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●●●● ボリビアの首都、ラパスの夜 ●●●●
(US$から両替したら、1ボリ=13.5円でした)
成田−ダラス−マイアミ−ラパスと乗り継いでボリビアの首都ラパスに到着した日から、
チチカカ湖とティワナク遺跡に行くという、大きな2つの目的を達成しました。
高山病の症状の中でも、脱力感や腹部膨満感、そして激しい頭痛が続く中、
夕方になって首都ラパスに戻ってきました。
標高3700m
(憲法上の首都は別の都市ですが、実質の首都はラパスです。)
時刻は17:30、予定では、もっと早く戻れるはずでしたが、
ラパスの大渋滞にはまってしまい。。。
ともあれホテルに到着しました。
ガイドのフリアさんにお願いして、夜のペーニャを予約。
ペーニャはボリビアにはよく見られるライブハウスのようなもので、
本場のフォルクローレや民族踊りを見ることができる、エンターテイメントです(*^-^*)
部屋で簡単に洗濯をすると、あまりの空気の薄さに、ベッドに倒れてころん・・・
夜7時までお昼寝してしまいました(uu。
*
夜8時、ラパスの中心街、サガルナガ通りを3ブロックくらい?登ったところにある、
レストラン『HUARI(ウアリ)』に行きました。
有名なペーニャハウスです。
ボリビアカクテル『チュフライ』と、ボリビアビール『HUARI』
・・・チュフライの味はがっかり(^^ゞ
「折角ボリビアに来たのだから」と、リャマの焼肉を注文したら、
こーーーーんなに。。。恐らく5人前は出てきました(TT)
その他、このお店のサラダバーで、アンデス原産のトマトを食べたり。
でも、高山病症状で、ほんっと、お腹に入らないのですよね。
フォルクローレの演奏と、アンデスの民族踊り。
ラパスの夜、ボリビアの初日の夜を、こんな感じで、順当に過ごしています。
・・・あれ?
あれ??
あれれれれー?
お財布がないよーーーーー<(??)>
いや、答えは単純。ホテルの部屋の中です。あちゃー。
いろいろ飲み食いしてお金を払わないわけにはいかない。
ホテルは近い。3ブロック坂を降りて、道を渡ったところ。走れば2分!
ともかく、ホテルに戻ることにしました。
*
お店を出て、サガルナガ通りの坂を下ります。タッタッタッ・・・って。
左手にサンフランシスコ教会が見えてくると、そこは交通量も人通りも多い、明るいところです。
タッタッタッ・・・
高地で空気は薄いのですが、寒いこともあり、体を動かして走る私
右方向から、男の手が出てきました。
私の首、しかも、絶妙に頸動脈洞圧受容器を絞めつけます(ホント絶妙の場所)。
そのときの男の顔、忘れられない。
あの猟奇な目つき、忘れられない。
場所は人通りの多いところ。おばちゃん達も道を往来しています。
私は、とっさに「Help me!」を言おうとしたら、
「ヘ」
だけ言ったところで、2番目の男に、下あごをガツンと下から押さえつけられました。
3番目の男は、私の左手を後ろから引っ張っています。
・・・
まだ高地に到着したばかりで、酸素が薄くて、結局何も抵抗もできなくて、
大勢の人が見ているのに助けてはくれなくて、
・・・
ああ、気持ちいい
目が覚めると私はとても美しいところにいた
一面オレンジ色
上も下も360°まばゆいオレンジ色
ああ、ここは一流ホテルのレセプション?
それともあのオペラハウス?
まるでナウシカのような一面オレンジ色の光景の中で目が覚めた私は、
ちょっと幸せを感じていた
気持ちいい
頭も体もふわふわして気持ちいい
まばゆいばかりの光に包まれて、私はもうちょっと寝ていようと思った
あ、でも、ちょっと寒いな
仕方ない、起きるとしましょうか
本当はこのまま気持ちよくずっと眠っていたいけどな
・・・
私が、ラパスで首絞め強盗に遭ったとき、夜9時半だったんです。
南米の街灯って、オレンジ色でしょう。
起きたら、目の前がくらくらしているから、
視界が一面オレンジ色になって、
なんだかきれいな光景に見えてしまって、
今私はどこにいるんだろうってふと考えていました。
本当、天国にいるみたいでした。
ふわふわしている。
なんだかふわふわして気持ちいい。
周りは、一面のオレンジ色の光。
360°オレンジ色の光。
路上に血を流してうつぶせになっているなんて思わなかったから、
私はなんでこんなに幸せなんだろうって、本当に思った。
今でも、あの、一面オレンジの光たゆとう中の私、という光景が、
ラパスの一番の印象だったりするんですよね。
嫌なことなのに。
*
日本のゴールデンウィークは南米の秋深まる頃で、
しかも標高3600m、結局、そんな季節の富士山頂のような路上で、
私は路上にうつぶせに倒れていたんですね。
あとから時間を計算したら、
倒れていた時間は20分間くらいだったとのことです。
体を起こして、胸やお腹をポンポンと叩く。
ああ、刺されていない、怪我もしていない。
ああ、よかった。
でも、カバンと、腕時計が、なくなっていました。
真っ先にやばいと思ったのは、もちろんパスポートです!!!!!!
私は、起き上がるときちょっとよろっとしたけれど、1ブロック先のホテルに戻りました。
ホテルのマスターに、「どうかしましたか?」と聞かれ(マスターは英語が話せます)
私は、たどたどしい英単語と絵を紙に書き、マスターに、首絞め強盗に遭ったことを報告。
ホテルのセキュリティーの青年が、すぐにダッシュして周辺をかけまわってくれましたが、
犯人はもちろん、カバンも何も残ってはいませんでした。
とにかく、部屋に戻って財布を取り、
セキュリティー君に泣きながら「お願いHUARIに一緒に来て・・・」ってお願いし、
私たちはHUARIに戻りました。
レストランで鏡を見たとき、
何も言えなくなり、
悔しさがいっぱいになり、涙がぽろぽろ出てきてしまいました。
レストランで鏡を見たとき、
口から流血していました。
舌の一部を切っていました。
2番目の男に下あごをガツンとやられたときの傷害。
でも私は、明日はウユニに行かなければいけない。
とにかくパスポートの再発給に向けて頑張らなくてはと、ホテルに戻りました。
*
ホテルに戻り、何をどういう手順でやったかは覚えていませんが、
もう時刻は夜11時
誰かが電話番号が書かれているメモをくれる。
日本人が出る。
「助けて下さい」と泣きつく。
「分かりました。私から電話しておきましょう。」と言う。
話を聞くとそこは「タイシコウテイ」。
「タイシコウテイ」が「大使公邸」とはそのとき全く分からず、
「本当に助けてください」と泣きついてばかり。
日ボの外交トップとなる大使公邸から、大使館が動き出すことになるのか。
ちなみに日本のゴールデンウィークでは外務省職員もゴールデンウィーク。
しかも今日は土曜日、明日は日曜日。
最悪なことに明日はメーデーで国民全員が労働しない日。
でも、でも、何がどうなったのか、
大使館職員の携帯電話の番号が分かり「助けてください」と泣きつく
しかも誰かが、エルアルト国際空港のイミグレから、
私の入国書類一式をFAXで取り寄せてくれる。
「アミーゴ(友達だから)」ですって。
私の正当な入国を証明する貴重なFAX。
この書類は、パスポート再発給に多いなる力を発揮することになる。
ガイドのフリアさんがホテルに到着
彼女は英語スペイン語堪能だ。
私の移動に関与するウユニのエージェント(旅行会社)とチリのエージェントに連絡をしてくれる。
さらにホテルの誰かが「ハポン(日本人だよ)」って電話の受話器を渡してくれる。
「助けてください」と泣きつく
その日本人は相当の権力者夫人なのか、
「分かりました、お力添えします」という回答
これが大使館を動かすことになるのか。
ガイドのフリアさんは、パスポート再発給が遅れたときのために、
3泊4日かけてウユニとアンデスを越える予定を、1泊2日で陸路飛ばせるかどうかを
ウユニ側のエージェントに交渉中
ウユニ塩湖には知られざるウユニ町以外のアクセス方法もあるのだそう。
私は盗難にあったパスポートのコピーを持っていた
大使館職員が連絡をくれる
「明日、われわれはあなたのパスポート再発給に全力を尽くします」
ガイドのフリアさんは、英語スペイン語日本語のトリリンガルを明日雇う手配をしている
誰かが観光警察職員に電話している
「明日朝7時に行け」と私に言う
ほんと?うそ?
明日は国全体がお休みの日だよ・・・
ただ足りないものは写真。
大使館職員は、とにかくなんとかしますと励ましてくれる
私は、いろいろと動いてくれる人がいることに、涙を流してばかりだった
夜も1時になり、1人、2人と、帰っていく
ホテルフロント近くで泣きながら座り込む私に、
帰宅するマスターは
「神は必ず貴女を救います」
それだけ言って、十字架をきってくれた。
*
翌朝。
今日は5月1日。
ラパスから230km離れたオルーロ駅に行き、
オルーロからウユニ駅に行く、
強行スケジュールの日
なのに、そんな日にパスポートの取得からやらなくちゃいけないなんて(TT)
とにかく、ガイドとトリリンガルの通訳と共に、朝7時に観光警察。
盗まれた所持品リストを書き、盗難証明書を発行。
しかも、「コピー、いるだろ」って、20枚もコピー。
写真がない。
観光警察に、「デジカメとかあるか」と聞いても、ない。
ガイドが、写真屋をかけまわってくれる。
ボリビア人は全員休日モード
その中で、韓国人経営の写真屋が開いていた(!!!!!)
開店時間前なのに、ガイドが叩き起こしてくれたのか。
写真を撮る。
もう、口の傷もなんだっていい。
パスポートの写真がぶさいくだっていい。
写真を持って日本大使館に行くと、
なんと、大使館員が複数人集合していた。
だって、休日だよ、今日・・・
日本との照合もすませておいてくれたらしく、
私は、再発給代を支払い、書類を書き、すぐにパスポート再発給完了。
「通常なら2週間かかりますよ」と言われた再発給
ホント、もう、奇跡としかいいようがない。
次に、エルアルト国際空港のイミグレーションに行く。
新しいパスポートに、入国スタンプを押してもらわなければならない。
また手数料。お金がまた飛んでいく。
でもいい。お金なら持っている。
私は早く、安心した心持ちでオルーロに移動したいのだから。
次にそのまま空港内別室で、国際警察(インターポール)取調べ。
大体はガイドがスペイン語で話してくれる。
パスポートは新しいものができた。
写真も貼ってある。
入国スタンプもある。
そのままそのパスポートのコピーをチリ側のエージェントにFAX
・・・
・・・ああ
私は、旅が続けられる・・・
エルアルト国際空港を出たところには、ファンさんが待っていた。
彼は、昨日、チチカカ湖などに連れていってくれたドライバーだ。
「ラパスの空港から、直接オルーロに行けばいい、連れていってあげるよ」
彼のスペイン語は理解できないけれど、
彼の心が理解できた。
私はそのまま空港で、ガイドと通訳と別れた。
涙が止まらなかった。
オルーロに向かう車の中でも、泣いていた。
今回、私のパスポート再発給のために、
いろいろな人が私のために動いてくれた
ただ人が動いただけでなく、
幸運も重なっていた。
こんなに感動が大きかったことを、
これだけの大きなボリビアの旅を、
私は絶対に忘れない。