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●●●● 楽しい美味しい大好きサンチアゴ♪ ●●●●
(US$から両替したら、1ペソ=0.19円でした)
今日は5月5日、チリの首都サンチアゴの空港には12:30に到着しました。
空港でタクシーチケットを買ってホテルに向かいます(15000ペソ、2850円)。
泊まるホテルはサンチアゴのプロビデンシア地区(新市街地)にある素敵ホテルです♪
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サンチアゴでやることといえば、
ウニ、ワイン、海産物、ウニ!
美味しいとこ取りで、たっぷり楽しみましょう♪♪♪
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まず行ったのは、チリ側の手配をしてくれていたエージェント(旅行会社)です。
もちろん、私の機械読み取り式でないパスポートで
アメリカン航空に乗って帰国できるかどうかの各種問い合わせをします。
(そのへんのゴタゴタは最後にまとめて紹介します)
で、ついでに、サンチアゴの美味しいお店などを教えてもらいました♪
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タクシーで真っ先に向かったのは、中央市場です。
サンチアゴのタクシーは初乗り料金が150ペソ(28円)なので、乗りやすいのです♪
中央市場は、主に魚介類が豊富に集まる市場で、シーフードが美味しいレストランがたくさん集まっています。
中でも有名なDONDE Augusto(ドンデアウグスト)で、早速念願のウニ〜\(^^)/
ウニどさ盛り〜〜〜〜 ショーユ・イ・ワサービ (醤油とワサビ)って 最初に伝えると、レモンなどを省いて 醤油とわさびを持ってきてくれます♪ 本気で美味しいウニどさ盛り♪♪ 1人1皿でビールつきにしました♪ |
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食後はデパートショッピング♪ | |
そしてスーパーマーケット♪ 調味料やビールたくさん、そして 昨日アタカマの街で食べた ポジョコンアロス(鶏とコメのスープ) が美味しかったので、その素を買いました。 |
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突然ワンタンメンが食べたくなり 中華料理店Palacio Danubio Azulへ 1つ2490ペソ(473円) |
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いったんホテルへ帰り ボリビアやアメリカへ パスポート関連の電話かけ |
フロントでワイナリーを教えてもらい ついでに予約も入れてもらいました 明日の昼はこれで決定です♪ |
夜になりました! 旅行会社絶賛の、 この時点でガイドブックに載っていない お寿司屋さん、大滝へ♪ チリの海産物の美味しさの真髄は、 刺身とお寿司が一番!って思ってたの♪ |
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お刺身盛り合わせ〜〜〜♪ 中央がコジノバ(ひらす風)、奥はマグロ、あとは右周りに、ロヴァロ(日本にはない)、サーモン、ロヴァロの別部位、わさび、タコ、コルヴィナ(すずき風) |
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あまりのサーモンの美味しさに感激♪♪ 更にサーモンロールを注文し、 大満足♪ 美味しいー美味しいー美味しいー♪ 幸せな私です♪♪ |
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さあさあ、お次は お寿司盛り合わせ〜〜〜♪ お魚の美味しさって、寿司飯と出会うと なんでこんなに倍増するのでしょう♪ 以上、お味噌汁とビールをつけて、 33000ペソ(6270円)、 大奮発の大満足でした♪ |
この日は、当然お腹いっぱい(笑)
ホテルに帰ったら、ボリビアの疲れを癒すように、ぐっすりぐっすりと寝ました♪
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次の日の朝になりました。
この日は、この旅の最終日で、夜は帰国の便に搭乗します。
ボリビアの過酷な旅を終えて、初めて目覚ましなしで起床。
ホテルで美味しい朝食を食べ、今日の最初のお目当ての、コンチャ・イ・トロワイナリーに向かいます♪
ホテルを出て、Los Leones駅で地下鉄に乗り、一回乗り換えてBellavista de la Florida駅まで行きます。
駅から地下構内を通って バス乗り場 たくさんあるから間違えないようにね バスは280ペソ(53円)です。 |
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バス路線図を見た感じよりも ダンゼン時間かかるから 途中不安でした(笑) コンチャ・イ・トロワイナリー到着♪ 入場料3500ペソ(665円) |
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秋晴れが気持ちいい!!! ツアーは昼12時の 英語の部を予約しておきました。 気持ちいい屋外で、 何本かのワインをあけてくれます♪ |
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広大なブドウ畑を見ながら ワインを飲むの♪ 気持ちよい♪ |
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ボデガ(ワインの蔵)にも入ります♪ ここでも飲んでる私(*^.^*) |
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日本では売っていないTRIO (似たようなものでBINがあります) 本日一番気に入ったワイン♪ |
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再び地下鉄で中心部に戻りました。 ここがアルマス広場です。 | |
目的は1つ、 もう一度ウニどさ盛りー\(^^)/ というわけで、 昨日と同じお店に来ちゃった♪ |
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チリアワビ♪ 後ろはビール♪ |
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魚介の酸っぱい柑橘マリネ セビッチェ すっぱいけど美味しいの♪ |
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大絶品!の ソパ・デ・マリスコス 魚介類が数十種類!! 今回のチリ海産物の料理で | 一番美味しいのがこれでした♪ |
美味しいものたくさん食べて、ビールもおかわりして、大ゴキゲン♪
最後は、サンチアゴ最大のショッピングモール、Parque Araucoで服やお土産、調味料などを買いました♪
とにかく美味しいものと楽しいショッピングで最後を楽しく美味しく締めくくった私たち。
18:00、ホテルに戻って、最後のチェックアウトをして、
帰路国際空港へ向かいました。
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↓ここから、私のすったもんだのパスポートトラブル、最終顛末編です↓
今度は分かりやすいように、日付順に書きます。
2001年9月11日、同時多発テロを受けたアメリカは、その後外国人の入国に厳しさを付加しました。
アメリカ政府は、2005年4月25日まで、
機械読み取り式でないパスポートでは1度しかアメリカに入国できないことを表明していました。
すなわちその表明が意味するところは、
2005年4月26日を過ぎたら機械読み取り式じゃないとアメリカに入れてあげないよ、ということです。
(米国査証を持っていたら別ですけど)
私のボリビア・チリの旅は、2005年4月29日に、アメリカのダラスを経由することで始まりました。
そのとき持っていたパスポートは、横浜で作った、機械読み取り式の、問題ないパスポートでした。
もちろんダラスでの米国入国審査も問題なく入れました。
私は2005年4月30日、ボリビアの首都ラパスで首絞め強盗に遭い、パスポートを失いました。
多くの幸運が重なり、異例中の異例の速さで、2005年5月1日にパスポート再発給が終わりました。
しかしボリビアでは、機械読み取り式でないパスポートしか作れません。
でも私は5月6日にチリから出国するという日程でした。
でも、アメリカ1度トランジットだけなら通過できるというのは、2005年4月25日で終了だったんです。
さあ、アメリカ政府の言う期限である4月25日を過ぎた今、5月6日出国の無事成田着は本当に可能なのかどうか、
命がけな思いでした。
問い合わせの電話をかけたところは、
在チリ日本大使館、在チリアメリカ大使館、在ワシントン日本大使館、サンチアゴのアメリカン航空支店、アメリカのアメリカン航空本部、
在ボリビア日本大使館、チリのエージェント(旅行会社)、アメリカダラス空港、その他、大使館職員の携帯電話から、大使公邸、領事夫人まで(笑)
本当に国際電話代を遣いました。
最後にいろいろと働きかけてくれたのは、在チリ日本大使館職員と領事さんです。
アメリカン航空にプッシュの電話、各地大使館への問い合わせから、米国本土と日本の外務省への問い合わせなどなど
そして、いつもいつも電話先でなきそうな私に
「何より、Azusaさんが何も心配せずにチリの旅を楽しんでいただくことが、私たちの使命なのです」
と言ってくれたことには、本当に感謝以外の気持ちはありませんでした。
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真っ先に、新情報をキャッチしてくれたのは、チリのサンチアゴにあるアメリカン航空支社でした。
航空会社は、入国資格のない者を搭乗させるだけで莫大な罰金を支払う義務があるので、
搭乗前の入国資格には、特にアメリカ系航空会社なら敏感なはず。
そこで得た回答は「2005年6月16日までなら機械読み取り式でないパスポートで米国に1度に限り入国できる」
しかし、同じタイミングで得た在チリアメリカ大使館の回答では、
「2005年10月25日までなら機械読み取り式でないパスポートで1度に限り米国に入国できる」
また、在チリ日本大使館領事部に入っているアメリカ政府からの表明は
「2005年5月25日あたりから、機械読み取り式でないパスポートの査証なしの米国入国は不可能になる」
1日、2日待っただけで、こんなに情報が動くんですね。
1つ前のページに掲載している、サンペドロデアタカマの時点で得た情報と、日付が結構違いますから。
私は、もう一度在ボリビア日本大使館に電話しました。
米国通過のためのレターを書いてもらうためです。
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レターのサマリー(要旨)はこんな感じです。
「この子、ちゃんとしたパスポートでやってきたんだけど、パスポート盗まれちゃって、
で、ボリビアで作るパスポートは機械読み取り式でないものしか作れないから、
盗難証明書もあるし、米国はトランジットだけだから、
オネガイだからアメリカ通してあげてね♪」
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サマリーを砕いて書くと面白いけれど、
実際に日本大使館から送ってもらったレターのFAXは、
このような内容を、非常に丁重な英語で書いてありました。
もちろん、トロント経由やパリ経由で帰るテもあったんだけど、
今あるチケットで、日付条件がクリアできる可能性が高くなってきたので、
いちかばちか、不完全な可能性を抱えて米国ダラスに行ってみようと、私はこの旅最後の賭けに出ました。
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ダラス到着
イミグレの列に並びます
パスポートを出します
当然別室送りになります。
私は、パスポート、盗難証明書、旧パスポートコピー、大使館レターなど、あらゆる武器を提出します。
そのイミグレ別室には、同じ飛行機に乗ってきた外国人が数名送り込まれてきます。
彼らの書類はさっと審査を通過します。
私たちの書類は、束ねられたまま、机のすみっこの箱に入れられたまま放置
ときたま職員が目を通しては放置
別の職員が目を通しては放置
そんな間に、怖い光景をたくさん見ます。
1人、2人と、チリに強制送還される人を見てしまいます。
私もそうなってしまうのでしょうか。
イミグレ別室にバッヂをたくさんつけたいかにもお偉いさんが入ってきます。
「Ms.Azusa」私の名前を呼びます。
別室の中の更なる別室に連れて行かれます。
そこはハイテク機器がごろごろ置いてある部屋。こわーい。
私の書類をしげしげと見ます。
PC画面を見て、瞳孔や虹彩、指紋を確認します。
たくさん質問をしてきます。
何を聞かれたのかは、何故かまったく覚えていないのです。
でも私は、話せる限りのありったけの英語を使って、何も組み立てのない気持ちのままを英語で話しています。
指紋を取られます。
指をぺたんと当てるのではなく、指をローリングして指全域の指紋をとっていきます。
それを10指全部。
お偉いさんは言います。
「このパスポートはダメだね」
(This cannot be used now. )
!!
ガーン( ̄□ ̄;
「だけど、今日はいいよ」
「But, today is OK !」
!!
ばんざーい\(^0^)/ばんざーい
私、イミグレのお偉いおじさんに、握手して、飛び跳ねちゃいました。
いざ、アメリカ入国はとーっても長い時間がかかりました。
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旧パスポートコピーがよかったのか、大使館レターがよかったのか、
行きと帰りで同じ空港を経由して指紋などのデータが残っていたのがよかったのか
(実はラパス行きだけシカゴ経由を当初考えていたので、デンジャーでした)
盗難証明書がよかったのか、日ごろの行いがよかったのか
何がよかったのかは一切分かりませんでしたが、とにかくこれで成田帰国はほぼ確実!
お偉いさんは私のパスポートに、アメリカ人らしい字で、
「I adviced MRP.」(早く機械読み取り式パスポートにしなさいと言いました)と書いていました。
最後、御礼を言って、私はイミグレを通過し、温かい気持ちで帰国したのでした。
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私が帰国して1ヶ月半が経った頃、
私のような機械非読み取り式パスポートで米国通過が許されるのは、
2005年6月26日が最終リミットになったそうです。