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ビザトラブルその2/スーダン

 ビザで苦労した国といえば、イランと並んでここスーダンが思い出される。

 初めてビザを申請したのは、91年1月。湾岸戦争が始まって間もない頃だ。場所はエジプトのカイロ。
 ここのビザ取得にも日本大使館のレターが必要だった。最初に頼みに行ったところ、戦争を理由に「ビザは出せない」と断られたが、交渉の結果、「飛行機で行くのならOK」という事になった。その足で飛行機会社に行き、航空券を予約。ビザの発給が不確かなので、航空券のキャンセルができることを確認すると、少々渋られた。できるが、避けたいという感じなので、予約確認証だけもらって日本大使館に戻った。しかし、
「たった今、渡航自粛令が発令されたから、紹介状は出せなくなった。」
…、スーダンなんて湾岸戦争になんの関係もないと思っていたのだが、外務省の過剰反応で身動きが取れなくなってしまった。結局、この時はスーダン行きを断念。

 2度目の申請は、93年12月。場所はヨルダンのアンマン。
 カイロではビザの取得まで3週間待ちだが、アンマンなら2週間待ち、との情報を得ての申請であった。申請は問題なく終わり、大使館でも2週間後に取りに来るように告げられた。
 翌日から、イスラエルに行き、3週間後にアンマンに戻った。遅くなってしまったと急いで大使館に行くが、
「本国照会の返事が来てないから、何日間か待て。」
…、本国照会なんて聞いてなかった。どうしても10日後にカイロに到着せねばならない用事があり、これ以上あまり待てない。電話で照会の返事が届いたかどうか教えてもらえる約束をして、ヨルダンを南下。ペトラとアカバで、電話を掛けたが、結局ダメで、エジプトに向った。

 3度目の申請をすぐにカイロで行なった。94年1月である。
 3週間の国内旅行の後、
「本国照会の返事が来てないから、来週来い。」
…、またである。翌日1日遅く申請した友人はビザが取れた。悔しいが少し期待をしてしまった。しかし翌週も、
「まだ本国照会の返事が来てないから、来週来い。」
この週、10日ほど先に申請していた日本人が、5週間待ってビザ取得。また、リビアで即日ビザが取れたという日本人もやって来た。う~ん。そしてその翌週、
「また、本国照会の返事が来てないから、来週来い。」
同じである。一週間の国内旅行しては、大使館に戻る生活が習慣になった。毎週毎週、スーダン大使館に行くためにカイロに戻るのだが、答えはいつまでたっても同じ…。ビザを申請してから始まったラマダンも、いつのまにか終わって、春休みの旅行シーズンに入る。しかし、ビザはいつまでたっても発給されない。先に取得したエリトリアビザの有効期限の書き換えをしてもらったが、それももう切れそうになってくる。
 4月、エジプトも面白かったが、もう行くところがなくなり、根負け。10週間で、ついにあきらめた。飛行機でイエメンへ。

 イエメン・ジブチからエチオピアに入り、5月。4度目のスーダンビザをアディスアベバで申請。本国照会はなく、今度は簡単にビザは取れた。
 6月、念願のスーダン入り。しかし、冬の旅行シーズンは当に終わり、砂嵐の季節になっていた。色々行きたい場所もあったのだが、この時期の砂嵐は中国の黄砂の比ではない。旅行なんて気分になれず、エジプトへ抜けるだけに終わった…。

 7月、カイロ。ビザ申請から約半年。まだ本国紹介の返事はなく、申請書を返してもらった。取れないなら、そう言ってくれれば…。
 今は簡単にビザが取れるのだろうか?「99年には、カイロで取れていた。」という話は聞いたが…。一度はゆっくり行きたい国、でも今度トライするなら、内戦が終わって南部に行けるようになってからか。それでも、もう10週間も待つ気力はない。

エッセイ