやっと終わりました。
本日の旅
行動 :下船、米領サモア入国、パンゴパンゴ観光、米領サモア出国、船でアピアに戻る、サモア入国
朝食 :Vaisalo(バイサロ、ココナッツジュースココナッツクリーのムタピオカ粒入りタピオカデンプンでとろみのついた飲み物)、Lu'au pipi(ルアウピーピー、鶏のお尻の部分玉ねぎ塩こしょう醤油をタロイモの葉でくるんでアルミホイル焼きにしたもの)、fa'i(ファイ、焼きバナナ)/パンゴパンゴの市場
昼食 :紅茶/パンゴパンゴのマクドナルド
夕食 :ホットドッグ、バンズココナッツ(パンに甘いココナッツクリームを浸したもの)/アピアの海の前、おかゆ、マーボーナス、中国茶/アドリック兄さんの家
宿泊 :アドリック兄さんの家
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旅情報
1USドル=93.5円
1サモアタラ=38.3円

*西サモアと東サモア
このサイトで「サモア」と書いている国は、「サモア独立国」「西サモア」「ウェスタンサモア」とも呼ばれます。
同様に「米領サモア」と書いている国は、「東サモア」「イースタンサモア」とも呼ばれます。