インドで歯医者
半年ほど前にトンガで治療してもらった右下奥歯の詰め物が取れてしまった。痛みなどは全くないが放置するわけにも行かないのでインドのプリーで歯医者に行った。公立病院の治療はめちゃくちゃだから私営にしなさいと宿の人に薦められ、個人診療所に行く。ただし、先生は病院勤務で、個人診療所は夕方からの副業らしい。先生が一緒なら安い病院でとも考えたが、ここはインド、インド人のお勧めに従うことにした。
診療所は受付に人が居らず、そのまま待合室で待つ。先に並んでいたのは2人だけで、30分ほどで順番となった。中は歯医者と掃除だけの助手のみ。会計も医師がそのまましていた。設備はまあ普通にそろっている様子。
まず詰め物のとれた奥歯を見せたところ、いきなり治療方法と金の話に。メタルにするには穴が浅いのでかなり削るといわれ、それで300ルピー。削りたくなければ前に付いていたであろう樹脂も入れられるが、それは400ルピーで、しかも外れやすいという。痛くもなく、新たな虫歯は全くなさげなのに削るのは嫌なので、樹脂を選択。
全く削らなかったので、治療の痛みは0。会計はまるで散髪屋のごとく、椅子から降りたらその場で支払って終わり。もちろんレシートはないし、何かノートに金額を付けている様子もなかった。約800円なのでそれほどぼっている訳ではないと思うが、アバウトすぎ。
今回の治療で日本までもってくれれば良いが、さてどうなることやら。
診療所は受付に人が居らず、そのまま待合室で待つ。先に並んでいたのは2人だけで、30分ほどで順番となった。中は歯医者と掃除だけの助手のみ。会計も医師がそのまましていた。設備はまあ普通にそろっている様子。
まず詰め物のとれた奥歯を見せたところ、いきなり治療方法と金の話に。メタルにするには穴が浅いのでかなり削るといわれ、それで300ルピー。削りたくなければ前に付いていたであろう樹脂も入れられるが、それは400ルピーで、しかも外れやすいという。痛くもなく、新たな虫歯は全くなさげなのに削るのは嫌なので、樹脂を選択。
全く削らなかったので、治療の痛みは0。会計はまるで散髪屋のごとく、椅子から降りたらその場で支払って終わり。もちろんレシートはないし、何かノートに金額を付けている様子もなかった。約800円なのでそれほどぼっている訳ではないと思うが、アバウトすぎ。
今回の治療で日本までもってくれれば良いが、さてどうなることやら。
プリーで休養
東南アジアを過密なスケジュールで駆け抜けたため、雑用が溜まり、サイトの更新も遅れている。ブータンで体調を崩したこともあり、一休みをしたいと思いつつも、ネパールと北インドが余りに寒く、ゆっくりすることができなかった。そうして暖かいところを目指したどり着いたのが、ベンガル湾に面したここプリー。幸い、期待通りに、暑くもなく、寒くもない、良い気候です。見所の少ないこの街に最低でも1週間滞在し、リフレッシュ!
列車の遅れ
インドの列車も最近は遅れることが稀になったなどとガイドブックにあったが、霧が発生しやすいこの時期の北インドでは日常的に列車は遅れているらしい。実際、ゴラクプールからバラナシに乗った時も数時間遅れた。そして、今回・・・。
20時25分発の列車に乗るためにバラナシ駅に着いたのが、18時半頃。ゆっくり夕食をとり、19時半頃遅れを確認しに行ったところ、出発予定時刻が4時間遅れており、ガーン。この日は特に冷え込んでおり、真夜中過ぎまで待つのは苦痛である。外人専用のキップ売り場は暖かで列車街も許されることで有名だが、20時で終了。24時間営業のレストランにこれ以上居座るの難しい雰囲気だったので、一等乗客専用待合室に移動した。外よりはずっとましだが、ここもめちゃくちゃ寒い。寝袋にくるまり、震えながら時が流れるのを待つ。寒くて何もする気にはなれなかった。
23時半を過ぎ、もう一度出発時間を確認に行く。予定時刻は変わっていなかったので、荷物を持って23時50分頃もう一度確認・・・、更に4時間遅れに予定がここで変わってしまった。また待合室に。持っているあらゆる布を身にまとい4時まで凍えていた。
4時過ぎ、予定時間は変わらなかったのでホームに行き、列車を待つがいつまでも来ない。もう一度時間確認に戻ったら、更に1時間遅れと予定が変わっていた。待合室に戻る。
5時半、もう一度ホームへ。また来ない。予定時刻を過ぎてから、新たな時刻が更に1時間半後と変更に。ここで頑張っていた気持ちが途切れ、意識は朦朧。ホームの水溜まりが凍っていたので、気温は氷点下。また待合室に戻る。
7時、すでに夜は明けている。この時点で11時間遅れ。予定時刻の電光表示は6時の時点で故障しており、窓口は殺到した乗客で質問も出来ず。やはり列車は来ず。電光表示のあるホームの待合室に戻っても仕方ないので、乗車予定ホームにあった小さな待合室に入る。
結局、13時間以上出発は遅れ、午前9時40分頃列車は出発した。
車中爆睡。凍えながらの一夜で風邪になり、熱が出て喉も痛い。目的地のプーリーまでは21時間のスケジュールだが、翌朝になっても到着する気配なし。暖かになってきたのだけが救いだった。昼になってもプーリーはまだまだ先。結局日は落ち、予定よりも25時間以上の遅れ、33時間かかってプーリーに到着したのだった。恐るべしインドの列車。
20時25分発の列車に乗るためにバラナシ駅に着いたのが、18時半頃。ゆっくり夕食をとり、19時半頃遅れを確認しに行ったところ、出発予定時刻が4時間遅れており、ガーン。この日は特に冷え込んでおり、真夜中過ぎまで待つのは苦痛である。外人専用のキップ売り場は暖かで列車街も許されることで有名だが、20時で終了。24時間営業のレストランにこれ以上居座るの難しい雰囲気だったので、一等乗客専用待合室に移動した。外よりはずっとましだが、ここもめちゃくちゃ寒い。寝袋にくるまり、震えながら時が流れるのを待つ。寒くて何もする気にはなれなかった。
23時半を過ぎ、もう一度出発時間を確認に行く。予定時刻は変わっていなかったので、荷物を持って23時50分頃もう一度確認・・・、更に4時間遅れに予定がここで変わってしまった。また待合室に。持っているあらゆる布を身にまとい4時まで凍えていた。
4時過ぎ、予定時間は変わらなかったのでホームに行き、列車を待つがいつまでも来ない。もう一度時間確認に戻ったら、更に1時間遅れと予定が変わっていた。待合室に戻る。
5時半、もう一度ホームへ。また来ない。予定時刻を過ぎてから、新たな時刻が更に1時間半後と変更に。ここで頑張っていた気持ちが途切れ、意識は朦朧。ホームの水溜まりが凍っていたので、気温は氷点下。また待合室に戻る。
7時、すでに夜は明けている。この時点で11時間遅れ。予定時刻の電光表示は6時の時点で故障しており、窓口は殺到した乗客で質問も出来ず。やはり列車は来ず。電光表示のあるホームの待合室に戻っても仕方ないので、乗車予定ホームにあった小さな待合室に入る。
結局、13時間以上出発は遅れ、午前9時40分頃列車は出発した。
車中爆睡。凍えながらの一夜で風邪になり、熱が出て喉も痛い。目的地のプーリーまでは21時間のスケジュールだが、翌朝になっても到着する気配なし。暖かになってきたのだけが救いだった。昼になってもプーリーはまだまだ先。結局日は落ち、予定よりも25時間以上の遅れ、33時間かかってプーリーに到着したのだった。恐るべしインドの列車。
インド東部3州の入域許可証が不要に
The Times of Indiaによれば、
本年1年間に限り、従来はマニプール州、ミゾラム州、ナガランド州訪問に必要だった許可書が不要となった。この処置は、中国人とパキスタン人を除く、すべての外国人に適用されるとのこと。ただし、この3州を訪問する場合は、入域後24時間以内にForeigners Registration Officer(FRO)に出頭し、登録をしなければならない。
とのこと。
従来の許可証は4人以上の団体かつ州によってはツアー参加者のみへの発行だったため、個人旅行者には訪問が非常に困難だったが、今年は自由に行ける! この3州はミャンマーに接し、多くの少数民族が住むインドの中では特殊な地域。許可書を取ってでも行きたいと思っていた場所なので、本気で行きたい。どうしようかなぁ。
本年1年間に限り、従来はマニプール州、ミゾラム州、ナガランド州訪問に必要だった許可書が不要となった。この処置は、中国人とパキスタン人を除く、すべての外国人に適用されるとのこと。ただし、この3州を訪問する場合は、入域後24時間以内にForeigners Registration Officer(FRO)に出頭し、登録をしなければならない。
とのこと。
従来の許可証は4人以上の団体かつ州によってはツアー参加者のみへの発行だったため、個人旅行者には訪問が非常に困難だったが、今年は自由に行ける! この3州はミャンマーに接し、多くの少数民族が住むインドの中では特殊な地域。許可書を取ってでも行きたいと思っていた場所なので、本気で行きたい。どうしようかなぁ。
Now in バラナシ、インド
バラナシにいます。めちゃくちゃ寒い。ネパールのポカラよりも寒く、カトマンズ並み、標高は1000m以上低く、緯度も少しは南なのに・・・。過去に2度この時期に来ているが、ここまでは寒くなかった。気がする。冬服がないから堪えるっていうのはあるが、きつ過ぎ。北インドはこれで終わりにし、南に向かいます。
ここで意外だったのは、WIFIのある宿がほとんどないこと。インドはITが結構進んでると思っていたし、これだけツーリストが多いとすぐに流行りそうなものなのに・・・。ほとんどの安宿にネット環境がない中、伝説の日本人宿久美子ハウスにはWIFIがあった。さすがだ。泊まりたかったが当然人気で、ドミトリーさえ連日フルでダメだった。
ここで意外だったのは、WIFIのある宿がほとんどないこと。インドはITが結構進んでると思っていたし、これだけツーリストが多いとすぐに流行りそうなものなのに・・・。ほとんどの安宿にネット環境がない中、伝説の日本人宿久美子ハウスにはWIFIがあった。さすがだ。泊まりたかったが当然人気で、ドミトリーさえ連日フルでダメだった。
仏教四大聖地の一つサールナート
仏教四大聖地の中で一番ツーリストが多いのはこのサールナートだと思われる。理由はインドの代表的観光地であるバラナシに来たならば必ずといって良いほど行くであろう便利な場所にあるから。バラナシの駅前からバスもあるが、オートリキシャのチャーターでも片道200円くらいと安いので、駅前から行くのでなければオートリキシャがお勧め。
ここは仏陀が始めて説法をした場所。仏教が文字通り仏の教えと考えるならここが仏教発祥の地といえる。ここでは巡礼に来た人の姿が目立ち、観光客が目立っていたルンビニやクシーナガルとは雰囲気が違う。
残念だったのが、入場料を管理している切符売りとキップもぎ達。入場券はASIのホログラムまで張った考古学サーベイの本物だが、キップもぎ達はキップをちぎらずに回収し、また売り場に戻し、別の人に売っている。つまり、国に金を納めずに自分達の懐に入れているのだ。私は無理矢理ちぎらせて半券を受け取ったが、ほぼ全員がチケットをそのまま回収させている・・・。遺跡保護のためと言いながら地元民の20倍もの料金を取っているのにこれでは意味がない。見ていてインドの遺跡に金を払って入るのが嫌になってしまった。もう今回はこれ以上行かないかも。
ここは仏陀が始めて説法をした場所。仏教が文字通り仏の教えと考えるならここが仏教発祥の地といえる。ここでは巡礼に来た人の姿が目立ち、観光客が目立っていたルンビニやクシーナガルとは雰囲気が違う。
残念だったのが、入場料を管理している切符売りとキップもぎ達。入場券はASIのホログラムまで張った考古学サーベイの本物だが、キップもぎ達はキップをちぎらずに回収し、また売り場に戻し、別の人に売っている。つまり、国に金を納めずに自分達の懐に入れているのだ。私は無理矢理ちぎらせて半券を受け取ったが、ほぼ全員がチケットをそのまま回収させている・・・。遺跡保護のためと言いながら地元民の20倍もの料金を取っているのにこれでは意味がない。見ていてインドの遺跡に金を払って入るのが嫌になってしまった。もう今回はこれ以上行かないかも。
インドのATMに要注意
ATMでお金を引き出したら、破れて一部が欠けている紙幣が出てきた。他の国なら少々破れていても使えるが、インドでは破れ紙幣は使えない。ましてや欠けていてはどうしようもない。500RP、約1000円のことで管理している銀行に電話をかけて交換交渉しようにも何時間も無駄にしなければならないのは見えており、泣き寝入りする他はなし。悔しいなぁ。
実際問題、ATMでは注意のしようもなく、こういうことを覚悟で使うか、使わず両替商や銀行カウンターに頼るか二者択一。難しい国だ。
実際問題、ATMでは注意のしようもなく、こういうことを覚悟で使うか、使わず両替商や銀行カウンターに頼るか二者択一。難しい国だ。
仏教四大聖地の一つクシーナガル
仏陀入滅の地(仏陀の生を閉じた場所)クシーナガルは仏教四大聖地の一つ。仏陀入滅の地に現在は涅槃堂が建てられ、涅槃仏がある。また近くの仏陀が荼毘に付されたとされる場所には巨大な仏塔がある。
行き方は、ルンビニ(スナウリ国境近く)とサールナート(バラナシ郊外)の中間にあるゴラクプルからバスで約1時間。ゴラクプルまではインド各地からの列車がある。
四大聖地とされているのは、仏陀生誕の地ルンビニ、仏陀が覚りを開いた場所ブダガヤ、仏陀が最初の説法をした場所(仏教の始まった場所)サールナートとここクシーナガル。
仏陀はクシーナガルでその生を閉じる直前、弟子アーナンダにこの4ヶ所が信者の巡礼の対象になることを予見し話している。そしてこの4ヶ所巡礼の旅をするものは「天にも登る気持ちで死を迎え、身体の消滅後、再び生を得るであろう。」と言い残している。
という訳で、今回のクシーナガル訪問で四大聖地巡りを完了した私も「天にも登る気持ちで死を迎え、身体の消滅後、再び生を得る」ことができるかも。
行き方は、ルンビニ(スナウリ国境近く)とサールナート(バラナシ郊外)の中間にあるゴラクプルからバスで約1時間。ゴラクプルまではインド各地からの列車がある。
四大聖地とされているのは、仏陀生誕の地ルンビニ、仏陀が覚りを開いた場所ブダガヤ、仏陀が最初の説法をした場所(仏教の始まった場所)サールナートとここクシーナガル。
仏陀はクシーナガルでその生を閉じる直前、弟子アーナンダにこの4ヶ所が信者の巡礼の対象になることを予見し話している。そしてこの4ヶ所巡礼の旅をするものは「天にも登る気持ちで死を迎え、身体の消滅後、再び生を得るであろう。」と言い残している。
という訳で、今回のクシーナガル訪問で四大聖地巡りを完了した私も「天にも登る気持ちで死を迎え、身体の消滅後、再び生を得る」ことができるかも。