2人の世界旅 日々の記録

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ブルネイ>2010年09月27日(Mon)
コタキナバル→ラブアン→ムアラ→バンダルスリブガワン
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■世界屈指のお金持ち国家
「ブルネイ」といえば、ついてくるイメージは「お金持ち」?

その国は、ボルネオ島(別名カリマンタン島)の北部沿岸地域のごく一部。Wの字の形の国境線をもっていて、つまりは、大雑把に言えば、U字形の2つの小さな領土をもっています。熱帯雨林地帯にある大河の河口デルタ地帯で、昔から文明の隘路、中国やインドなどの大国相手の交易から、王朝が栄えていました。イスラム商人の移動は大航海時代よりも何百年も早いわけで、マゼラン艦隊に発見されたときは「王は陸、それ以外の民は水上に住んでいた」と記録されており、そのほぼ全員がイスラム教徒だったそうです。

当時は石油が出るわけでも金銀財宝が掘れるわけでもなく、これが奏して西洋搾取を受けずにこれたのが良かった。19世紀にはイギリスの保護領になっていたものの、20世紀になって石油が出た。ブルネイは石油利権をマレーシアに取られないよう、王の意思によりマレーシアの一部になるのではなくイギリス領にとどまり、やがて独立しました。

ちなみにブルネイの輸出品は9割以上が石油や天然ガスなどの燃料資源で、その相手国ナンバーワン(額面集計)は、我らが日本です。

ブルネイ滞在中に地元の人と込み入った話を気の済むまではできなかったのですが、とりあえず、聞いた話では、医療費無料、住まいも無料、教育費も無料、などなど、王族は石油や天然ガスの輸出により得た財産を国民にもちゃんと遣っています。公務員になることを希望すれば誰でもなれるそうです。様々な福祉に支えられ、人々は金銭面では裕福に暮らせている。それが、ブルネイ。日本は・・・なんたって、税金が高くて大変です。家を持ったら固定資産税、住んだら住民税、買い物したら消費税、健康ピンピンしていても国民皆保険、etc、etc、大変だ(^^ゞ


マレーシアのコタキナバルKota Kinabaruからブルネイに入るには、ラブアンLabuan島を中継して2つの船に乗って行くのが一般的です(いや実は後日、陸路のほうが簡単だったことに、帰りをオール陸路にしてみて気づいたのですが、渡航前に集めた情報では船で行くことを選んでしまった)。

マレーシアはイスラム教徒が多く、そのためかお酒が高い国なのですが、ラブアンは免税街、お酒が安く買える「ちょっと特別なマレーシア」です。到着時が丁度お昼どきでもあったので、「ビールにおつまみランチ♪」等をかなり期待し、更にラブアンが楽しそうなところならばここに1泊しようと考えていたのですが、お酒の値段はあまり安くなかったので、さっさとランチを終えて、1時間も滞在せずに、ブルネイ行きの船に乗ってしまいました。


ブルネイに到着。港で両替してブルネイドルを入手したら、バスに乗り、首都バンダルスリブガワンBandar Seri Begawan、略称BSBへ行きました。安宿は目星をつけてあったところに決め、その、お金持ち国家たる様子を早速見に、市内観光へ足を運びました。

自家用車は、意外にオンボロも走っています。オマーンのほうが車がみんなピカピカしてると思う(あちらは法律で車が汚れていると1600円の罰金を課すからでしょうけれど)。女性のムスリム衣装も、男性の平服も、別段高級そうという感じはありません。もちろん素敵なバッグに高級仕立ての服を着る人はいるけれど、そういう人はどの国にもいるもので、特にここが抜きん出る印象はありません。しかしダイヤモンドを散りばめた公務員(役人)の金の腕時計はすごかった。ロレックスのスゴイやつよりすごいんじゃないかな。ここではしばしばそういうゴージャスな人を見かけることができます。

川沿いへ向かいました。ウォーターフロントからショッピングコンプレックスを通り抜け、水上に屹立するモスクへ。オマールアリサイフディンモスクは、28代国王の名を冠して名付けられたものです。あまりに美しい。世界中から豪華な素材を取り寄せて巨額を投じて作られたキンピカモスクは、久々に「目の保養」と思える光景でもありました。モスクの外堀には王室遊覧船つき。実に絵になる光景です。うはー♪絵葉書みたい♪

ブルネイ

そして、そのモスクを城に例えるならばまさに城下町と言わん距離に、水上集落「カンプンアイェールKanpung ayer」(カンポンアイェールKanpong ayerとも)があります。昔は平民は全員がこの暮らしをしていた、という記録が本当ならば、この水上集落こそブルネイで必ず見ておかなければならない姿だと思います。

ガイドブックや博物館資料(いつ印刷されたかは不明)にはここに3万人が住むと書かれていますが、後日博物館員に聞いたらこの住民は1万人くらいですって。政府は郊外に家を建てて、彼らの陸地への移住を強制し、このカンプンアイェールをなくしたいようです。訪れてみたら、人が住んでいない家も結構ありました。学校やモスクも商店も水道もあり、庭(つまりは自分ちの目の前にある川)でカニや魚を取るおじさんもいて、彼らは水上で暮らしていけることも分かりました。不便な郊外にいるよりも、首都中心部至近距離の水上にいるほうを選んでいるのだろうと思います。あ、あと、水上に住む人は、風が吹くと涼しくてここを好んでいるようです。ブルネイは熱帯地域ですから、こういうのも大事なんですね。

1000年以上も続くこの伝統的な生活スタイルですが、ここはアフリカで見た水上集落(≫こちら)とは違う。ここは、お金持ちブルネイです、人々の暮らしが相当電化製品に依存している様子が、外から見ても良く分かります。そんな現在では、水の上で暮らすことは不都合も多いでしょう。またもしここが日本ならば、汚水と生活の場が一体となるこういう環境は環境問題が確実に取り上げられるところです。政府が安定した陸地への移住を推進しているということもあり、1000年以上も続くこの伝統的な生活スタイルは、今後もずっとブルネイに残るのかどうか、興味があります。


水上集落を出て、もう一度先ほどのモスクに戻りました。豪華絢爛たるサラセン文化(中世イスラムの文化の1つ)を継承しつつイタリアの大理石やらあの国のこの高級素材やらをたっぷり取り入れたモスクです。中に通され、しばらくはその内装を眺めていました。写真撮影はちなみに禁止です。

「ユニークな国」という尺度で見ればお金持ちのブルネイは世界でも有数の国ですね。今日は初日の夕方からの観光ですが、早速いろいろなものを見ることができ、充実した1日を終えることができました。
本日の旅
行動 :コタキナバルからバンダルスリブガワンへ移動、マレーシア出国、ブルネイ入国
朝食 :トースト、いちごジャム、カフェオレ/宿
昼食 :Nasi campur(ナシチャンプル、ごはん空心菜の炒め物イカフライレバーピリ辛煮の盛り合わせ)、Murtabak ayam(ムルタバックアヤン、ねぎ鶏ひき肉キャベツ玉ねぎ炒めを薄く延ばした小麦粉で薄平たく包んで焼いたもの)/ラブアンの食堂
夕食 :Nasi goreng daging(ナシゴレンダギン、シンプルなチャーハン)、きゅうり、Ikan masak sour & sweet(イカンマサクサワーアンドスウィート、白身魚フリッターの3色ピーマン玉ねぎ生姜甘酢トマトソース)/バンダルスリブガワンのカフェ
宿泊 :ケーエイチスーンサービシーズアンドレストハウスK.H.Soon Services and Rest House
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旅情報
1マレーシアリンギット=28.2円
1ブルネイドル=78円

*オマールアリサイフディンモスクの入場時間
土~水 8時半~12時、13時半~15時半、16時半~17時半
木 入場禁止
金 16時半~17時
教徒の祈りの時間は、上記に関わらず入場禁止。
入場は無料。服が戒律を満たしていない場合は男女共かぶりものを貸してくれる。