かくれプチ

* by azusa *
■ご挨拶
「かくれプチ」よくぞ発見してくれました(笑)! 旅に出て、もうすぐ1年。今までもオフラインで綴ってきた、他コーナーとは少々味の違う私の徒然草を、こちらに記していこうと思います。
旅をしながらのプチ日誌なので、“旅してプチ日誌”とも呼んでいますが、こそっと更新しているので、「かくれプチ」とも呼んでいます。
*since 11may07
  ima 'tabisite' imasu.

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©2007-11 azusa

2011年7月2日

あづさがちょっと町歩きをして帰ってくると、部屋で40℃の高熱を出していた和人。タクシーで急遽、辺鄙な村の田舎クリニックに行き、入院となりました。今回は宿もとってあったので、緊急点滴のあと帰っても良かったんだけど、病院のほうがきれいな水道水が流れるし衛生環境も良いし、ドクターが「なんでー!帰んなくていいじゃん!」と言ってくれ、優しい医療スタッフと共に過ごすことにしました。

  

  教授回診の、おなーり~。

心配していたアフガニスタンの医療ですが、もう今は21世紀。最新の医療知識がどんな発展途上国の医学部にも浸透していることを確信するに足るものでした。どんな国でも、まともな知識を持った医師が生まれ出ており、旅人も一層の安心が得られるようになっていると思われました。

2011年7月1日

アフガニスタンってどんな国かというと・・・。

すぐ北のウズベキスタンやタジキスタンから見たら「中央アジアの辺鄙な山奥」。
インドやパキスタンから見たら「南アジアの辺鄙な山奥」。
イランから見たら「ペルシャの辺鄙な山奥」。

山ばっかりのアフガニスタンは、英国がソ連との緩衝国家という立場で国を作るまで、どっからどー見ても「田舎モンの集まる山奥の国」だったのですよ。

でも旅の魅力は都市よりも田舎にある。少なくとも私や和人の意見はそう。田舎の人々は本当に優しくて、次々と自分の家に招いてくれますよ。この写真では、入国時からたびたびバッタリ遭遇している通称ポリオくん(右から2番目のナイスガイ)があづさをおばさんちに連れて行ってくれました。

  

  あれー和人がいない。秘密は明日のかくれプチにて。

2011年6月30日

アフガニスタンで、町を歩いていると、この「チョードリー」をつけた女性にどきっとしてしまう。前も後も全て自分を隠す、究極のイスラム服ではないでしょうか。

町では、いくら女性の私が懇願しても、顔を隠す女性の正面からの写真はまず撮らせてもらえません。でも家庭に入ってしまえば大丈夫!

  

  私にアフガニスタン料理を教えてくれた、おばあちゃんとママです。

2011年6月29日

私たちの旅は、今、最終ステージアジア。
念願だった、憧れの「アフガニスタン」にとうとう入国しました。

アフガニスタンが危ない国とは言われるけれど、誰だって、「全土が全部同じように100%危ない」とは思わないでしょう。探せばあるのです。平和で安全な、アフガニスタンが!!

今日から、何日になるか分かりませんが、魅力ある文化の数々を楽しもうと思います。

その場所は、「イシュコーシム」。

  

  伝統のアフガン服にアフガンスカーフの男性。
  アフガニスタン男性は、色男が多いなあと、つくづく思う。かっこいい。

2011年6月19日

帰国したら、きちんと台所仕事ができる奥さんになりたいな。
学校の授業で調理実習をするとき、三角巾を着用するように言われるし、一流調理人やシェフだって頭を覆うものを着用する。なのに家庭の主婦がそこを崩したら、子供の教育にも良くないですよね。

そう考えて、きちんと台所に立てたらいいなと、せっかくなら旅の間にスカーフ類を揃え始めています。軽いし割れないし、バックパッカーでも運べます。

  

  今いる中央アジアは女性スカーフの宝庫~!

2011年6月18日

「青の都サマルカンド」の名を湛える、サマルカンドのレギスタンに来ました。

でも、事前の期待が大きすぎるのはだめね。青いのは建物のごく一部で、サマルカンドの町も、大して青くありませんし。

でもここはウズベキスタン屈指の観光名所。じっくり3泊腰をすえて、楽しみも見つけましょ☆

  
  こうして一部分だけ見たら、青いのにな。
  事前に見たガイドブックの写真などに、完全、してやられましたわ。

2011年6月9日

2人の世界旅で迎える最後のあづさの誕生日。

今、カザフスタンの首都アルマトイで、アメリカ人の国際報道学科教授の家にステイし、ビザ取りに奮闘しつつ、リラックスをさせていただいています。

旅の最後は1ヶ月くらいどこかで腰を構えて、海外の風土の中で、今後の日本の暮らしを組み立てる構想の時間にしたかったのだけど、それよりも、旅の難関国群を要する中央アジアを旅すると決めました。最後まで忙しく頑張るのです。

2011年5月13日

短い夏のモンゴルに、ツーリストシーズンよりやや先駆けて到着しました。ここで最高の思い出が築き上げられています。

遊牧民の住居「ゲル」に住むおじさんが、私たちを家庭に招いてくれました。奥さんと4人の子供と、たった半径が2mちょっとしかない(!)、円形の住居に住んでいます。私たちもここで3泊4日、モンゴル人と同化した暮らしをしています。

  

  直径5m。ここに8人で住んでいます。
  モンゴル人家族と話し、調理し、食べ、遊び、暮らす。
  それ、すごく大きな旅の幸せ。

2011年5月6日

「中国八大料理」を探求すると決めた私たち。でも中国にはノービザで15日しか滞在できません。広東からはマカオに出てビザリセット、福建からは台湾に出てビザリセットして戻るという手段がありますが、どう考えても、山東、安徽、江蘇、浙江省が厳しい。

でも規約の範囲でやらなければなりません。なので、台湾→福建省に戻ったあとは15日耐久レース、福建省→安徽省→浙江省→江蘇省→山東省と、観光もしながら、そしてその省の特色菜を味わい探求しながら、旅を続けます。毎日中国料理と中国語の勉強で、忙しい、毎日中国料理攻撃でお腹いっぱい。これをモンゴルに入るまで、15日間、頑張り抜くわけです。

  

  スタンダップフィーッシュ☆
  これ、まじ、うんまい!!鯉のから揚げの甘酢あんかけさ。
  日本で暮らしている間は想像もつかない究極の揚げ方!至高の美味!
  こうして毎日美食ばかり食べ、太る15日を過ごすのさ。ふっ(哀愁)

2011年4月18日

ずぅっと昔から、福建省にある世界遺産、「客家土楼」に憧れていました。多くの人が住む、昔の円形集合住宅です。

昨日は洪坑土楼、今日は別の村にある高北土楼。2連泊で、この「客家土楼」に宿泊しちゃいます!

  

2011年4月15日

わ!なんで香港にワオちゃんが?

  

2011年4月14日

近々来る5月11日が、旅して4周年&5年目のスタートとなります。南アジアをスリランカで全国訪問達成し、北アフリカを旅したあと、エリトリアから中国に渡り、今はマカオ&香港に来ています。

実は私自身「香港は英国から中国に返還されたし~、やっぱ中国だし~」と、訪問には積極的でなかったところ。しかし日本人が楽しく&美味しく旅をできるところとして憧れていたところ。

でも、香港もマカオも返還後も国際標準機構における国コードをもつ、政府も独自の貨幣も独自の法律ももつ、「一国」であることが分かっちゃいました! だから嬉しくて来ちゃいました! マカオ料理は何故だかいまいちですが、香港料理は美味しいね~。

  

  香港でやっと実物をみかけました。これ、昔のお金を模したものです。
  ギョウザがあの形をしているのは、この縁起良い形にしているからなんです。

2011年3月15日

東日本大震災のことを、数日ぶりにネットにつないで、放射能汚染を伴う巨大地震の甚大な被害を知りました。亡くなられた方の冥福と、生きながらえながら苦しむ方のいち早い状況回復と、これ以上災害が起こらないことを祈ります。

旅先にいる私に出来ること、を、今考えています。

2011年3月11日

2年前アフリカを出たとき、また帰ってこれると思っていなかった。
だから、中東も欧州も、北中南米も太平洋も、頑張って旅を続けた。

でも、またアフリカに帰ってきた。
南北分裂が決定したスーダンの、南しか行っていなかった私は、今度は北に来なければならなかったから。

そして、予定の立てられない「旅らしき旅」が、また始まる、快感へ。

  

  エジプトからスーダンへ、砂漠越え。
  どこかオアシスの町に立ち寄ろう。

2011年2月20日

イスラム教の国々の観光といえば、それはモスクばかりになりますわ。
最近、イスラム教の国の他宗教要素に興味がありまして、コプト教の観光がかなり面白かったです。

  

  イスラムなんて何百年も後の新興宗教で、コプト(キリスト教)のほうが早いのにね。

ちなみに、お酒の飲めないイスラムの国でも、ここエジプトではじゃんじゃんお酒飲んじゃってください!豚肉食べてください!(宿の中でね) コプトがいるから、彼らは酒店やハム店など、日本人旅行者に嬉しい販売網を繰り広げてくれています。コプト様に感謝感謝☆

2011年2月14日

世界一周を、「全経度をまわって南北半球に到達して同一地点に戻ってくること」とするならば、今日、私たちは、世界一周を到達しました!!! でもアラブ首長国連邦はドバイで(笑)。なぜ日本じゃないんだ。

ドバイ行きを決めた最大の理由は、南スーダン独立決定の最近のニュースがあったからでした。スーダンが南スーダンと北スーダンになる。それらはキリスト教国家とイスラム教国家、異なる文化を持つ。ならば、北スーダンも見ておかなければと思ったからでした。

航空券を買ったのが1月でしたが、航空券を買ってから、予想もしないほどエジプトが反政府革命で荒れており、もともとチュニジアに端を発する今回の暴動の連続は、中東・北アフリカ各国へ飛び火する勢いさえ見せています。

このままエジプトに行って良いのかどうかを合わせて、しばらく検討します。
だからまずはドバイで、各国大使館めぐりです。

2011年2月8日

「スリランカ」の国名は「輝く島」とかそんな意味だったっけ?
事前期待度が高い国だったのですけれど・・・、

スリランカ料理が不味い。肝心のごはんとおかずが美味しくない。あまり美味しくないのを、辛さつけて黒胡椒ぽんぽん入れて、なんとかしちゃってるって感じ。作り置き文化があるのか、各所出てくる料理が冷えている。あくまでスリランカにいるうちは、それらの中で自分の好みに合うものを探せばいいので大丈夫ですけれど、他国との比較になると絶対的に弱いな。

確かに、世界的に「インド料理店」「中華料理店」「日本料理店」「ベトナム料理店」などが広まる中で、「スリランカ料理店」って躍進の気配ないものなー。世界中の人々も正直ってことかしらね。以上辛口かくれプチでした。

2011年2月2日

インド1ヶ月まるまる滞在し、今はモルディブに来ました。新婚旅行の人気の訪問先ですね!
「宿1泊70万円」とかいうレベルにびびって多めにキャッシングをしてしまったら、実は物価の安い国であることに入国してから気づき、驚いています。

魚市場に行くといつもマグロの解体をしているわけで、中骨やヒレあたりの骨をもらってきては、醤油とわさびで連日の「トロパーティー」しちゃってまーす☆ 一度赤身のついた肉の部分ももらったのですが、トロに慣れちゃうと、やっぱり赤身はイマイチ♪ なんて贅沢をば(^^ゞ

  

  ぐふぐふぐふふ。実は写真の外に同じのが3つもあるのですよ。
  食べ放題じゃ。

2011年1月24日

南インドに来ました。インドは広~い。列車でひたすら寝ての移動です。
南インドらしい、カラフルな寺院の観光などにも精を出して頑張っています。

  

  タンジョールの町で偶然出会ったお祭り。きれいだね♪

2011年1月21日

美味しいカレーが大好きです。だから、「本格的インドカレー」の作り方を学びたかった。それも北インドの手法で。

バラナシおよびプリー滞在中、「旨い、イイ!」と思え、厨房に入れてくれる店に通っていました。北インドのカレーは素晴らしい。注文を受けたら3分以内に仕上げてしまうのですから・・・「煮込んでこそ美味しくなるカレー♪」という日本での感覚から幅を広げてくれ、働く主婦の実に良い強い味方になりそうじゃないですか。だって3分だよ!

勉強しました。そして、目の前に出されたカレーを食べるだけで作り方や加えてあるスパイスがかなり特定できるようになりました! たくさんメモ取ったし、帰国してからが楽しみでなりません。

  

  ずっと通っているから、入れる物をどんどん呼び上げてくれる。
  「ダニアー、ハルディー、チニー、コロール・・・」という声と
  目で見た分量と火加減と秒数をひたすら書き込み続けたインドの旅。

2011年1月20日

旅に出る前は、インドは、「汚くて人もうざくて、旅慣れた人でないと旅ができない国」だと思っていました。よく旅をすると「インドに呼ばれるときが来る」と言いますが、私はインドに呼ばれたと思ったことは一度もありませんでした。

今インドに来て3週間が経ち、「インドはとても旅がしやすい国」だと思えています。3000言語が集まる超多民族な国ですから共通言語を持つ必要があり、それが公用語である英語となりました。だからどこに行っても英語が通じます。国内は鉄道が網羅され、日本なみに結構しっかりした時刻表冊子が作られており、これまた旅がしやすい。バス路線も満載です。一方で「観光客相手の商売人が多くてうざい」という声も、見方を変えれば、「観光客はお金をちょこっと払えばなんでもしてもらえる便利な国である」ということです。私たちも荷物を持って駅に行くときなどは数十円を払ってリクシャで移動したりもしています。便利、便利。

  

  インドの美しい女性そのものの、チャーイ(ミルクティー)屋のお姉さんです。
  簡単な英語ほど多くの人に通じるから、
  美味しいと思ったら遠慮なく「テイスティ!」と言ってあげてくださーい。

2011年1月14日

「インドに行けば暖かい!」とすがる思いで、極寒のネパールを耐えて旅をしてきたのに、なのに氷点下のインド・バラナシに撃沈し、今回は年越しが上手にできませんでした。寒くて歳末の大洗濯など不可能な状況でした・・・。

インドの平地で氷点下たぁ、どういう了見だ~!?!?

旅の間「うー寒い」と思ったところは、標高の高いコーカサス、高緯度のスヴァールバル、高緯度のケープタウン、標高の高いボリビア・・・。誰にでも分かる、「高緯度と高地は寒い」という範囲の中だった。

私はうかつだった。「低緯度で低地でも内陸は冷える」ことを、日本人ゆえ見落としていたのです。内陸気候をどこにも持たない日本人には分からない感覚。

ケイ素が主体の土壌を仮に金属板に例えましょう。熱しやすく冷めやすい。だからインドのバラナシなどは「夏は50℃越えで冬は氷点下」となります。これが「鉄板の上で暮らすような、内陸の気候」なのです。でも、どこに行っても海から近い日本では、水分子のもつ「熱されにくく冷めにくい」性質に守られています。だから夏冬の温度変動が少ないのです。

さてさて、バラナシから逃げるは「バラナシから鉄道一本で行ける沿岸都市」、そう、極楽プーリーに他なりませんね! 遅くなりましたが、1月5日に年越しそばを調理し、プーリーに到着したら1月10・11・12日の3日間ずっと洗濯! 洗える持ち物全部洗った!! そして1月13日に新年の抱負を語り、14日には初詣に行ってきました(ヒンズー教の聖地寺ですが)。

そんなわけで、しばらくここでお正月気分でのんびりしたら、またインドの放浪に出まーす。