ビザトラブルその1/イラン
ビザ=入国査証は、旅行者にとって厄介なものである。規則がきちんと定まっている国ならば、まだ良いが、そうでないことも多く、今までに色々苦労をした。その中で、良く覚えているのが、イランビザ。
80年代は日本と相互ビザ免除協定のあったイラン入国は、非常に楽であったそうだ。当時、大半の国籍の旅行者には、ビザ取得が困難で、かつ強制両替があった。しかし、日本人は自由に出入りできていたのだ。ところが、イラン人不法労働者(許可なし労働やオーバーステイ)の増加のために、日本政府が、協定を停止。対抗上、イランビザも必要とされてしまった。当初は無料であったお互いのビザも、たび重なるトラブルの後で、イランビザは50米ドル相当となった。今でこそ、普通のビザ料金と言えるが、10ドルくらいが多かった当時としては、非常に高いものに感じた。しかし、高くても取れれば良い。これが中々難しいのだ。
93年秋。中央アジアからイランに抜けようと計画をした私は、モスクワでビザ申請に出かけた。ところが、「旅行者には居住国(つまり東京)でしか発行しない。」と、冷たく断られた。一度ポーランドに出て、ワルシャワでも聞いたがだめ。この時は結局、中央アジアからモスクワに戻った。
翌94年夏。スーダンのハルツームで申請することにした。日本大使館のレター(パスポートの持主が日本人であることを記してるだけで、偽造パスポートでないことの証明くらいにしかならないもの)が、必要で、まずそれは取得。
次ぎにイラン大使館へ向った。が、いくら探してもイラン大使館が見つからない。砂嵐で先がよく見えないような状況の中、住所の近い銀行やエジプト大使館でも場所を尋ねたが、最後まで見つからなかった。砂嵐に負けて、もう翌日は探す気になれず断念。
次ぎに行ったエジプトでも取得しようとしたが、当時のエジプトとイランは中が悪く、ビザが取れないと言われ、再び断念。
さらにトルコに飛び、イスタンブールでビザを申請することにした。そこでも日本領事館のレターが必要だったのだが、ここでは飛行機のチケットを示すことが、レター取得の要件になっていた。というのは、「陸路で入国の時に必ず通るトルコ東部に日本の外務省から“注意喚起”が出ており、そのような場所に旅行者が立ち入ることになる手助けはできない。」、とのことなのだ。もう1ランク上の「観光自粛」が出ると、出してくれない大使館が多かったが、ここは少し厳しかった。
仕方ない。そのままイラン領事館へ。ハルツームでもらったレターを、申請書と共に提出。そして無事にビザが取れた。5日間のトランジットビザだけど…。
97年11月。再び行くことになり、シリアで申請。当時シリアポンドは1$=42ポンドが公定レート。約42x50$=約2100ポンドが、ビザ料金であった。しかし、闇両替が盛んで、1$=50ポンドでシリアポンドが入手できるので、実質のビザ代が、少し安くなるのが、ここでの申請を考えた一つの理由だった。入国予定日まで1ヶ月以上あったので、ビザの有効期間を確認し、申請。
この時はヨルダンからダブルトランジットビザを取得して、入国しており、予定は、ヨルダン-シリア-レバノン-シリア-トルコである。イランビザが申請できなければ、レバノン北部からシリアに出るつもりだったのを、シリアの首都ダマスカスに戻ることになったので、値段的にはさしてメリットはないが、1ヶ月滞在可能の観光ビザをくれるのも魅力だったのだ。当時の情報ではトルコで得られるのは、1週間のみ滞在のトランジットビザだけだったのだ。
さて、シリアのトランジットビザは2日間のみ有効なので、申請してすぐにレバノンへ入国。1週間後にビザ発行できると言われたが、心配なので、余裕を見て10日後にダマスカスへ戻った。その足で、ビザの受領に向ったが、
「本国よりのテレックスが届いていないので、明日昼にまた来い。」
そんなこと言ったって…、シリアのビザが切れてしまう。確実に翌日ビザが取れれば、そのまま出国すれば大丈夫であるが、明日テレックスが届く可能性はあるのか。既にシリアポンドは用意してある。闇両替の危険を犯さずに、レバノンで両替してきていたのだ。闇両替のある国では、通貨の再両替ができない。ビザが取れなければ、きゅうきょ土産を買う必要も出てくるのだ。
翌日、期待せずに、イラン大使館へ。なんと今日テレックスが来たというではないか!しかし、ほっとしたのもつかの間、即日ビザができると思っていたのだが、受領できるのは明日14時だと宣告された。シリアビザが切れることなどを説明し、執拗に粘り、最後には領事にまで相談してもらったが、受領日は変わらなかった。これでシリアに不法残留となることは確実である。申請を取り下げることも考えたが、ここでビザをあきらめたくはなく、不法残留の道を選択した。
翌日、できあがったビザを見てショック……。ビザが、2週間以内の入国となっているのだ。まだ入国が先だと言ったのに…。1ヶ月との話だった滞在期間もたった10日になっている。色々交渉したが、テレックスの内容通りのビザしか出せないと、変更を拒否された。仕方なく、ビザのキャンセルを依頼。お金は返してもらった。
時間がなく、急いで、バスターミナルへ。トルコ国境に近い北部の大都市アレッポへ向った。『考える余裕がなくイランビザをキャンセルしたが、予定を変更して2週間以内に入国すれば良かったのではないか』とか『オーバーステイとなったので出国はうまく行くのか?』、『余ったお金をどうしよう』などと、車中ではずっと考えていた。
アレッポ到着は暗くなってから。トルコへの乗り継ぎは当然なく、オーバーステイが確実となった。
翌朝、市場を土産探しがてら歩いたが、結局なにも買わず。レートは悪くても再両替できるだろうとそのまま、トルコ行きのバスに乗車。正直、大量に余らせた残金より、心配なのはオーバーステイだった。
国境のイミグレーション。ビザの日付を見ないことを祈ったが、係官は気づき、カレンダーを見て、日数を指折り数える。(そんなパフォーマンスしなくても、3日くらい計算できるだろうが!)緊張して言葉を待ったが、じろりとにらまれただけで、出国スタンプを押してくれた。助かった…。ビザに滞在期限は記されていないが、ここでは壁に「トランジットビザ滞在期限2日」と書かれていた。2日とは2泊3日のことだというのは、入国時に確かめてあったが、3泊したのだ。なぜ見逃してくれたんだろうか?
さて余ったお金。国境では、シリアポンドは使えず、両替も不可能。(レバノンはできていたのに…)その後もシリア方面に向う人に会うこともなく、今もシリアポンドは残っている。
トルコのアンカラで。今度こそ、イランビザを取ろうと思っていたのだが、ホテルで日本人とばったり。今日ビザを取ったが、2日以内に入国のビザしかくれず、すぐに直行しなければならないと嘆いていた。イスタンブールでもビザが取れなくなったとの情報も教えてくれた。困った…。
取れないものは仕方ない。予定ではここからコーカサス諸国、イランはそのあとなのだ。
アゼルバイジャンの首都バクーにて。再度、イラン大使館へ。そして、ここまでのトラブルの原因が判明した。現在、重要な会議がイランで行なわれており、ビザ業務はすべて停止しているのだそうだ。この会議中に外国人がいなくなるように、各地で発行されるビザの有効期限を短縮していたのだ。1週間先の会議終了後、テレックスを打つから、ビザは早くても2週間後になるといわれ、ついにイランに行くことを断念した。
後日、出会った旅行者から、「会議前にビザ延長ができなくなり、出国した。」、と聞いた。さらに当時イランにいた友人は、ビザ延長しようとしたら、会議の為に役場は閉鎖。1週間の会議が終わるまで、何もできなくなったそう。そして、やっと役場が開き、申請に行ったが、当然ビザは切れているので不法滞在。そのまま裁判にかけられたそうである。
最近は問題なくビザが発行されているのだろうか…。