エリトリア
約三十年におよぶ独立戦争を経て、エリトリアはエチオピアからの独立を勝ち取った。
一九九四年、独立を果たして一年過ぎたばかりの時に、このエリトリアを訪れた。
エチオピアから時速二〇キロしか出ないボロバスで、エリトリアに向かう。国境の川は戦争で橋が崩れ、しぶきを上げながら渡った。途中、戦車があちこちに放置され、壊れた家屋も多かった。
しかし、首都のアスマラに着いて驚いた。壊れた建物はなく、きれいな街、ゴミ一つ落ちていないのだ。あらゆる商品が豊富に並ぶ小ぎれいな商店街を見ているとアフリカにいることを忘れそう。ピザ屋やブティック、カフェ等が並ぶ様子はまるでヨーロッパ。人々は服装もきれいにしており、活気に満ちている。この街が内戦で長い間苦しんで来たとは、とても信じられない。
泊まったホテルはきれいに掃除が行き届き、窓の桟にも埃がない。共同のシャワーだが熱いお湯も豊富に出る。エチオピアからの旅で埃だらけになっていた我々が洗濯をしていると、「ついでだから洗ったげるよ、お金は要らないから。」と申し出てくれる親切で気持ちの良い従業員たちもいた。
街全体が活気にあふれ、皆気さくに声をかけてくる。久しぶりに食べるスパゲッティやピザもおいしく、本当に居心地の良い街であった。新しく希望に満ちた国、エリトリアの前途は明るいと単純に嬉しく思った。
三年後、再び同じルートでエリトリアにやって来た。国境付近は整備され、もちろん川には橋が架かっていた。バスは新しくなりスピードも出る。交通量も非常に増えた。道中散見された戦車の残骸は片付けられて、内戦の跡はもう見えない。
アスマラに着いて、何か違和感を感じた。人々の様子がどうも違うのだ。薄汚れた服の人が多く、全くいなかったはずの物乞いもいる。街全体が古ぼけて見えるのは気のせいではなさそう。
以前泊まったホテルに直行したが、雰囲気が全く変わっている。部屋に案内されてがっくり、埃が積もっているのである。まあ仕方ないとその日はチェックイン。しかしシャワーは水しか出なくなっており、最悪なことにベッドにノミがいた。たった三年でこうまで変わるのかと心底落ち込み、その夜は熱まで出してしまった。
翌日、ホテルは移ったがどこのホテルも掃除ができておらず、暗い感じがした。三年の間に何が起こったのか、恐らく何も起こらなかったのだ。独立を達成し平和が来て、これからの希望に満ちていた人々が、何も変わらない現実に希望を失い気力を失った、その姿を私は目にしたのであろう。
数カ月後、エリトリアとエチオピアが領土問題で戦争を始めた。激しい戦いを今も続けているらしい。三十年の内戦の恨みを忘れ、協力し合っていた両国なのに、本当に領土問題が原因だろうか。国民の不満をそらすためにエリトリア政府が戦争を望んだのではないかと私はつい想像してしまう。