準備編・2006年1月 ~旅7ヶ月前~ 

2005年の私の旅も、自分が見ない世界を1つずつ減らす、よい旅だったと思う。
私は、旅をするごとに、新しい世界を見て、見聞を増やしていきたいと思っていた。
それはかなり重要な旅の選び方だった。
だから、南極という極地旅行に始まり、世界六大陸を容易に踏み込んだ。


私は、どんどん、自分の見ない世界へと、足を繰り出す。

2004年8月 エチオピア南部、地球無二の姿の人々に逢う
2005年5月 ボリビア、標高5000m級のアンデス越え
2005年8月 初めての南の島、火山と原住民のバヌアツへ
2006年2月 イエローナイフの隠れロッジでオーロラ三昧
2006年5月 初中近東一人旅、鎖国明け間もないオマーン

こうなると、残っているものは、
・フランス、ドイツ、イタリアなどの、「いわゆるヨーロッパ」
・カザフスタン、キルギスなどの、「いわゆる中央アジア」
・北朝鮮、キューバに残る、「いわゆる共産国家」

という具合。

そんなことを考えていたこの頃、旅好き友人に、

「北朝鮮、行くなら、今」

そうニコニコの目(笑)で言われました。

ソ連崩壊後、共産主義体制が残される国は少なくなりました。
中国も共産主義体制を緩めて以来ものすごい発展を遂げ、
今やビザなしで入国できる時代です。

でもね、どんな国であっても、
その国が培ってきた姿が矢のような勢いで消えてしまうとなると、
旅が好きな私は、消える前に見ておかなくてはという気持ちにかられてしまう。


「行くなら、今」

この言葉も、それを如実に表しています。

私はそのときから、2006年の旅は、必ず北朝鮮と、そう決めました。

 準備編・2006年3月 ~旅5ヶ月前~ 

北朝鮮の計画が、旅行会社パンフレットのミスプリによりあっけなく却下。
このあたりの様子はオマーン旅行記記載しています。

でも5月のオマーン、めっちゃ良かった。

5日間の休みでは、中国と北朝鮮の国際列車での陸路移動はできなかったから、
このときあせって北朝鮮に行かなくて良かった。

 準備編・2006年7月 ~旅1ヶ月前~ 

オマーンの旅行記を作りつつ、8月の旅計画も始めなければならない。
仕事忙しくてやんなっちゃうね。
で、7月入った頃、だいたい職場の夏休みがいつごろ取れそうかが見えてきた。
5日間の夏休みを月~金で取り、土日土日つければ9日間休めます。わーい。

ちょうど火曜日に日本を出発し、水曜日に北朝鮮に入国する行程なら、
帰りを寝台列車で、陸路で国境を越えて北朝鮮から中国に移動でき、
日曜日に日本に帰ってくることができます。

うん、これ、いいかもしれない。


* * *


7月5日

晴天の霹靂といえるニュースが飛び込んでくる。

北朝鮮は長飛行型ミサイル「テポドン」を含む5発のミサイルを日本の方向に発射。
ニュース続報で6発めの発射が報道、国連緊急協議が早急になされる非常事態となる。
懸案な報道が日本中を震撼させる中、7発め発射。


日本中が北朝鮮を非難する報道が連日相次ぐ。

日本政府が北朝鮮制裁決議案を国連で提案。

外務省から、同日、海外安全ホームページにて、危険情報発出
「渡航を自粛してください」



テレビ番組で北朝鮮関連のニュースがない日はない。




7月12日

レバノンのシーア派武装組織ヒズボラがイスラエルを攻撃。
ロケットをイスラエルに発射するなど、事態は極めて深刻。
空港が空爆されることも報道されている。

なのに、なのに、なーのーにー!
テレビの報道時間は、いまだ北朝鮮ミサイル実験の談義が圧倒的に多い。
イスラエルのほうが、実験練習なんてカケラに思えるほど事態が深刻なのに。

国策とは関係のない、けれどもちょっと発言力のある有名人が
「こういうときは全面渡航禁止に限る」とか発言している。
こういう発言を真に受ける人だっているのだから、
行使力のない人が軽々しい発言などしてほしくない。
・・・と思ったり。


マスコミも「北朝鮮」というだけで話題性や視聴率が高いと踏んでいるのか、
「テレビ放送界の井戸端会議」的報道ばかりが続くこのごろ。




7月15日

以前資料を請求した朝鮮専門旅行会社「kacツーリスト」に電話してみる。
団体ツアーは、手配型ツアーに切り替えて続行するらしい。
しかし同時期、朝鮮旅行の最大手「中外旅行社」ホームページでは、
ツアー中止の案内がトップページに出る。

ううううう、朝鮮最大手がツアー中止って・・・

そんなに事態は深刻なのか。



中外に電話してみた。

トップページに出ているツアー中止というのは、
あくまで会社主催で行うツアーが中止というだけで、
希望する方には企画手配の形でツアーを組んでいるらしい。
なんだ、kacと、まあ同じような感じか。





しかし、北朝鮮行きを、本当に悩んでしまう。

戦争をしているわけでもない。内戦をしているわけでもない。
治安が悪いわけでも異常気象なわけでもない。

怖いのは、何かあったとき「なぜ北朝鮮に行ったんだ」と非難されることだけ。






そりゃあ、いつ行っても言われるんだけど、
今の現状で行ったなら、その度合いももっと大きくなるだろうから。



本当に、北朝鮮行きを、悩んでいる。







7月中旬を過ぎると、イスラエル関連の情勢が悪化し、死者も相次ぐ。
大戦争に移行しかねない戦況にやっと日本のマスコミも目が覚めたか、
北朝鮮の話題は、この頃になり、ぽつっと沈静化した。



7月22日

悩みに悩んだが、8月の北朝鮮行きを決めた。

北朝鮮の冬は寒い。
(年末年始の韓国旅行で板門店に行ったとき-13度でマジ凍りつきそうだった)

北朝鮮に行くなら春~秋。そうすると8月のお盆しかないんですよね。
また8~10月は、「アリラン」という大規模公演が行われる、
北朝鮮らしさを見られる時期でもあります。

これらのことを考え、私は、8月22日日本発の1人催行プランを申し込みました。

8月19日から休みが取れることを考え、
行きのチケットを早くしてもらい、北京滞在を丸3日確保しました。


実は、査証(ビザ)取得の関係で、北朝鮮旅行は出発25日前が申し込みリミット。
つまり私は、かなりぎりぎりで申し込んだわけです。





7月26日

北朝鮮が台風による豪雨、3000人死亡のニュース。食糧難とも報じられる。

ああもう、なんでみんな私の北朝鮮旅行をジャマしたがるのか(泣)



7月27日

台湾は北朝鮮ツアーを全面的自粛に踏み切る。

ああもう、なんでみんな私の北朝鮮旅行をジャマしたがるのか(泣)



7月31日

北朝鮮がアリランを中止するとの報道が発せられる。
大洪水と、米韓の合同軍事演習が理由らしい。

同日、米国政府が米人の北朝鮮への渡航を中止する措置を発する。
米国政府はそれができても、日本政府が同じことをするとは考えられないけど、
それでもああもう、なんでみんな私の北朝鮮旅行をジャマしたがるのか(泣)


同日、北朝鮮がdmz(北緯38度線非武装地帯)で発砲する事件が起こる。
韓国と総撃戦のようだ。


ああもう、なんでみんな踏んだりけったりで私の北朝鮮旅行をジャマしたがるのか(泣)

 準備編・2006年8月 ~いよいよ、旅~ 

8月1日 万景峰入港禁止など、日本政府の北朝鮮制裁効果が形になってくる。

ああもう、(同上)




・・・でも、多分それを最後に、北朝鮮を非難する話題は、ぽっきり収まった。



今回の渡航に際し、もちろんすべてのことを決定するのは自分自身だけど、
それに対し、親身なアドバイス、~それはいいことも悪いことも教えてくれる、
率直な友人の存在は、旅を前向きに決められる大事な要素の一つだった。



北朝鮮の旅行は、現地ではガイドがつきっきりになる、ある意味vip旅行。
だから自分自身ですることはほとんど何もないんですよね。




そうなると、そろそろ北京滞在中のことを考えなくちゃ。

行きたいところは、万里の長城、故宮、天安門、イ和園、天壇、周口店など、
世界遺産をはじめとする見所各所。
ここでネックになるのが万里の長城と周口店の2つ、
北京市内から遠く離れたところへの移動。

北京原人発掘の地、周口店へ行くのは、丸1日時間を作ればよいことにして、
問題は、万里の長城。
実は夜になると、万里の長城の1つ「八達嶺」は、土日はライトアップされます。
しかも私の出発は土曜日。空港に夕方到着する予定だから、
それだったら絶対ライトアップ長城を見たいじゃない~(*^^*)

三峡クルーズや桂林の旅の手配をお願いした中国手配に強い会社に電話。

「万里の長城に空港からダイレクト送迎をお願いしたいのですが、できますか」。

答えはイエス。ちなみに万里の長城に1軒しかない宿の存在を私から提示し、
予約が可能かどうかを聞いてもらう。
目的の19日は満室ということだったので、
当日直接行ってみて交渉という形で、移動と宿の目星を固めることができた。








よし。あとは、勇気を持っていくだけね。










8月19日


いよいよ出発の日

北朝鮮の旅を機に、今までのスタイルの旅をやめてみよう。
見違えるほど新しい旅をはじめよう。
そう本気で考えてみる。

北京&北朝鮮への夢と、もっと大きな将来のことを考えながら、
いろいろな想いが交錯する中で涙をうかべていた。
顔はきっと笑顔だし、きっといい顔をしていたと思う。



関空から北京へ1時間遅れで向かう飛行機の中で、

北朝鮮という、ある意味大きな旅をきっかけに、

なんだか、私自身も変わろうとしていたように思う。



いつか、そんな見違えるとき、
めいっぱい輝くときが来たらいいなと思いながら、
北京空港に降り立った私は、

早速、万里の長城へと移動を開始した。







(この文章は、北朝鮮入国寸前、瀋陽空港にて記す)
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