初めての旅の初日

 今でこそ世界中を巡り経験も豊富となり、ぼられたり、失敗したりすることは少なくなっている。やられそうになっている他の旅行者を助けることもある。しかし、初めての頃はここまで情けなかったのかと自分で感心するほど色々あった。今では当たり前に思えることに感動していたり、何故そんなことになったのかと不思議になるようなことをしている。中でも初めての旅行は緊張した。私がいかに緊張していたかをここで白状しておこう。

 初海外旅行は15年前、韓国である。自転車で大学の友人3人とプサンからソウルまで走った。
 下関からフェリーでプサンに着き、外国の第一歩をが自転車で快調に始まった。その5分後、プサンの繁華街で自転車のチェーンが外れた。よくあることですぐにチェーンをはめ直せるはずが、チェーンは内側にはさまり中々取れない。これもときどきあるので、普段なら問題ないが、緊張のため力が入らず全くはずれない。あせって変な方向に力を入れたため、ますます動かなくなった。友人にもやってもらったがもうダメ。場所柄、またたく間に人だかりができた。我々がすぐに日本人であると分かったみたいで、余計あせる。しばらくして、人だかりの中から一人進み出たかと思うと、軽々と動かなかったチェーンを外してくれた。ほっとした反面、非常に恥ずかしく、お礼もそこそこその場を走り去ってしまった。

 昼時になり、食堂を探すが全然見つからない。韓国では日本(この後、一部の共産圏を除くと諸外国でも日本と同じであることを知るが)と違い、店の外にメニューなど出していないのが一般的だった。ハングル文字の看板を読めなければ、外から何屋であるか分からないのだ。1時間以上街の中心部を空腹を状態で探してようやく食堂発見。たまたま店の戸が開き、中が見えたので分かったのである。この経験から、以降韓国語を必死で覚えた。食堂の意味のシッタン、自転車の意味のチャジョンゴ等は今でも覚えている。
 食堂の主人は片言の日本語が話せた。ハングルのメニューを説明したくれたが、これがまた分からない。当時の日本では、エスニック料理などは流行していなくて、韓国料理など3人とも全く知らなかったのだ。色々覚えなければならないと、3人別々の物をメクラ注文。料理が出てきてまた戸惑う。どれが誰の物か良く分からないのだ。またキムチが何皿もついてきたが、無知な我々はどれがどれにつくのだろうと考えてしまった。店の主人を仕方なく呼び、料理の名前を聞いて注文したものをそれぞれ取り、またキムチは共通の物であることを知った。
 私の注文したものはビビンバ、ご飯の上に色々具がのっている。具の上には赤と黒のソースのようなものが、たっぷりのっていた。今度は食べ方が分からない。しばらく迷ったが、他の二人は先に食べだしている。意を決し、上からパクリ、激辛。赤いソースのたっぷりの部分を食べたのだが、これが唐辛子のソース、すごく辛かったのだ。私のあげてしまった声を聞きつけ、店の主人が飛んできた。そして全部かき混ぜてから食べるのだと笑いながら教えてくれた。混ぜても辛いビビンバで、キムチが甘く感じたほど。

 自転車旅行には地図が不可欠だが、当時の日本では政府観光局でくれるものしか手に入らなかった。昼食後、本屋に探しに行くが置いていない。地図は政府が管理しており、指定地図屋でないと手に入らない。地図屋は見つけたが、1枚3000ウォン(約870円)もする。ソウルまで自転車で走るには5枚が必要。紙は分厚くて重く自転車旅行には不向きだが、他になかった。仕方なく、購入。戦時体制(朝鮮戦争以来ずっとであり、今も続いている)だから、地図の所持には規制がある。パスポートをチェックされ、国外に持ち出さないことを約束させられた。実際には帰国時に棄てきれず、自転車のフレームに隠して持ち帰ったが…。

 この夜、2週間前にソウルから自転車で走り翌日帰国の大学の先輩達と合流した。彼らは1枚450ウォンでもっと使いやすい地図を購入していた、悔しい。地図屋は政府経営で同じ物を置いているはずなのにソウルとは品揃えが違っていたのか。

 初の海外の初日は戸惑うことばかり。その中でも最大の失敗は一度に7万円近くも両替したことである。自転車で田舎を走るから両替に困るかもしれないと、港で予算のすべてを替えてしまった。レートや手数料も比べず、韓国の物価も知らずにである。韓国にいたのは16日間、物価が安かった当時の韓国で使いきれるはずが無かった。半分以上残してプサンに戻った。港の銀行で、免税店でも使えると教えられ両替せず出国した。出国の後には銀行がない。免税店で4万円近くも使うはずがない。仕方なく持ったまま帰国したら日本では両替できなかった…バカである。

 2日目以降はだんだん慣れて、最後まで無事に旅をすることはできた。初日に会った先輩達が旅のベテランに見えたのだが、私も最終日はそのような感じになっていたのだと思う。そして、この旅で病みつきになり旅を中心にした人生を歩むようになったのだ。

 あまりにドジなので最後に言い訳をしておくと、当時は個人旅行と言えばヨーロッパやアメリカ主流。私の周りには海外旅行経験のある人はほとんどおらず、海外の経験談を聞いたのはオーストラリアを自転車で走った先輩の話くらい。韓国の話を聞いたことはなかった。ガイドブックも個人旅行用の物はなく、ブルーガイドというのを使っていた。下関からの船の上でオーストラリア人女性と話したのが、私にとって英語を初めて使った経験だったと覚えているほど。情報過多の現在とは状況が違います。