キリマンジャロ登山

 私の到達した最高高度は5895メートル、アフリカ・キリマンジャロの山頂である。2番目はインドのレーからマナリーに抜ける軍用道路にあるタグラン峠5328メートル。3番目以下は5200メートル台で何ヶ所かあり正確にはよく分からない。

 一時期山登りに凝っていた私は、雨の降らないかぎり週末には山に登っていた。日本の山で登りたいところが無くなってくると、自然と海外の山に目がいく。雪山登山の技術がない人にとっての最高峰はキリマンジャロであろうと、いつしか私の中でこの山の存在が大きくなっていた。車で到達できる最高の5600メートルを上回るのも魅力である。アフリカ大陸の最高峰なのも良い。高山のないオーストラリアを除くと大陸最高峰の中で最も易しそうな山でもある。ある年の9月、ついにアフリカに行く機会を得た。
 2週間の休みを取り、ナイロビに飛ぶ。アフリカに少し慣れてからの方が良いかと思い先にサファリなどをして、アフリカに入って5日目キリマンジャロの登山口に向った。

 キリマンジャロの登山路はいくつかあるが、一番容易なマラング口から登るのが普通である。マラングに着き、マタトゥー(東アフリカのミニバス)を降りると客引きに囲まれた。登山にガイドを雇うのが義務づけられているので、ガイド申し出攻勢なのだ。ここに来る旅行者は全員がキリマンジャロに登ると思われているので、決めるまでは開放されそうにない。ちょっと嫌になり、マラング村に泊まるのは止めてしまった。
 後先を考えずに、登山口に向って歩きだした。登山口まで5キロ、足慣らしのつもりであったが、すぐに車が通りがかり乗せてもらった。ところがこれまたガイドの車、しつこく勧誘される。
 登山口には宿が一つしかなく、ドミトリー(相部屋形式)で外から出入り自由なのだ。部屋に入っても、入れ替わり立ち替わり自称ガイドがやってくる。入山料・山小屋代・救助費用保険が167US$、ガイド・ポーター・食事代金が100US$だと言う。あまりの値段にあぜん、海外ではけちにならないように心がけていたが4泊5日に何でこんなに金が掛かるんだ。ぼっているに違いないと外に出て色々聞いて回るが、皆同じ値段を言っている。同じなら先に決めて、部屋までやってくるガイド押し売り攻撃から逃れたい。結局車に乗せてくれたガイドに決めた。これでゆっくりできるかと思いきや、今度は次々と手袋や登山靴、セーター、ジャケットなどのレンタルの勧誘。必要なものは揃っていると断るのに、しつこく汚い品を部屋の中に持ち込んでくる。全然休めない。
 後で知ったことだが、普通はモシの町、遅くともマラング村でガイドの斡旋を頼むそうである。登山口まで何もしないで来る人はおらず、ガイドも普段はここにいない。いつもなら昼間はひっそりしているらしい。私が値段を比較するつもりで聞いて回ったガイドたちは実は皆仲間。この翌日、私の加えられたインド人の団体の数が非常に多く、準備のため先発で集まっていた人々だったのだ、値段を聞いて回っても全く同じだったのは当然。

 翌朝、登山開始の前に公園オフィスに連れていかれる。ここでもめた。入山料等の167US$が240$だと言うのだ。167$は在住外国人の料金で、一般の外国人は240$らしい。金額が金額だけにもめて、合計267$で契約したと主張する私と規則は曲げられないとする係官の間でガイドは困っていた。結局、ガイドが100$の中から賄賂を払い、係官は私の名前をインド人の名簿の中に加えた。インド人のグループはタンザニア在住だがタンザニア国籍を取っていないそうだ。登録はパスポートナンバーだけで、ビザナンバーは必要なく問題は収まった。ガイドたちは団体の名簿の中に私の名前を入れるだけで問題ないと考えていたのが、追加の一人だけが日本人なのでばれたらしい。167$公園オフィスで払った領収書を見ると聞いていた入山料、山小屋代、レスキュー代以外にガイド代と書いてあった。ガイドに問い質すとそれはガイドの入山料等が入っている意味であると言い訳していたが怪しい。
 インド人グループは到着せず、中々出発できない。インド人グループと一緒なのを知ったのは今朝になってから、個人で雇ったのではないなら100$は完全にぼったくり。しかし最終的には安くなっており、文句を言うことはできない。
 朝8時にオフィスへ行き、9時前から待っていたが10時半になり堪忍袋の緒が切れた。登山においては朝の時間は貴重である。先に行くと私は宣言。ガイドも待つのはあきらめたようで、私の荷物を運ぶポーターと二人で先に出ることを許可してくれた。

 ついにゲートを越えて、キリマンジャロ登山の開始。始めのうちはジャングルの中の緩やかな車も走れる道、快晴。しばらくするとジャングルを抜け、道も少し急になり車も走れなくたった。そう思ったらもう本日の宿泊地、マンダラ小屋に着く。たった2時間、ゆっくり歩いたつもりなのに何だこれはという感じ。ガイドブックにあるコースタイム4~6時間なんてどう考えても大げさである。(現地に書いてあったコースタイムは3時間)マラング小屋の標高が2700m位だから高山病の心配もない。誰が6時間もかかるのだろう。

マラングゲート

 本隊が登ってこないので待つしかない。午後1時過ぎから雲が出てきて、急激に気温が下がってきた。スキーウエアーを着てもまだ寒い。残りの防寒具はセーターとぺらぺらの雨具くらい。山頂までまだ高度差3000mあるのに大丈夫かと不安になってしまう。
 3時を過ぎても本隊が着かず、昼食はどうなってるんだと空腹でイライラ。非常食はあまり持っておらず、初日から使いたくはなかった。やっと3時半頃ガイドと隊の食料を持ったポーターが到着。本来はおやつの紅茶とビスケットが昼食となってしまった。
 夕食はスープとご飯、人参、キャベツ、ジャガイモ。味はまあまあだが、これではベジタリアンである。デザートのバナナも渋くて食えず。食事なんて頼むのではなかったと後悔。これではパワーが出ず歩けない。

 2日目、6時半に朝食だとガイドに起こされる。朝食は、パン、紅茶、卵、トマト、バナナそれとウガリ。ウガリというのは東アフリカの代表的な食事。穀物の粉をお湯に溶いてこねたもので、鏡餅のような形にして出てくることが多い。手でちぎってソースにつけて食べる。この時はトウモロコシの粉で作ったものでソースには肉も野菜も入っていた。夕食よりもボリュームがある。
 7時には食事が終り、出発しようと思ったがまだ準備ができないと待たされる。常に一人で山登りをしてきた私にとって、この様にたびたび待たされるのは苦痛だ。先に出て、近くのマウンディクレーターというところに行くことにした。クレーター自体たいしたものではないが、ここで初めて山頂であるキボ峰が見えた。気合いが入る。
 マンダラ小屋に戻るともう本隊は出発していた。歩きだし、インド人の団体をどんどん抜かしていく。総勢約60人の大グループ。タンザニア各地に住んでいるインド人で、インド人の親睦団体の募集ツアーだそうだ。それぞれに個人の荷物を運ぶポーターがつき、それ以外に全体の食料を持つポーターやガイドなどがおり、百数十人の大遠征隊である。時間がかかる訳だ。私のポーターがポレポレ、ポレポレと常に言い続け、私にペースダウンをうながす。ゆっくり歩くことが高山病にならないコツで、ゆっくりという意味のポレポレを常に考えながら歩くようにガイドから言われていたが、調子が良いのでついつい足が早くなってしまう。
 途中、バケツを楽器にして歌い、踊るポーターたちを眺めたり、下山してきた日本人ツアーグループに会ったりした。休み休みで登ったので、今日はコースタイム通り5時間かかった。それでもまたグループの先頭。しかし今日は待つことなくすぐに、紅茶とビスケットにありつく。先着していたポーターたちが用意してくれたのだ。昼食はパン、卵、みかん。すでに富士山の山頂くらいの高さがあるが、高山病の兆候はない。富士山に登った時は辛かったが・・・。
ホロンボ小屋  この日はドイツ人とアイルランド人の組のバックパッカーが相部屋。彼らは自分でガイドのアレンジし、ポーターはつけず、食料は自分で購入、調理はガイドがするという条件で一人あたり全部で250$、私より十分安い。というより公園に払った料金が240$だとするとガイドに払ったのはわずが10$、ポーターと食料がついたといえ私の100$は完全にぼられている。まあ最終的に損がほとんどなくなったから良かったけど...。荷物があるので今日の登りはきつかったといっている。確実に山頂に行くには金を惜しんだらいけないと思った。
 夕方5時過ぎに日本人が一人着いた。節約のため1日でここまで登ってきたと言っていた。私もそうすれば良かったとこの時は思ったが、彼は翌日調子が悪くなり、途中で引き返してしまった。時間的には問題ないがやはり標高が高い、無理は良くないようだ。

 3日目、昨日食後すぐに出発できずに私がイライラしていたせいか、今日はインド人グループが食事をすませた後、私の食事が来た。食事や紅茶は常に私の荷物担当になったポーターが運んでくる。楽な登山、荷物も持たずに1日数時間歩くだけ、食事も作ってくれる。これでは暇を持て余してしまう。8時に食事、8時半出発。
登山道  この辺りまで来ると木は生えておらず、荒涼とした風景。ほとんど平地で歩きやすい。標高4400m位から少し頭が痛くなり、ポレポレと自分で言い聞かせながら歩いた。ケニア側が見渡せる展望台も霧が出ていて何も見えない。歩くスピードはポレポレであったが、休みが短く12時には、キボ小屋に着く。
 頭痛も治り、標高4750mなのにすこぶる快調。またビスケットと紅茶のみ。食欲は旺盛で、非常食のチョコレートや豆類を食べた。
 暇なので、明日歩く上の方へ、しばらく散歩。霧がはれ、ケニア山が遠方に見える。明日ついに山頂だと思うとわくわくしてきた。
 今日はインド人のうちの半分くらいが脱落し、引き返したらしい。山に登のは初めてだという人もいたし、単なる付き合いできてもともと登る意思なく、昨日も宴会していたという人もいたから当然ではある。こういうグループに引きずられ、食事や出発の時間がずれるので困る。

 4日目、真夜中0時20分に起こされる。紅茶を飲んで、ビスケットを食べる、ゆで卵もあったが山頂に持っていくことにした。海外での登山は山頂でご来光を拝むため、暗いうちに登頂することが多い。私は昼間景色を見ながら歩く方が好きなのだがわがままは言えない。
 1時出発の予定なのに、インド人グループの準備が遅く待たされる。山頂まではガイドと歩くことに決められているのだ。他に2組みいたグループは予定通り1時に出発。1時半、インド人30人近くと共に列を組み、ようやく歩きだした。
 満月の2日後で、懐中電灯は必要のない明るさ。星空がきれいだが、全部2重に見え、乱視がひどくなっていることを実感。コンピューターを使う仕事をしているせいであろうか。非常にゆっくり歩くが、30人の列はばらけていく。
 ケニア側アンボセリの灯りが見え、キボ峰も白く輝いている幻想的な景色。しかし登るにつれて霧が出てくる。インド人たちは余りに遅く、日の出に間に合いそうにない。焦ってきた私は、ガイドの制止を振り切って、先に一人で歩きだした。
 後半は岩場で道がよく分からないが、ゆっくりと登っていく。6時にギルマンズピーク到着。キリマンジャロは火山で山頂部には直径2キロ以上ある大きなクレーターになっている。その東端の部分がギルマンズピークである。
 ギルマンズピークからはクレーター内の氷河がよく見える。先に登っていったヨーロッパ人のグループはここで日の出を見るために待っていた。非常に寒く、持っていた服を全て着て、さらに寝袋を体に巻いて日の出を待つ。7時頃、雲の間から日の光が差し始める。氷河に光があたり、青々と美しく輝きだした。7時半頃からインド人が到着しだし、8時にラストのガイドがやってきた。インド人は十人位にまで減っている。
 いよいよ最高地点であるウフルピークへ向かうのだと思い気や、ガイドはここで終り、下山すると言い出した。ヨーロッパ人のグループもここで満足し、下山を始めた。インド人に聞いても皆疲れており、もう下山すると言っている。下山を主張するガイドと大喧嘩、ここから先は危ないのだとガイドは止めたが、
 「ウフルピークに行かずして、アフリカに来た意味はない。」
と、私は捨て台詞を残し歩きだした。
 本当に危険であればガイドはついて来るだろうと思ったが、来なかった。氷の上を歩くところは少し危なかったかもしれないが、ほぼ平坦な道。氷河に見とれたり、霧にまかれたりしながら歩くこと約1時間。アフリカ最高峰の最高地点、ウフルピークに到着。標高5895mに一人きりでの到達だ。目の前の氷河は美しいが、下界は雲海に隠れていた。
キリマンジャロ山頂 山頂には金属の箱があり、その中のノートに名前を書く。記念撮影などし、落ち着いたあと祝杯用に運んだウイスキーを一口、ゆで卵は凍って食べられない。
 ウイスキーを飲んだ数十秒後、急に動機が激しくなり、頭が割れるように痛みだした。ここまで高山病の症状はほとんどなかったのに、アルコールによって一気にきたのだ。

 高山病と急いだせいで、下山中は頭ががんがんして苦しんだ。10時20分にギルマンズピークに戻り着くが、誰もいない。ここからの岩場は霧のため道が分からず恐かった。岩場を抜けたところで気が抜けてしばらく立てなかったほど。しかし、ガイドと喧嘩して一人で登ったので焦りもあったが、気力でがんばった。
 キボ小屋の前にガイドが一人だけポツン。うれしかった。高山病で歩けなくなったらどうしようかと張りつめていた気持ちが一気に緩む。ガイドに紅茶を入れてもらい、しばしの休憩。しかし、全員が随分と前に出発したということで、すぐに下山を続ける。2日目に泊まったホロンボ小屋が、最後の宿泊地だ。皆に追いつき心が休まると登頂したんだなあと実感が沸いてくる。目的は達成され大満足。高山病の症状もとっくに消えていた。

 この夜、登ってきた日本人の3人パーティーと合流。彼らは、ゲートで払った240$のみ。ガイドはその料金だけで追加を言わなかったそうだ。荷物を運ぶのはもちろん、炊事まで自分たちで行なっていた。しかし、登頂ができた私は、もう値段や方法は全然気にならず、満足感でいっぱいである。この中の一人が、私の出身高校の後輩であることが分かり、盛り上がった。
 一言だけした彼へのアドバイス、
「祝杯をあげるのは下界まで待て。」。