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サントメでの両替

情報|16May2008|URL
 空港にも港にも両替所はなかった。
 外貨購入を制限しているので、やみ両替が存在する。銀行とやみのレート差は10%弱。やみ両替屋は街の中心部のいたるところにおり、警官の前でもおおぴらにやっていたのでそう問題はなさそう。
 やみ両替はユーロとドルの現金のみ。CFAは銀行でもやみでも両替困難。日本円やデンマーククローネの現金も銀行での両替は可能で、銀行レートと比較するならレートも悪くない。 トラベラーズチェックは銀行で両替できるそうだが、手数料が異常に高く非現実的。ATMはまだない。

やっと使えたスルガのカード

情報|10Apr2008|URL
 アフリカに入ってトラブル続きのスルガ銀行VISAデビットカード、メモに書いたATMカード吸い込み事件コトヌー:旅日記にある事件以外にも色々問題が続発していました。
 その中でも記事にすることさえためらわれていた最大の事件は、1月に発生していた誤引き落とし。ガーナのATMでキャッシングをしようとしたところ、金額の入力後、マシンでエラー発生、お金が得られなかったにもかかわらず、口座からはお金が引き落とされた事件です。スルガ銀行側はこちらから有料の国際電話をかけないと対応しないと主張し、交渉は大変。以前、別件で電話したときに、散々待たされ、用件に関係ない質問などされ、結局無駄電話に終わった経験があり、銀行側の問題で高額な電話代をかける気にもなれず、この件では本当に嫌な思いをしました。2ヶ月半かかって、やっと先日返金を得ましたが、その間の利子はどうなるんだって感じです。
 その後も何度かスルガのカードでキャッシングを試みていますが、どの国でもダメ。怖くて、小額トライでしたが、結局ガーナの件が発覚して以降、スルガのカードでキャッシングを出来たためしが無いにもかかわらず、コトヌーとヤウンデでも誤引き落としがあったのです。
 幸い他のVISAカードも持っていたので旅行には差し障りなし。つまり、他のVISAカードが使えるのに、スルガのみ使えないということ。

 このスルガ銀行VISAデビットカードがやっとここガボンでキャッシングに成功w さすがガボン! なんといってもアフリカに入って初めてクレジットカードで買い物ができた国(スペイン領メリリャを除く)ですから♪

コンゴ共和国情勢

情報|27Mar2008|URL
外務省の渡航情報として、プール地方(首都ブラザビルを除く)、ブエンザ地方及びニアリ地方に「渡航の延期をお勧めします」が出ている。いわく、
『2006年1月以降、プール地方では特に大きな事件等は発生しておらず、治安回復の兆しがみられます。しかし、プール地方を拠点とする反政府勢力であるニンジャ兵の武装解除が進まず、武器を隠匿所持している者が多数いるとみられています。2007年9月、ブラザビル郊外にて突発的に政府軍と反政府勢力との間で戦闘が発生し、複数の死者が出ました。このほかにも反政府勢力が列車の運行を妨げたり、列車の乗客に対し強盗行為を働いたりするなどの事件が発生しています。
 一方、ブエンザ及びニアリ地方では、近年襲撃事件等は発生していませんが、リスバ前大統領派民兵「ココイユ」等の兵士が依然として残存している可能性があるため、不測の事態が発生するおそれがあります。』
 しかし、色々聞いて回った結果、問題はないだろうと考え、この列車に乗車。

 甘かった。
 でましたニンジャ兵。怖かったー。銃声と共に列車が停車。機関銃を持った人々が列車脇や列車の屋根を何度も行き来している時には、車内に緊張が走り、それまでうるさかったコンゴ人の乗客も黙りこくった。約1時間の停止、長い列車の最後尾車両におり、前方で何があったのかわからないが、撃ち合いはなく、お金で解決した模様。
 しかし、これだけでは終わらなかった。
 数時間後、金を出せといきなり殴られた。周りの見ている乗客は全く助けてくれない。断ると刃渡り30cmくらいの山刀を突きつけられ、またコンゴでやられるのかと思い泣きたくなった。知らずに通りかかった人をこの強盗との間に無理やり引っ張ると、その間強盗は山刀を隠し、ニヤニヤ。10分位これで時間を稼いだが、降りる人だったので駅出発直前にまた、強盗と対峙することに。しばらくて、機関銃を持った護衛が巡回してき、何とか助かる。強盗は護衛に殴られ、縛られて、次の停車駅で降ろされた。

 17年前、初めて強盗にやられ、旅が終わってしまったこのコンゴで再びやられるのは、絶対に嫌だった。無事にすんで本当に良かった。
 助けてくれなかった乗客には「お金を払えば良いのに」などと言われ、ムカー。ま、その通りといえばそうなんだけど。

チャド情勢

情報|13Mar2008|URL
 現在はまだチャド全土に日本の外務省より退避勧告が出ており、当然近づくべきではない。

 が、訪問できる可能性を色々と検討。ニュースを調べるだけでなく、在カメルーンチャド大使館を5度も訪問し、大使や領事と何度も面談、またチャドを管轄する在カメルーン日本大使館領事とも面談を重ね、
・今回の内戦は、東部の反政府軍が首都進攻し、再び東部に退却したもので。どちらかが完全に破れていれば、南部にも敗残兵が散った可能性もあるが、その可能性はない。
・内戦によって政府機能が低下していれば、南部の治安が悪くなる可能性も考えられるが、今回の件を教訓に政府の治安対策は向上しているよう見受けられる。
・チャド南部の情勢が、内戦以前より悪くなったとの情報はない。
以上3点に確信を持った。

 “退避勧告が出ているところを訪問して何かあれば非難されるのは当然”と個人的に考えていることから、安全性に自信を持ってからもかなり迷ったが、悪い材料は最後まで出てこず、入国。3月9日から12日までで、訪問は南部のムンドゥー、ゴレ、ボンゴルです。短い滞在かつ慎重な行動ということもあり、危険を感じることは特になかった。

中央アフリカ共和国情勢

情報|12Mar2008|URL
 中央アフリカの北部には日本の外務省から「渡航の延期をお勧めします」という渡航情報が出されている。これはチャドに出されている退避勧告より危険度が1ランク低いが、基本的にはこのランクが出ていれば訪問すべきではない。
 が、チャド訪問の可能性の検討と共に、もしチャドから中央アフリカに入国すれば通過することになる中央アフリカ北部訪問の可能性も検討。しかし、信頼に値する情報がほとんど得られず、国境近くまで行ってみる。

 国境に近いゴレ(チャド)の村からは国境行きの乗り合いトラックが頻発しており、地元の人は特に危ないとはいわなかった。しかし、国連難民高等弁務官事務所のスタッフから、「今は緊急事態といえるほど中央アフリカ北部から難民が流入しており特に危険である」とのアドバイスを受け、検討の結果、退避勧告の出ているチャドよりもずっと危険であると判断し、訪問は断念。
 危険を避けるために1000キロ以上の迂回路をとることにした。

世界旅のかけら

情報|05Mar2008|URL
 2003年から産経新聞で連載を続けてきました「一国一景」が、3月末をもちまして終了します。そして、同コーナーでは4月から新連載「世界旅のかけら」が始まります。
 題から予想できるかもしれませんが、内容は、昨年5月にスタートし、現在進行中である「世界旅」の話題です。
 お楽しみに!
追記
 4月の紙面改訂で木曜日のレジャー面が縮小、そのため月曜日の経済面にて新連載が始まることになりました。その影響で開始日も少し延期になり、5月12日のゴールデンウイーク明けとなります。

カメルーン情勢2特別危機

情報|28Feb2008|URL
 2月27日水、朝はタクシーも再開しており、普段に戻ってるかのようだったが、遠くに黒煙が上がっているのが気になった。
 朝食中、付近の商店が店仕舞いを始め、??? 食後、不思議に思いつつもインターネットカフェに行きカメルーン情勢をアップ。
 1時間後外に出ると、全ての商店はクローズしており、やたらと人が外にあふれていた。ホテル付近に戻ってきたら、路上にはたくさんの投石跡と倒されたゴミ箱が散乱、警官に引っ立てられていく人の姿も。とりあえずホテルに避難し、壁の中から外を覗くと遠くでポリスは警棒を使いつつ、人を車に乗せており、みんながそれを黙って見ていた。気がつくと朝は1本だった黒煙が四方、八方、無数に上がっている。路上でタイヤを焼いたり、車を燃やしたりしているらしい。その後、部屋で色々用事をしていたら外で発砲の音。見に行くともう車は走っておらず、大勢の人々が銃声の方向に向かっていた。その後、部屋で何度か銃声を聞く。
 パスポート増補で日本大使館に行っていたあづさが大使館の車で送られてきた。外では投石など行われており、危険だから出歩かないようにとのお達し。
 1分後、すぐ近くでバンバンバンバンと銃声。日本大使館の人はまだホテル前にいたらしく、その報告が大使館へ。そしてその場所に邦人がいるのは危険という判断になった模様で、大使館の人が戻って来た。そのまま急遽ホテルを引き払い、大使館に保護される。
 以降丸一日、日中は大使館、夜は領事さんの家に保護されていた。外の様子は分からなくなってしまったが、安全な場所でのんびり出来たことに感謝。大使館の皆様、特に領事さんと警備のKさん本当にありがとうございます。
 2月28日木午前、商店はまだ閉まっており、タクシーも走っていないが、もう大丈夫とのことで缶詰状態から解き放たれ、ホテルに戻る。夜にはバーも再開していた。

 まだドゥアラは大変らしいし、ヤウンデから出る交通は遮断されているそうで、明日どうなるかも分からない。でも、ま、今は平穏。

追記
 2月29日金、街が平常に戻っている。終わったかな?

*現地の報道では今回の事態をSpècial Crise=特別危機と呼んでいます。

カメルーン情勢

情報|26Feb2008|URL
 2月25日月曜、カメルーン最大の都市ドゥアラにて、反大統領行動により道路封鎖されました。
 2月26日火曜、ドゥアラからガソリンが運ばれてこず、首都ヤウンデでガソリン不足になり、タクシーはストライキ、バスもほとんど走っていない。
 ヤウンデで足止めを食らうかも・・・

 聞けば、本来は23日の土曜日から道路封鎖の予定だったのを、人が集まらず延期したとか。土曜日朝にはまだドゥアラにいたので、もし土曜に始まっていたら既にドゥアラで足止めをくっていたところ。危ない、危ない。
 ここも早く出ねばならないが、ビザ取りが終わるまでは出られない(/_;)