2人の世界旅 日々の記録

4年3ヶ月、1日も欠かさず綴った旅日記
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ハイチ>2009年09月30日(Wed)
ウィレムシュタット→シントマールテン乗り継ぎ→ポルトープランス→ペチョンビル
:: 旅874日め : 世界旅145ヶ国め : 和人224ヶ国め : あづさ161ヶ国め ::

■ハイチという国へ
カリブ海はリッチ観光国が多いですよね。クルーズ船やヨットで多数の欧米人が往来し、美しいビーチに青い海、ブランドショッピング街をもつ国が多数存在しているというのに、ハイチは、そういう国とはちょっと違います。

他のカリブ海の国は、イギリス領だったりフランス領だったりオランダ領だったりする歴史が長い中、それらヨーロッパの宗主国の支援を受けて、国土のインフラ(国民の生活に必要な公共事業の整備)が進み、生きるための最低限の生活が保障されてきたのでしょう。でも、ハイチにはそれがありません。

1804年にフランスから独立した、ラテンアメリカ初の国家。「世界初の黒人による共和制国家」という言葉の裏にあるものは、「奴隷」の文字。そうです、黒人たちは、皆アフリカから連れてこられた奴隷です。1804年といえば、誰もが年号を知っている1789年のフランス革命の直後。フランスの混乱が契機となり反乱軍が蜂起し、ハイチ国内の黒人によるフランス軍駆逐が成功しました(ハイチ革命)。ここからはあづさの推測ですが、イギリスの産業革命が18世紀後半~19世紀前半にかけて逐次進行していくご時世の中、早くに独立して先進諸国の「お手入れ」や「産業革命の恩恵」を得る術を失ってしまった元黒人奴隷たちは、その早い独立時期ゆえに、発展するちから、産業や国力を得られなかったのでしょう。

さて、とりあえず、訪問前に抱いていたハイチのバックグラウンドはこんなあたりです。

ハイチに到着したらまず両替をして現地通貨グー(Goud)を手に入れなければなりません。しかし、近年の旅行者の記録から物価などの参考値を得ようとネット検索などをしていたときも、出てくる情報は、治安の悪い国だからこその「安全をお金で買う人」の記録が多かった。ちょっとした街歩きでも地元の人をガイドにつけるようなものです。そういうお金の遣い方をする記録からでは、いざ私たちはハイチの旅に幾らかかるのかが想像できません。いくらお金を遣うのか、あまりイメージができないまま、とりあえず空港で100US$をグーに両替しました。

そうそう、もう1つ、ハイチのバックグラウンドとして知っていたことは、国民の95%が黒人(アフリカ人)だということです。残り5%はムラート、黒人と白人の混血で、上流階級を占め良い職に就けるのはムラートなのだとか。

空港から外に出たら、気温の高さとひしめく黒人。どこか、アフリカを感じるものがあります。さあまずは市街地に行って、更に今日泊まる家までたどりつかなければなりません。

庶民の移動手段は、タプタプと呼ばれる改造小型トラック(荷台に屋根がつけられ混乗する)か、シェアタク(タクシー1台に混乗する)か、区間によっては中型または大型バスとなります。道端に屯している黒人たちにデルマDelma地区までの行き方を聞いたら、「俺が教える」「俺が教える」の楽しい合戦と共に、そして皆の“統一しない”アドバイスが集まります(苦笑)。こういう気質ってアフリカ人ですよね。「その場が楽しいこと」を好むあたりが。で、旅行者である私たちの世話をすることを楽しむアフリカ人に囲まれ、私たちは1台のタプタプに押し込まれて(笑)、結果、難なくデルマ地区へ到着しました。

ハイチ

「タプタプ」って、こんな車です。荷台に派手な屋根をつけて、人々はそこに乗って移動をしていきます。1回5グー(約12円)くらいが多いかな。

ここからもう1台のタプタプに乗り、向かう住所を探して歩き始めたのはいいのですが、事前にグーグルアースで確認していた場所とはどうやら違うみたい。きつい坂道を登って該当住所にたどりつくも、そこは違う人の家。

日が暮れてきました。重い荷物をあづさが番して、和人が近所を探し歩いてもやっぱりダメ。

そんな中、助けを求めにとあづさが声をかけた人は、パキスタン人でした。彼は国連関連組織(以下UNと記載)で働く駐在員でした。

「探している家が見つからない」と、相談したら、パキスタン人のUN職員は、「しばらく家に入っていていいよ」と自宅に入れてくれました。早速ビール1本くれるあたりが超~素敵な心遣いです(*^o^*) 彼は他のUN職員と計3人で1軒の豪邸をシェアして暮らしていて、やがて、デンマーク人とオーストラリア人のUN職員も帰宅しました。私たちがこの旅行のことやハイチのことなどを会話しているうちに、「今日寝るところが探せないならここに泊まっていいよ」とまで言ってもらえました。治安の不安なハイチで、セキュリティーのしっかりしたところで寝られることは、大きな安堵感となりました。

オーストラリア人が「ここがシャワールームで・・・etc」と説明してくれているとき、この家のガードマンが、私たちが泊まりに行く予定だった家を探し出して戻ってきました。だから、UN職員の豪邸宿泊はなくなりましたが、ともあれ当初の予定通り、ナターシャの家に到着することができました。

ナターシャはここポルトープランスPort-au-Prince生まれ、生粋のハイチ人です。中級家庭の育ちでちゃんと教育も受けており、今は学校で英語教師をしています。識字率が低い(50%くらいだったような気がする)ハイチで、これは素晴らしいですね。

ともあれ、夜も遅くなりました。疲れましたが、今日も無事に終わりました。
本日の旅
行動 :ウィレムシュタットからポルトープランスへ移動、キュラソー出国、ハイチ入国
朝食 :ラスク、パン、レモングリーンティー、オレンジジュース、ミルククリーム/ガエタン兄さんち
昼食 :bannan(バナン、ゆでバナナ)、tassot(タソ、ジャーク牛肉(スパイス漬け込み牛肉)のサイコロ焼き)、プワトン(ソスプワトンとも、インゲンにんじんのレモントマトスープ)、duli blan(ジュイブラン、白いごはん)、duli kole(ジュイコレ、赤豆炊き込みごはん)、ソスプワノワ(黒豆つぶしなめらかスープ)/ペチョンビルの食堂
夕食 :ビール、ガリ、春巻、チーズ、クラッカー/UN職員の方の家
宿泊 :ナターシャ姉さんち
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旅情報
1アンティルギルダー=52円
1ハイチグールド(ハイチグー)=2.4円

*ハイチの通貨
通貨はグールド。フランス語だとGourdeで「グールド」となるが、クレオール語(ハイチ語)だとgoudで「グー」となる。見たところ、両替屋などは後者で表記していた。また「$」(ドル)表示がある場合は注意。1ドル=5グー=約12円である。US$と混同しないように。