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腸閉塞4正式入院

雑事|16Dec2010|URL
 手術が必要とならない程度の腸閉塞の場合、治療方法は、点滴で体を維持しつつ、絶食絶飲で胃腸を休ませるのが一番らしい。そういえば病名はまだ聞いていないが、やはり腸閉塞の治療そのものを受けている。胃腸が回復すれば腸の詰まりは自然解消され、治癒する。その目安は、おならが出て、便が出ること。昨日からおならは出始め、腹部の張りは治まりつつある。しかし、まだ便が出ていないのが、治っていない証か。
 朝の回診時、触診しながら「大分良くなったでしょ」と医師から言ってはもらえたが、便が出ていないのならもう一晩様子を見ましょうということで、もう一日の入院が朝の段階で決定。
 血液検査もすることになり、採血をされたあと、今日もレントゲン。昨日は点滴を一時休止、車椅子でレントゲン室に向かったが、本日はベッドに乗せられたまま、点滴をしつつレントゲン室へ。何だが寝たきりの重病人気分である。レントゲンの後、今度は腹部をエコーで見ることに。エコー室で待っている時にまたソナムさんが来てくれた。あづさのために朝食を持って!
 エコーが終わり、元の救急病棟に戻り、あづさが朝飯を済ませ、ソナムさんが帰った後で、本日も座薬注入。この日も結果はガスの出がさらに良くなっただけ。
 ベッドが空いたからと一般病棟に移動することになった。移動の後、初めて入院必要な書類を色々書かされた。ばかげた規則が色々書いてある紙にサインさせられることに。ばかげた規則の一例、『入院患者1人に付き、3枚のカードがあり、1枚が付き添い用、残り2枚が見舞い客用。見舞い客はカードを事前に本人から受け取った上で、毎日3回x2時間の面会時間のみ見舞いができる。』。この時は面会時間外だったが、どの患者の周りにも数人の見舞い客がいた。つまりは、規則はあってもみんな守っていない・・・これがブータンなのだ。病気で文句を言う気力などなく、サインはしました。
 書類上はこの時からが正式な入院。すでに来院し24時間以上経っていたが、昨夜は救急病棟滞在で入院ではなかったようだ。

 この日はおならも普通に出るようになってきて、腹部の張りも無くなってきた。痛みがなくなり、後は便を待つだけ。あづさに腹部のマッサージなどをしてもらったが、結局便は出ず。
 夜になってまたソナムさんがあづさに手作り弁当を持ってきてくれた。本当に美味そうー。優しいソナムさんに感謝の気持ちで一杯だ。
 痛みが治まってきたためか、この夜は久しぶりに熟睡。

腸閉塞3入院

雑事|15Dec2010|URL
 明け方から少し痛みが引き、少しだけ眠ることができた。入院の覚悟ができ、病院に向かう前に少し荷物整理。
 トンサまでの2泊3日間一緒だったタクシー運転手のソナムさんが迎えに来てくれ、病院へ。気を利かせてくれたソナムさんが急患用の場所へ案内してくれたのでほとんど待つことなく診察してもらうことができた。救急担当の医師は触診と問診のみ、レントゲンを撮った後に担当医の診断を受けることになった。
 レントゲンを撮る前に点滴を開始。レントゲン室へ行く時には点滴を中断し、車椅子に乗せられレントゲン撮影。また救急病棟に戻り、点滴再開。以降、退院まで休みなしの点滴!
 しばらくして、私服の医師が登場。脳外科のスペシャリストというこの先生が以降担当となる。触診し、レントゲンを見た後、今後の予定を聞かれた。本来は明日からパロに行くはずだったが、当然これは無理。問題は3日後に迫った出国日までに治るかどうだ。医師はビザ延長や飛行機変更を考える必要はないと断言、しかし、同時に一晩入院の宣告を受けた。
 入院は個室を勧められたが、1泊1500ニュルタム(約3000円)かかるので相部屋となる一般病棟を希望。この時、不安に思っていた治療費を確認。無料との回答に一安心する。ありがたい国だ。この日は空きベッドがなく、臨時で救急病棟に泊まることになった。
 排便促進の座薬(いわゆる浣腸?)を入れた。結果的には便は出なかったが、おかげで久しぶりに大量のおならが出て、腹部の張りが若干治まった。あづさは付き添いで病院に泊まることになり、この後荷物を取りに友人宅に一度戻った。その折に、ビザ延長の規則を確認してもらったところ、延長の場合は一般ツアーと同様で1日当たり200ドルが必要だという。2人で毎日400ドル。いくら医療無料の国でも、これでは帰国して入院した方が良い。何としてでも予定の便で出国できるよう退院せねば! 日本を出て3年半、ついに帰国かとこの時は真剣に考えたのだった。
 夜になって、ソナムさんが弁当を作って来てくれた。あづさが病院に戻る時に店に立ち寄って夕食用のカップ麺を買ったことは知っていたはずだが、それでは可哀想と思ってくれたのだろう。絶食、絶飲で点滴で生かされている私には目の毒となるほど美味そうなブータン飯。米は現地で西岡ライスとして知られる日本米! うらやましい。
 ソナムさんはマットや毛布、寝袋なども持ってきてくれ、付き添いのあづさもこれでゆっくり休めることに。

腸閉塞2ティンプーへ

雑事|14Dec2010|URL
 朝になっても症状は全く改善せず。朝食は抜く。24時間ほとんど何も食べていないが空腹感はない。
 この日は今回のブータン旅行のハイライトであるトンサツェチュの日。部屋で休んでいようと思ったが、会場で座っていれば良いと励まされ会場へ。いやー楽しかった! 最初は座り込んで見ていたが、途中からは痛みがましになった気がし、場所を変え、写真や動画を取り、全く普通に観光できた。
 午後1時にタクシーで出発。痛みは酷い。便が出る気配は全くなく、ゲップが良く出る。腸が詰まっている感じで、腸閉塞という病名が思い浮かぶ。痛みは酷いが、何も食べなければさらに酷くはならず、何とか8時間の移動に耐え、首都ティンプーに帰着。
 夜インターネットで検索。症状に完全合致するのはやはり腸閉塞。明日病院に行ったら即入院となるのだと覚悟を決める。
 腸閉塞だと一切何も食べてはいけないのに、実はティンプーに着いてすぐ、検索よりも前にお粥を食べてしまった。しばらくして気持ち悪くなり吐いたが、時すでに遅し。痛みは増して、発病以来最高の痛みとなり、明け方まで眠ることはできなかった。

腸閉塞1発病

雑事|13Dec2010|URL
 朝から体調も良く、美味しい朝ごはんを腹いっぱい食べた。快便。観光している間も何の問題もなく元気だった。
 しかし、移動中のタクシー車内で突然の腹痛。普通の下痢にしてはあまりに急な腹痛で、食中毒だとこの時は思った。ベルトを緩めてもズボンの締め付けが苦しく、パンツのゴムでさえ痛くてたまらない。完全にチャックを開けてズボンもパンツもずらし、上着で下半身を隠しタクシーに乗り続けた。
 峠で車は一休み。便は出そうにないと思ったが、突然来る感じもあったので、用足しに。時間をかけると便が出たが、依然下痢ではない。
 目的地がもうすぐという展望台で、昼食タイムとなる。一応ここまでは腹痛を隠していたが、ここで他のメンバーに腹痛を伝え食べられないことを告げる。普段なら少々の下痢でも食事をするが、この時は全く入らない感じだったのだ。他のメンバーも朝食をとり過ぎたためか、今日の昼食はなくて良いということになり、この休憩はお茶タイムに変わる。私は長時間トイレにいくも出たのはゲップと小便のみ。
 ここから2時間のトレッキングをすることになった。キャンセルして車で行っても良かったが、便さえ出れば痛みが治まると考えた私はいつでも用便ができそうな森のトレッキングに参加することに。苦しかったー。歩くことが好きな私があづさのペースに付いていけないなんて経験は初めて。
 宿に着いてから長時間トイレで粘ったが、やはり出るのはゲップと小便のみ。腹部はものすごく張っており、ズボンが履けなくなってきたほど。ベッドで苦しみながら、小便が普通に出る=水分の吸収はうまく行っている、つまりは酷い下痢ではないことをふと悟った。何かまずい病気・・・。夕食は、あづさが部屋に持って帰ってくれた夕食のデザートだったバナナケーキを一口かじっただけ。そしてしばらくしてそれも吐いてしまった。
 この夜は痛みで一晩朦朧としていた。

USB3Gモデム接続に必要なサービス

雑事|07Dec2010|URL
 シンガポールでUSB3Gモデムを借りた。USBモデムを差し込むと自動的に接続ソフトがインストールされ、接続が出来るというのだが、これが中々うまくいかなかった。接続だけで自動的にソフトがインストールというのはセキュリティー上の問題から切っており、これはすぐ手動でしたが、インストール時にエラーが出て接続できず。2台のPCとも同じ。この手の接続をしたことがなく、接続できないことにはネットで調べることも出来ず一苦労。結局、以前ダイヤルアップを久しぶりにやって出来なかったときと同じで、ダイヤルアップに必要なサービスを動かせば良いだけだった。
 前回のメモではサービス名をメモしただけだが、表示名を書いておいた方がずっと分かりやすいことに今回気づいたので改めて
Telephony=TapiSrv
Remote Access Auto Connection Manager=RasAuto
Remote Access Connection Manager=RasMan
の3サービスがモデムを使ったインターネット接続には必要。

訪問国数

雑事|29Nov2010|URL
 ココスで世界すべての国を訪問し終わったのを機に、というよりもシンガポールで取材を受けることになったのを機に、訪問国数を数えることにした。国数に関しては色んな基準があるのであまり意味はなく、自分の関心は後り幾つ行きたいところがあるかだけだった。国数を数えたことは永らくなく、基準を途中で変えた部分もあり、自分自身訪問国数は全然分かっていなかった。
 で、数えたところ、あづさが日々のページで数えてくれていたのと合わず、数時間悩んでしまった。ISO=国際標準化機構のISO3166-1のリストを元に手動で足したり引いたりしたので最初は抜けなどあったが、抜けがもうないと思われるまでのリストにしてからどうしても1つ合わず・・・。何のことはなく、国リストには日本があり、訪問国としては日本を数えていなかっただけ(笑)。
 結果、私の個人的な考え方での世界の国数は246、訪問国数は日本を除いて245となりました。

奇しくも246で国数が同じであるISO3166-1と違いは
1.無人または研究者、軍人など期間限定で派遣された人しか住んでいない地域を除く。これで南極など7ヶ所が除外。-7
2.政治的な問題で国コード指定が遅れているだけのコソボを追加。+1
3.オランダ領アンティルの解体10月10日以降ISO側の会議がないためオランダ領アンティルで一つと数えている旧オランダ領アンティルの国々5ヶ所を追加。+4
4.スペイン領セウタとスペイン領メリリャを追加。+2
これでプラスマイナス0となります。

 ちなみに現在シンガポールで最も多くの国(196ヶ国)を旅した旅行者として現地新聞に紹介された友人の家に泊まっています。彼の数え方は、1-3までは同じ。
4.本国との間に他国がない領土は数えない。これでISOに含まれないセウタ、メリリャだけでなく、フィンランド領のオーランド、ノルウェー領のスバールバル、香港、マカオが除外。この基準では台湾、パレスチナ、西サハラも除外だが、後の基準でこの3ヶ所は復活。
5.本国の影響を受けない政府が実質的に国土を領有している。これで、台湾、北キプロス、ソマリランド、南オセチア、アブジア、沿ドニエストル、ナガルノカラバフ、ナヒチェバンを追加。
6.その存在を国連で確認されている。これでパレスチナと西サハラが除外されない。
7.以前行った国が消滅しても訪問国数からは減らさない。これで彼の場合、香港、マカオは現在もカウント。(この基準は私も同じ)
 彼の基準だと総国数は+3で249、私の訪問国数は-2で243ヶ国となる。彼の基準での未訪問地域へ行くことも今後の案の一つだが、あまり気乗りしない場所ばかり。それよりは基準1で除外した南極などに興味がある。もっと興味があるのは国を持てない少数民族文化圏です。

国と地域全訪問達成

雑事|23Nov2010|URL
 オーストラリア領ココス諸島訪問で、非独立地域を含む世界の全ての国の訪問を達成しました!!!
 国の定義に関しては、"基地関係者等期間限定住民以外の住民がいる"という条件下においてです。詳しくは未訪問国リストなど、サイト内に何度か言及したページがありますのでお読み下さい。
 最難関だったピトケアン諸島を訪問し終えたあと、淡々とここまで来たので、終わってみれば意外にスムーズだったなという感じです。嬉しいのはもちろんですが、目標がなくなって何だかさびしい気も・・・。だた、今回はもう少し旅が続くので、最後まで気を抜かないようにしないと。大好きな国のひとつであるブータン訪問がもうすぐなのに、目標がなくなったなんていってる場合じゃないですね。
 ここまで応援してくださった皆さん、そしてあづさ、ありがとう!

1年半かかって・・・

雑事|15Nov2010|URL
 ロストバゲッジでテントを失う事件発生が、昨年の4月。最終的に紛失で見つからないといわれ損害補償の請求をしたのであるが、そこからが大変であった。2度目のロストバゲッジに書いたよう、その後一切の連絡はなく、もちろん支払いもなし。聞いていたメールアドレスは使用されなくなっており、キプロスエアーのサイト上からもメールアドレスが消え、メールフォームからメールをしようにもエラー。連絡できないまま、本当に腹立たしかった。
 今年の春頃になってキプロスエアーのサイトが更新され、メールフォームが動くようになり、ついに新たな担当者と連絡がついた。しかし、予想通り1年以上前に発生した事故の引き継ぎなどなされておらず、提出した書類も見つからない様子。ここからの交渉で更に半年!
 先方は最初にまず電話をくれの一点張り。しかし、事故発生後何度も何度も電話したが、折り返し電話となっては電話が来ないの繰り返しで埒が明かず、最後にはオフィスに足を運んで手続きを済ませたのだ。そんな会社に金をかけて長距離電話をする気には2度となれない。
 そして・・・詳しい経緯は今ここで書く気になれないが、何とか不本意ながらも解決をみた。預け荷物を完全に失くされ、その後散散苦労した結果得たのはたった2万円。少なくともこれでこれ以上嫌な思いをせずに済むと思うだけでほっとする。
 嘘つきで無責任な社員だらけのキプロス航空には2度と乗らない!