かくれプチ

* by azusa *
■ご挨拶
「かくれプチ」よくぞ発見してくれました(笑)! 旅に出て、もうすぐ1年。今までもオフラインで綴ってきた、他コーナーとは少々味の違う私の徒然草を、こちらに記していこうと思います。
旅をしながらのプチ日誌なので、“旅してプチ日誌”とも呼んでいますが、こそっと更新しているので、「かくれプチ」とも呼んでいます。
*since 11may07
  ima 'tabisite' imasu.

*archives




©2007-11 azusa

2010年12月22日

今はネパールの首都カトマンズに来ています。12月のネパールはオンシーズンだけあり、ツーリストだらけ! 旅行が超高額でバックパッカーなんか来やしないブータンとのギャップが、すごい。

和人はブータン出国前日に、無事に退院許可が出ました。この「かくれプチ」を見てくださり、ひっそりと心配や応援のメールを下さった皆様には、言葉が出ないほど感謝をしています。本当にありがとうございました。

もう年の瀬ですね。心せわしい年の暮れを迎え、多忙とは存じますが、皆様どうかお体にお気を付けてお過ごしください。今後も引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2010年12月16日

「幸せの国ブータン」で、和人は入院しました。
本当に重病で、ここで旅が終わるとしても、何だか愛に満たされていて不思議と幸せです。

  

  あづさもベッドサイド、床の上で寝泊まりしています。
  ついでにブータンは医療費無料の国。
  外国人の緊急入院でさえもお金払わなくていいから、幸せです(ハハハ)。

2010年12月14日

「幸せの国ブータン」、半鎖国状態のその国に入るには、2人で10日間旅する場合、2×200×10=4000USドル=約40万円がかかります。たっかい航空券は別途、です。でも私たちは今回、現地在住者の招聘を受けられることによりその40万円を免除されました。ブイ!

  

  タクシーをチャーターして行ったトンサの町。
  ゾン(要塞)の中の伝統の祭りに、心打たれた。
  ブータンはチベット仏教を礎にする国なのです。

2010年12月6日

「世界で最も人口密度の高い国」
人・人・人・・・、その混沌を見るべき国が、今いるバングラデシュです。首都ダッカに滞在しています。色んなところで人・人・人に囲まれまくってます(苦笑)

人口が多すぎて街は汚いし排気ガスもすごくて、汚い国・・・なのですが、何故だろう、嫌いじゃない。いや、今や多くのバックパッカーが「バングラデシュ2度と来ねー!」とブログ等に書く中で、あづさはかなりここが気に入っちゃった訳ですが・・・。

  

  ほうら、いいじゃない? この雰囲気! 混沌こそバングラですよ!
  「インドに似てる」なんて思ったあなた、撤回よろしく。
  あちらはヒンディーでもこちらはムスリム国、旅人に優しい国なのですから!

2010年11月29日

グレートな男「タンウェーチェン!」、出会いはウォーリス&フツナでした。隣に座る優しい目を持つ男性と、あづさは祭りを見ながら会話していました。その後彼をネットで見つけるのは簡単で、あづさは1行メールを出します。
「Did we see in Wallis?」

彼から1度返事をもらったあと、2度目の偶然の出会いはツバル。彼が出国するとき、私たちは入国、同時に空港にいたのです。あづさはほんの少しの間、再びウェーチェンと会話しました。

彼は「シンガポールで最も多くの国を旅した男」。
シンガポールでは彼の持っているマンションいや「億ション」を借りちゃった♪
書斎には世界中の国に関する英語ガイドブックや読み物があり、読んでも読んでも時間が足りません♪ 彼との「ナヒチェバンは1ヶ国に数えられるか?」「アブハジアはどうする?」「オーランドはどうする?」などの議論もかなり楽しい。何故ならば和人もウェーチェンもかなりの博識、知識人だから。うぉおおお、私もそうならねばー!!!

さて、今私は、「日本で最も多くの国を旅した女」でしょうか?
和人は「間違いなくそれはあづさだ」と言いますけど。

  

  ホームパーティーも盛り上がり、シンガポールおセレブ暮らしも大満喫~!
  3日の滞在予定はその後のマレーシアを削りに削って1週間に延びちゃったよー♪
  あづさの隣にいる微笑みのお兄さんが、ウェーチェンです。

2010年11月22日

ここココスに入国し、和人は無事に「世界の全部の国」に渡航することができました。無事にここまで旅が続いてよかったです。おめでとう!

  

  海がきれいね(海しか見るものがないとも言う)。
  海の目の前の、ちょっと価格がヨロシイ宿に泊まって、のんびりお祝いできています♪

2010年11月10日

ミャンマーでは最初にパスポート新規取得&増補、ブータンのビザ取得手続き、ココス&クリスマス渡航のためのオーストラリアビザ手続きと雑用をこなす日々、そして中部インレー湖の観光を経て、今いるのはミャンマー南部。

写真は何とも日本人が好きそうなゴールデンロックです(笑)

  

  落ちそうで落ちない~!

2010年11月06日

ミャンマー料理があなどれないっ!
やばい美味しい、決して他国の真似じゃない感じですよ。

そういえば、ベトナム料理もタイ料理も、べっとり調味料入れるから美味しいと言われて当然だけど、素材を感じる舌をキープしたいナチュラル派の方にはミャンマー料理がおすすめ♪

そんなわけで、現地2週間も時間をとったミャンマーの旅は濃厚に継続中。

世論はアウンサンスーチー女史の自宅軟禁と、米国に経済封鎖されて軍事政権が「見せかけ」の建前選挙、実にこれが20年ぶりの大選挙とのことで国内はどうやら混乱の火種があると賑わっているようです。でも首都ヤンゴンでさえ、国民はのんびりとしていました。

  

  奥に見えるはニラの根っこだよ~、薬味にかじるんだよ~、これがイケルんだ!!
  日本に帰った後も私はニラの根っこを食べていきたくなった。はまった。

2010年10月30日

東南アジアもそろそろ終盤。
今のところ東南アジアで料理に感動を覚えた国は、フィリピンとインドネシアです。フィリピン料理はヘルシーだしインドネシア料理は素朴でグッド(*^.^*) でも、オーセンティックゆえ是非とも我が手に料理法を覚えこませたいのは、やっぱりタイ料理とベトナム料理じゃあありませんか。おほほほほ。日本ではやっぱりタイ料理やベトナム料理が、ちょっとした外国料理のイメージの大きな部分を占めていると思うんですよね。

だから、ベトナムかタイではお料理教室に行きたかった。でも旅人ですから観光もします。忙しく観光する中で「いつかその機会を」と夢見ていたら、幸せなことに、タイ人の女性の家で、日本語通訳してくれる旦那様つきで家庭料理を学ぶことができた! 嬉しいです~!

  

  本当に惜しみなく、いっぱい教えていただけました。
  チアップさん大好き!! ありがとうございました♪

2010年10月27日

タイ北部に来たからには、やはり訪れずには帰れなかった。首長族 -クビナガゾク- の村。
実は彼らはミャンマー人です。ミャンマーの政治事情などの悪さから、南北に長いタイ-ミャンマー国境線のちょいタイ側には、ミャンマー人難民が多数箇所で収容されています。うちパダウン族、つまりは首長族の彼らは難民キャンプ近傍に村を設営し、外国人の観光料により暮らしています。正確な財源比率は分からないのだけれどね。

レンタルバイクで悪路を切り抜け、村に到着。ここの歴史背景など知っているとあまり面白くないので、最初は全然写真撮らなかったんですよ。でもふと首長族と大耳族 -オオミミゾク- が数人集まった女性ランチの場に招かれた。会話をしていくうちに、人と人として接するうちに、この村とここの人々が素敵になってきて、台所の調理を見せてもらったり、結局はいつもどおりの観光となり、写真もいっぱい撮って帰ってきたのでした。

  

  首長族のおばあちゃんに、首を長ぁくしてデジカメ写真を覗き込まれる和人っす(*^.^*)

2010年10月14日

カンボジアといえば、アンコール遺跡群はマスト観光地。これに異論なしでしょう。
和人は今回はあまり乗り気でないようで宿でお留守番。あづさ1人で自転車借りて、広大な遺跡群をひたすら駆け巡る。ひたすらひたすら・・・。

何せ2人の世界旅なんで、1人で観光することって滅多になく、それならば、素敵な写真をいっぱい撮り、見所は動けるだけ動いて見て回ろう、1つの見所でも1つ1つの像もレリーフも全部見てやろうと、気合いいっぱいでスタートしました。1人旅やってた時代のパワーを久々に感じた1日です。

入場時間制限が夕方までだし、1つの遺跡も見所は隅々も見て回ったので、朝7時の貸し自転車屋オープンの時間から、60km走ってタイムアウトでした。右ひざも太ももも10km走ったあたりから激痛だったのに、よく頑張りましたよ。自転車屋め、パンク処理の甘い自転車なんか貸すなー!(激怒)

  

  最後の1枚は、夕暮れのバコンから。今日唯一自分自身を撮った写真です。
  お疲れ!自分!!

2010年10月12日

カンボジアに来ています。ポルポト政権、飢饉、クメールルージュ・・・小学校の頃にはこんな単語をニュースで聞き、そして募金のお願いのテレビCMと共に痩せた子供たちの映像が流れていたことを思い出します。

今は状況が違い回復していますが、地雷で体の一部を失った被害者も多数いるそうです。

  

  こんな文字の食堂メニューは・・・「その土地の食」収集の難関だ、ぐぐぐぅ。
  平仮名の「む」とか敵じゃないね。

2010年10月3日

フィリピンは多数の島が集まる、日本みたいな島。日本以上に海岸線が入り組んでいて、これは海を楽しむ場所かなと思い、港でサバン行きを決意しました。

移動に移動を繰り返して様々な土地を訪問することは楽しいし、よくやるけれど、移動時間のないじっくり滞在もするべきです。でも外国人ばかり集まってフィリピンらしさが見られない「作られたリゾート」は嫌い・・・。

でもここサバンなら大丈夫! リゾートかつ地元民の文化もどっぷり感じ、のんびり滞在しつつもフィリピーノやフィリピーナと日々会話してと、良いところです。

  

  毎日が青い海だよ♪ 毎日がシーフードだよ♪

2010年9月30日

イスラム教の戒律厳しい・・・はずのブルネイで、最後の最後でブルネイらしさを見たっ! 国境を出てすぐの町にはブルネイ人軍人やその家族や友達が続々と表れ・・・、彼ら、ものすごい量のお酒を飲んでるんですね。リッチ~なブルネイ人軍人は、私が何を言わずとも、大量の冷えたビール♪を私たちのテーブルに次々に置いてくれるし!!

「ムスリムだからお酒を飲んではだめじゃないか!?」と外から言うのはルール違反で、宗教を守る戒律の度合いは、その人個人が決めることです(国教により法律化している場合は別問題ね)。世の中には豚肉を食べるムスリムもお酒を飲むムスリムも、断食月に唾液を飲むムスリムもいる。戒律は、あくまで個人が決めること。だからその軍人おじさんとは楽しくお酒を楽しめました。

  

  さて、ビール20本飲んだ翌日の二日酔いを見事に消してくれたのはこれ♪
  肉骨茶(バクテー)といって、肉&漢方の煮込み、絶品のマレーシア料理です。

2010年9月27日

ブルネイに来ました~。
ここは石油でリッチなお方が「俺ぁマレーシアなんかになれっかい!」と、国をボンと作ってしまいました。石油リッチに支えられ、税金はないし教育も医療も無料だし、希望すれば誰もが公務員になれるという噂もあり、大変に潤っております。

  

  う~ん、イイねー! 目の保養、目の保養!

2010年9月25日

マレーシアはマレー半島の一部とボルネオ島の一部、あとは小島からなる国で、一昨日インドネシアよりボルネオ島のコタキナバルへ入国しました。2300円のエアチケット見つけたもんねー。うっふん爆安♪ まかせてー♪

オランウータンは、「森の民」とでも訳せる地元語です。決して英語とかじゃないのよ。ホレ、オランウータンのオランOrangとナシゴレンのゴレンGorengって、似てるでしょ? そんな具合です。

オランウータンは世界でもここボルネオ島にしか生息していない、知名度はエライ高いのに生息地域がごく限られた貴重な動物。今日は、そのオランウータンに会ってきました。

  

  見れば見るほど、足が手に見える。だから足も手と同じように器用に物をつかむのです。
  人間が得られなかった能力は果てしなくすごいねー。

2010年9月16日

インドネシア2度目(人生通算3度目)の旅です。
バティック(名産の織物)を2つ買いました。長さ2mあるので体に巻いてもいいし(肩出しワンピースみたいに巻くと長さぴったりです)、足から頭までかぶれるシーツにもなります。

  

  右が和人の。左があづさの。
  将来、子供の着ぐるみにしたいな、ナンテ思ってる。

2010年9月4日

2人の世界旅、旅して200ヶ国到達です。

最初は、国の数なんて分からなかった(ホントです)。
いつくらいからか、理由は分からないけれど、160ヶ国が目標になっている時期があった。

だから、目標到達という嬉しさではなく、キリのよい数字を踏んだ嬉しさがあります。

ではこれからも頑張ろう。
東チモールにて。

2010年8月20日

イリアンジャヤ陸路国境越えに成功し、東南アジアめぐりの第一ヶ国目となるインドネシアに入国しています。ヤッタ! そして、秘境ダニ族に会うべく、拠点の町ワメナへ来ています。

ここはもともと陸の孤島で、ペニスケースをつける人々が伝統的に暮らしてきたところ。今もアクセス方法はジャヤプラから飛ぶしかありません。そして、1台のワゴン車に20人が乗る壮絶な乗り合いバスに揺られて・・・

ペニスケースの男性よりも、「身内が死んだら1本ずつ指を切り落とす」慣わしを見たときのほうが、ぞくっとした。

  

  おばあちゃん、長生きしてね。ありがとうね。

2010年8月15日

世界10大祭りの1つになるでしょう、壮大なシンシン(パプア伝統民族による盛大な祭り)に行きました。4日連続の族好き写真は置いといて・・・。

素敵な旅を続けているもーきちくんから、メッセージが来て喜んでいます♪
可愛いね! 嬉しいな!
明日からイリアンジャヤ国境越えで、インドネシアに向かって頑張るんだ!
いよいよパプアニューギニアを抜けた瞬間から、私たちの世界旅は東南アジアに突入です。

  
  「もーきちの空想世界旅行」(≫http://mo-kichi.blog.so-net.ne.jp/

2010年8月14日

シンシン(パプア伝統民族による盛大な祭り)の前日の予演会みたいなものに行きました。それでもツーリストも、肝心の伝統民族もたくさん集まっての、これまた盛大な祭りでしたよ~。

あれ?お金払ってないけどー(1人約6000円)、まいっかっ!!
私たちは現地旅行会社支配人の友人として訪問したからね(^_^)V

  

  20人並びジャンプの踊りを披露すると40個の豊かなおっぱいの上下が見応えある。
  女性の私もドキっとするんだから男性陣にはどう目に映るんだろうか。

2010年8月13日

3つ前に書いた「ガイド」の故郷へ、マウントハーゲンから1時間半かけて、コペン村へ行きました。都市ではもはや(ツーリスト向けのショーを除いて)食べられない「ムームー」というパプアニューギニアの伝統料理を作ってもらって食べにいくのが目的です。

その村は、外国人が初めて訪れるところ。みんなが、「みんな笑いすぎー!」と言いたくなる笑顔の連続で接してくれ、平和でハッピー、本当に優しかった。

  

  私たちが来たことを喜んで、こんなお出迎えをしてくれたよ。わーい。

2010年8月12日

パプアニューギニアで~、マッドメンと出会った♪♪
こりゃインパクトの強い人々で。

  

  強盗に遭おうが、私ゃマウントハーゲンに来て良かったよ。

2010年8月11日

パプアニューギニアですから、色濃く残る原住民文化を見に行かねばなりません! こんな彼と一緒にイモを囲炉裏で焼いて食べた~。タノシー♪♪

  

2010年8月7日

やばいなー、鎌と斧を持つ強盗に襲われまして、今回は怪我イパーイ。
旅行会社の宿舎に泊まり、ガイドの男性もつけて和人と3人で歩いていたのに、白昼堂々と。くそー。後頭部強打されてはっきりと覚えていないのだけど、精一杯抵抗したため少し引きずられて、服の下だというのに皮膚がちぎれています。くそーいてーよ。

パプアニューギニアは治安が悪い・・・というか滅茶苦茶な国でして、でも日本大使館も設置されているし海外青年協力隊も派遣されているし、日本の対応がいまいちよく分からん。

2010年8月5日

オーストラリアだ!ケアンズだ!グレートバリアリーフだ!!

グレートバリアリーフはケアンズの60km沖にある大・大・大珊瑚礁群のこと。ツアーでないとここで泳げないのでフンパツして行ってきました! ヤバイほどすごかったです、色とりどりの鮮やかな珊瑚は、世界旅でゴマンとシュノーケルをしてきた私でも、こんなの見たことなーいと思うほどの宝の山でした。

  

  魚もいっぱーい。

2010年7月21日

タンナ島の魅力は、世界で最も観光客が近づける「ヤスール火山」にあります。
私たちは早めに登頂していたのですが、途中からガイドも後ろずさりをするほど活発になり、管理局より「10分以内に下山命令」が出ました。でも、素晴らしい、帰れない。私はガイドに「あなたに従います」といい、ずっとそこにいた。

  

  どーん・・・ぐらぐら(噴火の後は地面が揺れる)

2010年7月20日

私が太平洋で一番好きなのは、愛するバヌアツです。秘境タンナ島へ、再訪しました。

航空券だけ持って、何の予約もなしに、飛び込んだ。
昔少年に一瞬だけ聞いた、あの村の名前だけを憶えていた(≫こちら

そのへんのおじさんに「ヤタプー村に行きたい」と、行ってみる。
そうしたら、そうしたら・・・

村の酋長が来た・・・、私を憶えていてくれた、「一緒に行こう」とトラックの荷台に私を乗せてくれた。そうして私は「酋長友人」として村人に歓迎され、3泊4日を過ごした。「女性が飲むことは掟破りで生き埋めにされる」というカバという飲料も、特別に、飲ませてもらった。

  

  ナンバスという、ペニスサックをつける男たち。
  私は、バヌアツが、大好きだ。

2010年7月5日

私たちがハンガリーの首都ブダペストにいたとき、ギユム兄さんちに滞在していました(≫こちら)。先月と今月はギユムが日本へ旅行に来ています。私たちがいれば是非会いたかったのですが、ギユムごめん、会えない(ーー;;

替わりに、せめてあのときお世話になった御礼にと、東京滞在中のギユムに、「神奈川県のあづさの実家で、日本のごはん体験はいかが?」と両親の了解のもと提案しました。それが今日7月5日です。

母からのメール:「金目鯛の煮付け(あづさ弟が八丈沖で釣った大物)、鳥の空揚げ、豚のしょうが焼、マグロとサーモンの刺身、冷ややっこ、枝豆、筑前煮、キュウリの浅漬け、シシトウ、トマト等、いわば我が家の定番料理。納豆は苦笑いしてた。ドリンクはビール、日本酒、紹興酒。」

ギユムからのメール:「It was just delicious! Your parents were very nice with me and the little dog was very funy! How greatfull I am!」

・・・それにしてもすごいご馳走だ、うちの母、頑張りすぎだ。ギユムちゃんは我が家に1泊して帰っていきました。もし、みんなにとって良い体験となる1日であれば、私も嬉しいです。

とりあえずナアマ(≫こちら)が、私たちの帰国後を狙って日本に来ることが確定w

こうやって、海外で出会えた友人と、いつまでも縁が続くことが、私の希望です。

ギユムが当日の写真を送ってくれたらここに載せようかな。

2010年7月4日

「2人の世界旅200ヶ国♪」が目の前です
(多分来年の帰国時には230くらい行くかな、頑張ろうっと!)。

そしてあづさ自身は世界の料理と食文化を訪ね、「世界料理研究家研究中」の如くお勉強。そんな私も、テレビ番組の制作に「レシピ提供」という形でお仕事をすることができました。世界で最も暑い国、アフリカのジブチの主要民族はソマリ人(お隣ソマリアと同じ人々がいるのですがヨーロッパの国境線引きで分断されている)。そのソマリ伝統料理である「ベール」(ラクダの肝臓ソテー、オリジナルは≫こちらや≫こちら)が、紹介していただけました。嬉しいです。

  

  「ザ!鉄腕!DASH!!」7月4日放映分より(本写真掲載の件は日テレ報告済み)。
  TOKIOの城島くんが美味しいと言ってくれて嬉しい。
  ソマリ人居住地域はイスラム全盛期のスパイス交易地、スパイス使いが美味しいのよ。

2010年6月29日

ウォーリスアンドフツナ。「どこそれ」って思われる率高し。フィジーの近くのフランス海外県の国です。

到着翌日から・・・祭りキター!! 焼かれた豚が100頭以上地面に並べられて、向精神薬的作用を持つ「カバ」を次々飲む儀式に、3000年のポリネシアの歴史を感じた。

すごいすごいすごい、こんなに伝統を残した国が、未だあったなんて。

  

  そしてごちそうが並ぶ。ワインも続々並ぶ。私たちも食べた食べた食べた!
  味付けは太平洋諸国の中で、今のところナンバーワン! いいよウォーリス!

2010年6月27日

フィジー人民家でへとへとになったとき、私はインド人の優しさに救われた。勤勉な働き者のインド人は何て優しいんだ!(油売ってるインド人は優しくなかったですw)

私は決めた。インドに行くまでに、ヒンディー語のビギナーレベルはマスターしてやるっ。あの全然読めない謎の文字も読めるようになってやるっ。そして私はインドのスパイスを極めるのだぁ~あああ。

  

  こういう素材からホンマモンのカレーが作れたら幸せと感じませんか?

2010年6月25日

フィジーに来ました。大学院の同じ研究室同じ学年の友人が「おまえ、フィジーは良かったぞぉお」と新婚旅行話を言ったもので、それから10年以上経つ今までの間、フィジーは「美しくてきれいな南国パラダイス」の、ヤシの木がサラサラを葉音を立てるような爽やかなクリスタルのようなイメージがありました。

が、いざ来てみると、クリスタルなんかじゃない。もちろん人があまり住んでいない離島は海がきれい、のほうが目立つのでしょうけれど、基本的にはフィジー人(メラネシア人。髪の毛チリチリでアフロアフリカンみたいだ)と昔インドから来た労働者の子孫(今もかなりそのまんまインド人)が住んでいます。アフロアフリカンとインドの混合と聞けば町もきれいじゃないし人でごった返すイメージ、分かりそう? きれいに見えないのはその歴史ゆえの町の古さもあると思いますけど。

この旅でゴマンときれいな海ばかり見てきたので(カリブ海と今いる太平洋が多い)、しかも今はあの白亜の楽園、離島どころか絶海の孤島のトケラウの直後。べらぼうな金額を払っていまさら宿も古くなっている離島に行く気にもならず、むしろ「フィジーらしいフィジー」を見るべく、フィジー人最初の定住地であるフィジー人村で5泊民家に宿泊し、快適度の低いところでの暮らしを体験してきました。マジつかれたっす。

  

  とーちゃんの~、手作り晩ごはん~。

2010年6月19日

トケラウへ行くことは、ピトケアンに行くことに続き、多分渡航方法という面では世界で2番目に難しいことでした。特に和人が、トケラウ(と、ついでに弾丸突撃となった米領サモアも)の旅を終えて、ちょっと脱力気味、ほわんとしています。

とはいえ休息できる時間は丸1日もありません。次はフィジーへ向かいますから、撮り貯めた写真のバックアップから日記からサイト用の情報整理から、忙しい。・・・ひょっとしてこの旅の間ずっと忙し・・・(ry

  

  サモアの教会はみんな白い衣装で参加します。
  この子の目の輝きにちょっと吸い込まれそうね。

2010年6月16日

トケラウでは2年に一度の大きな祭りに合致し、贅を尽くしたトケラウ最高級の食事の連続でもてなされました。総理大臣の家に泊まったし(笑)、イヴェントの連続で、本当ずっとずっと楽しいこと続きでした!

  

  ミストケラウの、おな~り~!

2010年6月15日

世界で行きにくい3大国家といえば、ピトケアン、トケラウ、セントヘレナ(ただし同属のアセンシオンに飛行機が飛んでいる)だと思います。あとは全部飛行機飛んでいるし。ビザが取りにくい国はたくさんあるけれど、居住国(私たちなら日本)でお金をかければビザは取れるでしょうから。

トケラウは、滞在するほど楽しい国です。土壌が全部サンゴで、歩くと「きゅっきゅっ」と澄んだ高い音が響くのです。

2010年6月9日

誕生日はサモアで迎えました。

2010年5月27日

トンガ王国は、かのキャプテンクックが上陸したとき、あまりに他島と違う人の良さに「フレンドリーアイランド」と呼んだところ、南洋諸国の中でも最も西欧の支配を免れたところでもあり、実に旅を満喫しています。伝統文化を多く残す土地は、すっごく良いですものね。

  

  これ、高校生の制服です。ゴザみたいのを巻くのがトンガ人の正装です。
  トンガンはみんなキメポーズ大好きなのですよ。

2010年5月23日

「昼」という字が、最近ペンギンに見えてしまう、くぅ。

昔は、「昼」という字が、仮面ライダーの顔に見えていた。
1にマルを書いて①とするように、昼にマルを書いてごらん。

2010年5月22日

ただいまニウエから戻ってきてトンガへ行く間の、オークランド国際空港2連泊中です(笑)。
昨日は良く眠るためにも機内でワイン小ボトル8本+シャンパン2杯をいただき(爆)、飲みまくりました。この空港内は居心地が良いです。

こっそりこっそりと、ニウエにて、あづさの旅渡航国は200ヶ国目となりました!
なんかキリの良い数字達成だ!! おめでとー200ヶ国旅人の自分!!

旅日記上では南極を+1に数えていませんので199ですが、数えたら200です。
南極は国際標準機構で国コードが割り当てられているので、国として数えることもできるのですよ。

でもそんなこたーどーでもいいんだ。私はまだ、夢を叶えながら旅を続けるんだ。

2010年5月20日

ああ、ニウエに来て良かった。
首都でさえ村という、人口1000人台の小さな国。
ここには村が14つあるので、各村が年に一度の村祭りをします。村祭りが、素朴で、豊かで、素晴らしくて。

  

  村の女性の伝統的な踊り、まるで妖精、美しい。

2010年5月12日

とことんずっと部屋にいるので、ベッド脇の間接照明でワインプレートなど。

  

  どうか、病気で苦しむワオちゃん(レッツノートの愛称)を、助けてあげてください。

2010年5月10日

ニュージーランドで、その親分英国でも、英国つながりの国(前いたフォークランドなどでも)などにいると、気持ち悪くなることが1つ。

彼らはクツ洗いブラシというかおトイレこすりブラシのようなもので食器を洗います。そんなんじゃグラスの底の角に毛先が当たらないでしょーと思うと、やっぱりグラスの底から3cmくらいの内壁には長年の汚れがへばりついています。

彼らは洗剤をたっぷり使って食器をあらったら、すすぎをしません。これが困るんですよ。こっちは調理や食事のたびに食器を洗って洗剤を流さなくちゃいけなくて、めちゃくちゃ面倒くさいのです。

今朝、朝食後のお茶を淹れようとして、うっかり事前のすすぎを忘れ(つい日本の感覚になっていた)、注いだお茶が泡だったとき、・・・無念、やられたー、・・・はっきり言って負けたとさえ思った orz

2010年5月9日

ニュージーランドに戻ってきました~。ノーフォーク路線とニウエ路線がどっちも土曜日で、5月8日(土)にノーフォークから返って来てそのまま乗り継ぎ、っていうのができない以上、次の土曜日まで空港のあるオークランド(昔首都だったところ)に滞在することになります。

1週間単位で借りられるアパートメントのくつろげる部屋を借りました。前から「オークランドではのんびり過ごす!」と決意していたので、実行、実行!

2010年5月3日

ノーフォークに来ています。日本人にはどこだか分からない人多数な国家でしょう。私も旅に出るまで知りませんでした。オーストラリアとニュージーランドから直行便が出ていて、両国老人達が多数バカンスに訪れるバカンス的島国です。

キッチン付き2ベッドルーム&リビング&テラス付き一軒屋を借りての1週間滞在。外に出て歩くべきか、素敵な宿滞在を楽しむべきか、宿が良いと選択に葛藤です。

しかしこの国の料理のレシピブック(国に1冊しかない)を見てみても、フルーツを使ったお菓子ばかり。魚料理は焼くかフライくらいで、肉レシピなし。その土地の食コーナー、どうしようかな。

2010年4月29日

ニュージーランドは日本とちょっと似た形をしているけれど、南半球にあるので北島のほうが暖かい。ついでに火山性なので一層暖かいです。ロトルアは地熱地帯の街。そしてここ超イイ! キャンプサイトでテントを敷いてもまるで床暖房でぬくぬく。至る所に湧き上がる湯煙があり、砂を掘ればぬくぬくの砂風呂が、地面を掘ればぬくぬくの温泉が出てくるよ!

朝起きて朝風呂(宿の温泉)に入り、温泉の蒸気を使う「ハンギ」という伝統料理の真似をして料理をし、砂風呂に入って汗をかいてはまた温泉で汗を流し、ワインを飲んで気持ちよくなったら床暖房的テントでごろんとお昼寝。1日使って極楽生活を楽しんでいます。

  

  これがハンギ~。マオリ族の伝統料理法は今も受け継がれています。

2010年4月27日

ニュージーランドでキウィを食べることの重要性、分かりますか?

  

  ヒント:kiwi

2010年4月25日

おっといきなりニュージーランド! 日本に近くなった~って気がしますよね。首都ウェリントンでホームステイした家のシルビちゃんは、見事に私の人生を変えてくれました。

  

  ニュージーランダーが作るガーリックブレッド(日本語ではガーリックトースト)がぁっっっ!
  ありえない美味さだったのだぁっっっっーーーー!!
  何で今まで日本ではあんなガーリックトーストを作ってきてしまったんだorz

2010年4月10日

タヒチだよ~、新婚旅行だも~ん、モーレア島だよ~♪

でも、きれいな海とかよりも、写真のような「南の島」的明るいポリネシアン文化とポリネシアンな人々が好き。旅にはまりそう。

  

  手に持っているのは「パンの実」です。焼くと中がパンのようになる木の実です。
  でも私の感想では、パンではなくイモ類に近い感じがします。

2010年3月26日

一応2人で出来るだけの水を持って歩いても、部分的にヒッチハイクで助けてもらっても、水の汲めない島を徒歩で一周というのは大変でした。炎天下だったし。

身体はホメオスタシスというのがあって、要は恒常性というか、「やばくなったら元に戻さなくちゃ」という生理機構があります。その一端であるバソプレシンがトレッキングにより分泌亢進されました。抗利尿ホルモンというもので以下ADHと略しますが、炎天下で水をケチって飲むトレッキング中に身体は脱水症状を感知して、ADH分泌によって身体の水分保持量を増やそうとしました。その結果、血管透過性亢進つまりは血管内に水分が増えたためにそれらが血管外にしみ出して、体組織に水がたまる、一言で言うと浮腫です浮腫! 英語でアキュートエデマ。私の足はイースター島トレッキングにより、異常な太さになってまるで象の足。ついでに脳浮腫かもということで思考も低下し、全身倦怠感も浮腫のせいにしてやろう。とにかく皮下がパンパン、ヤバイぞこれは・・・。

タヒチでは海を見ながらのんびりしなさいってことかしら。
とりあえずタヒチ島で2日外に出ないで静養したので、明日からマンガレバ島へ行ってきまーす。

2010年3月24日

> だってモアイよりこっちのほうがいいもん♪

と書いておきつつ、2日の観光日を設けたイースター島では、1泊2日で島一週歩くという計画に乗り切りました。徒歩ですから、レンタカーでは行けないところ(島北西部とか)も歩けます。モアイ・モアイ・モアーイ!

  

  島一周60kmあるのに、歩くか普通w
  「東京から小田原くらいかなぁ」と思っていたけれど、大磯くらいまでのようです。
  実はこの島、トレッキングで水を汲む場所が1箇所もないの。これがシビアです。

2010年3月21日

お友達のハルミちゃんは日系3世のチリ人で、首都サンチアゴに住んでいます。家族みんなが優しくて、日本が大好きで、こんな幸せなホームステイは滅多にあることではありません。サンチアゴ2泊の予定を、イースター島行きフライトを2日ずらして4泊滞在することにしました。だってモアイよりこっちのほうがいいもん♪

そして伝統チリ料理の数々により常時お腹がいっぱいのサンチアゴです。く…くるすぃ(嬉)

  

  フェリスクンプレアニョース♪(お誕生日おめでとう♪)
  顔にペインティングをして、ケーキを顔中クリームになるまでほおばる。
  これ、チリの伝統的習慣なんですって。
  ハルミちゃんの娘と姪です。きゃわゆい。

2010年3月11日

昨日の続きー。ペンギンの聖地フォークランド諸島。私たちはボランティアビーチという私有地に入れてもらってペンギン観測三昧してきました♪

  

  ジェンツーペンギンが、いきいきとしていました。

2010年3月10日

チリ巨大地震は観測史上5番目の大地震だったそうです。でもLAN航空は空港倒壊&スケジュールごちゃごちゃの中からも頑張っていたようです。私たちもごちゃごちゃとスケジュール変更などは苦労しましたし、嫌な思いもしましたが、1週間遅れで無事にフォークランド諸島に上陸することができました。

  

  すごいかわゆい! キングペンギンの聖地ですもの♪
  後ろに1つ頭が出ているのは和人です。

2010年2月28日

マグニチュード8.8という、極めて大きな地震がチリで発生しました。そして私たちはチリにいますが、私たちは無事です。しかしこの地震は首都で大都会であるサンチアゴ至近が震源地であることもあり、首都が直撃されたため様々な機能が麻痺し、混乱しています。私たちも大きく被害を受けています。更に3月中にサンチアゴから飛行機で南米大陸を離れるのにサンチアゴ空港が閉鎖されてしまっては今後も大きく被害を受けそうです。ああどうしよう。

トップページに無事の報告文章を書いた直後よりインターネットが不通になり、隔絶された時間が長く続きました。心配のメールを多数いただいておりながら、返信が送れなくてごめんなさい。

サンチアゴに住んでいる友人が生きていてよかった。でもチリでは死者も多数出ています。どうか、これを読んで、地球の裏側の不幸な災害で命を失った人に冥福を祈ってくれる人がいてくれることを願っています。

2010年2月7日

南米には日本人移住者がたくさんいます。そのうち世界最大の日本人移住地がパラグアイにあるピラポです。和人は17年前にここを訪れてヒッチハイクに応じてくれたおじさんの家で数日を過ごしたとか。

今回、当時お世話になったおじさんのお宅を訪ねました。事前連絡を取る方法がなくて、アポなしだったのですが、めでたく会えました!!

日本人移住者は、農地開拓で訪れたので、離耕していない限り、今も皆農家です。おじさんの友達の家に次々招かれて、美味しい野菜をたっぷり分けてもらえ、手作りの美味しいお料理を幾つもご馳走になりました。 手作り味噌!手作り納豆!朝採りの野菜!いやん最高♪

  

  もらった野菜であづさは張り切って朝採り野菜のランチを作りました♪
  これからこのおじさんちで何日かを過ごします♪ ありがとうございます!!

2010年1月31日

観光客が来ない、アルゼンチン北部のゲメスの町に来ました。交通の要所だから、ここで一泊してからパラグアイ行きの夜行バスに乗ればいいと考えたが・・・これが失敗。宿がないんです。

でもそういうときこそご縁が発生するもので、ポリスに相談したら総合体育館のジム宿舎に泊まれることになり、なおかつ、合気道教室の先生方と、アサード(肉の炙り焼き)の昼食に招かれてしまいました\(^o^)/

  

  肉・肉・肉~♪
  アルゼンチン人ですもの、野菜欲しがりません(^^ゞ

この後私は肉食文化圏を旅し続け、野菜不足と50年に一度の記録的猛暑が重なり、猛烈に体調を崩す(食欲をなくす)ことになります。このときはまだ肉食の始まりで楽しかったのですが・・・。

2010年1月30日

連日の豪雨でマチュピチュが入場禁止になったことは日本でも大きく報道されたそうです。そんな同時期、雨期では通行不能になるというボリビア-パラグアイルートから急遽予定を変更して、イグアスの滝へはいったんアルゼンチン北部を経由して向かうことにしました。ボリビア南部では、バス道路ががけ崩れで巨大な落石に塞がれて、車もなく、ウユニから一緒の乙女軍団皆で落石を越えて歩き続ける、壮絶な体験もしました。

さて、アルゼンチンに北部から入国したならば、アルゼンチン北部の世界遺産、虹色の岩が美しく露呈するウマワカ渓谷を旅しない訳にはいきませんね。

  

  うっわー、なにこれっ!
  この山に実際に登り、めちゃくちゃ感動しました。
  ピンク、黄色、緑、青、紫と、こんな色鮮やかな丘、生まれて初めて見た!

2010年1月26日

雨期で水がたまり、スッカーと晴れて最高となったウユニ塩湖を楽しんだ仲間たちと晩ごはん。そう! なんと私! ウユニ塩湖ど真ん中の「塩のホテル」に宿泊中でーす♪

  

  「壁の塩をちびっと舐めながらビール飲むと旨いのよっ」と乙女軍団より。
  実際、肉の塩味が薄いと思ったら、壁や椅子を削って肉にかけて食してましたw

2010年1月26日

雨期のウユニの、晴れたウユニは、最高でした。
一面に広がる塩の上にうっすら水が張り、水鏡に立つと、まるで空に立つよう・・・。
こんな体験ができるところ、世界でほかに知らない。

  

  夕焼けの光に当たっているのに、何故、影が、できないんだろう。
  映るのは、自分の鏡像、ただそれだけ・・・。

2010年1月24日

ああ、私って、やっぱり「族好き」・・・♪
ボリビアでは有名なタラブコの日曜市、アンデスの山の中の村にもぐり込み、こーんなおばあちゃんたちにいっぱい出会ってきました。男性は鎧の兜のようなものをかぶっています。

  

  これが普通の格好なんだから、彼ら、すごいよなぁ。

2010年1月20日

ラパスの強盗被害からあっけなく立ち直り、世界史を壮絶に変遷させたポトシで、無尽蔵と言われた銀山へもぐってきました。ここの銀は世界にばらまかれ、イスラム優勢の暗黒期ヨーロッパから、輝かしいスペイン無敵艦隊時代を創りあげたのです。

  

  今もコカの葉を噛みながら働く鉱夫たちに、出会った。

2010年1月17日

ちょっと見てよこれ(怒)
ケチャップ強盗みたいなもので、今回は「ドブのヘドロにマスタードを混ぜたもの」をぶっかけられました。これで「何かついてるよ」と言い寄られて背中を見ようとする隙に強盗を仕掛けるのが常套手段。幸い今回は強盗にいたらず未遂ですが・・・でも同日夕方にパスポートひったくられまして、やっぱり因縁のラパスは鬼門です、散々です。

  

  でも、パスポートは買い直しがきく。
  パソコンとか思い出の写真データを盗られるほうが、ずっと悔しいと思う。

2010年1月14日

チチカカ湖は標高3810m、世界最高所の湖です。ウロス島という、葦(あし)を積んで作った「浮島」があることで知られています。ウロス島は1つではなく、70の島の総称です。

私たちは、そのウロス島の小さな1つに伝統的に住まうウールー族の家に泊まってきました。アイマラ語を話す家族みんなはとても優しくて、互いはスペイン語で意思疎通を図ります。彼らの文化風習に入り、一緒にごはんを食べ、一緒に遊び、様々なことを学ばせてもらう素晴らしい時間でした。世界中探しても、こんなところに住む人々など、いないと思う。富士山よりも標高が高いところの湖上に浮いて暮らす人々なんて。

  

  「あちゅさ」と呼び、始終あづさと一緒にいてくれた、ウールー族の可愛い少女、マリア。
  後ろにあるのは、葦で作った彼らの船。聖なるプーマの顔が仕立てられています。

ペルーの旅もこれが最終版です。今は国境の町にいます。
明日、これまた大がつくほど大好きなボリビアへ入ります。

2010年1月10日

私がペルーで一番大好きな、一番愛する地、ナスカに来ました。
そして、また、愛する地上絵と、世界の七不思議との、邂逅。

  

  高台にあるハチドリの絵に、また感動しました。

2010年1月9日

私がペルーで一番大好きな、一番愛する地、ナスカに来ました。
今回挑戦したかったのが、「ずぅーっと地上絵と共に過ごすこと」でした。

  

  ナスカの地上絵の線がたくさん見られる「ミラドールナトゥラル」(自然の丘)のふもとにて。
  あらこんなところにテント張ってる人がいますね?
  2000年もの間地上から消えないナスカラインは、本当に神秘的で素敵です。

2010年1月5日

ペルーを旅する旅人よ! 地上絵だマチュピチュだと現を抜かしている場合じゃないっ!
(といいつつ私もかつて地上絵とマチュピチュだけをターゲットにペルー来た者ですが、何か?)

チャビン遺跡は、アンデス文明の始祖となる、歴史上極めて重大かつ重要な遺跡です。今日はその遺跡をしっかりと見てきました。感動しました。でも「歴史上極めて重大かつ重要な遺跡」ということを知らないと、見ていてきっと「しょぼっ!金返せ!」と思うかもしれません。

  

  公園の手すりのあちこちに、チャビン文明の象徴の顔があるのがラブリ~♪

2010年1月1日

あけましておめでとうございます。
リベリアのお正月、ソマリアのお正月と続き、今年はまともに、ペルーアンデス地帯で平和なお正月を迎えています。といってもリベリアもソマリアも平和だったけどねっ!

ワラスの町では、なーんと1泊2000円以上もする高級宿(ペルーじゃ高いのだよ)に泊まって、3日間寝正月。これから訪れるアンデス高地の旅へ向けて高度順化と、宿のwifi使って、太平洋ルート固めて、実際にもう航空券切り始めています。こわっ。

  

  ワラスの町から見る、世界遺産の山は大変美しゅうございます(岸朝子風に)