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ブルネイの金持ち

 金持ちの国としてブルネイは有名である。しかしどこにあるのか知っている人はそう多くなかろう。カリマンタン島、以前はボルネオ島として呼ばれていた島にある東南アジアの国の一つである。3方をマレーシアに囲まれ、北側は海の小さな国。産油国でその利益に一番あずかっている国王は世界一の大金持ちとしてつとに有名。医療費無料、教育費無料、税金無し等、国民もその恩恵を十分に受けている。物価が高く、見所のない国として旅行者には全く人気のない国でもある。いかなる金持ち国なのか、それを見たくて立ち寄ることにした。

 マレーシア・サワラク州のラブアン島より船でブルネイに入国。1週間の休暇中で、キナバル山(東南アジアで一番高い山)登山のついで来たので、時間がない。港の前の旅行代理店に直行、サワラクの州都コタキナバルへの飛行機の切符を注文。週2便しかないため翌日の飛行機に乗らねばならない。
 予約の電話が通じないようなので、バッグをそこに預け観光に出かける。まずKAMPONG AYERへ、マレー語でKampongは村、Ayerは水、水上家屋集落である。浅い海上にある木造住宅の村。東南アジアにはよくあるスタイルで、フィリピンやマレーシアなどで幾度か見ていたが規模が違う。入りくんで道がいくつもに分かれ、端が分からない感じ。幅数メートルの木道がきれいに整備されている。水道管や電気も来ており、各家庭の窓からテレビやステレオ、冷蔵庫などが見える。それどころかエアコンがついている家庭が多い。建物もきれいで、金持ちの家庭であることをうかがわせる。庶民の街の雰囲気がなく不思議な世界。金持ちになっても水上に家に住み続けるのは何故なのか、単なる伝統なのか、それともこの方が居心地は良いのか。
 陸上は近代的な建物の並ぶ単なる街。空き地が多いのに立体駐車場があるのも金が余っているから?車は走っているが、歩いている人の極端に少ないところで、金を注ぎ込んで建てたモスクぐらいしか見所がない。
 1時間ほど歩いただけで飽きてしまい、旅行会社に戻ると予約がウエイティングになったと言われた。採算を度外視して内装に金をかけているといううわさのロイヤルブルネイ航空に乗ってみたかったのだがしかたない。また陸路で戻るのかとがっかりしていると、
 「知り合いに頼んでみるから待っていろ。」
と言ってくれた。彼は電話をかけ、頼みこんでいる様子。その後返事の来るまでの1時間ほど彼と話をした。始めたばかりの代理店で仕事がないらしい。私も旅行会社勤務(だった)なので話が合い、最後には「家に泊りにおいで」と誘ってくれた。
 17時前に予約が取れチケットを買って、バッグを持ちユースホステルに向った。しかしユースは改装工事中で閉鎖していた。この国にユース以外の安宿はない。次に安いホテルは70ブルネイ$(約5千円)である事は旅行会社で聞いていた。物価が高いという話なので1泊の予定でも9千円分くらい両替した、しかし飛行機代を支払ったので残金は60ブルネイ$。サラリーマン時代の話で金に糸目をつけていなかった私だが、銀行も閉まっている時間だし70ブルネイ$のホテルの場所も分からない。急いで旅行代理店に戻り、やっぱり泊めてほしいと頼んだ。

 車に乗って彼の家へ、美人の奥さんが出迎えてくれた。彼の名はMd Sallehというそうだが、私が発音したら全然違うと言われ、正しい読み方は分からない。35才だがまだ新婚3週間、男3(一人は養子)・女8の大兄弟。その全員が英国留学を経験しているというのだからすごい。もっとも王家と血縁関係もある家庭だそうなので当然なのかもしれない。現在はこの家に、彼夫婦と両親が暮らしているが、近くに住む兄弟たちもここに部屋があり、何人が普段暮らしているのかよく分からない。彼も来年には自分たちの家を建てるそう。私は現在留学中である一番下の妹の部屋に寝させてもらうことになる。各部屋にステレオやレーザーディスクのプレーヤーがあり家具も豪華、英国風のものが多い。祖父はブルネイ人でただ一人日本の勲章をもらっている人だそうだ。奥さんは日本語を勉強しており、日本に旅行したときの写真も見せてくれた。これが私を招待してくれた原因の一つなのに、奥さんは恥ずかしがって日本語を話してくれず、英語で話をした。豪華な夕食は、揚げるか炒めるかの料理方法でマレー風。

 夕食後、ドライブに行くことになる。庭の駐車場には、ずらり7台の車が並んでいる。家に来る時はBMWの車で来たが、今度はどれに乗るかと聞かれ、スポーツカータイプで車高が低く2人しか乗れないフォードを選んだ。
 ドライブは口実だったようでシェラトンホテルのバーへ直行。彼はピッチャーのワインとコーヒーを注文。ウエイターにもう一人来るからと告げ、グラスは2つもらう。一つを隣の空いた席に置いてもらう。誰が来るのかと彼に尋ねると、にやりと笑い、
 「誰も来ない。」
 「じゃあこれは何?」
 「私が飲む。」
理解に苦しむ私に彼はささやいた。
 「ブルネイの国教はイスラム教である。イスラム教はアルコールを禁止しているので、この国でも基本的には禁止されているのだ。ここは外国人用のバーでアルコールはあるが、イスラム教徒にはアルコールを出さない。だからこうやるのさ。」
彼は、私のグラスと無人の席のグラスにワインをついだ。そしてうまそうにその酒を飲む。いちいちグラスをテーブルに置くときは元に戻している。久しぶりの酒でうれしかったらしくピッチが早い。私も遠慮しなかったので、普通のビン1本分のピッチャーはすぐに無くなり、追加の注文。しかしウエイターが慇懃に、しかも英語で、
 「もう一人の方はいついらっしゃるのですか。」
 「もう来るよ。」
 「来ていらっしゃらないのにグラスが使われている様ですが。」
 「ついでおいたのだが遅いので、彼に飲ませたのだ。」
と私を見る。その後は英語でなくなったが、彼は色々言い訳をしていた。結局無人の席のグラスは下げられ、新しいピッチャーのワインが運ばれてきた。彼はそれまで口もつけていなかったコーヒーを飲みほし、そのカップで飲み続けた。イスラム教徒に酒を出したことが見つかるとウエイターも罰せられるそうだ。英国留学で酒の味を覚えた上流階級の人々が酒無し生活を本当にしているのか、はなはだ疑問が残る。マレーシアなどから密輸品が入っていると思うのだが、どうだろうか。断られたとはいえ、ここで明らかに酔っ払っているのに問題はなさそうに見える。
 高級クラブはここしかないそうで、まわりにいる人の多くは知り合いどうしのよう。私も幾人か紹介された。中に、ロイヤルブルネイ航空の極東地区マネージャーがおり、色々話をした。日本に就航したら東京の支配人になる予定だそうだが、なかなか日本政府の許可が出なく就航できないと言っていた。成田の発着枠は結局得ることができず、現在関空に就航しているが、彼は来日しているのであろうか。
 当然、帰りは酔っ払い運転。酒臭い匂いで家に帰れないらしく、王宮前や公園などあちこちドライブ。酔っ払っているくせに飛ばすので、私は恐くて酔いが醒めた。日が変わってから帰宅。

 早朝にまたフォードで空港に送ってもらい、チェックインの後、レストランで朝食をご馳走になった。最後くらい出そうと思ったが出させてくれず。ブルネイでは結局、飛行機のチケットを買っただけ、全くお金を使わず。ブルネイの物価が本当に高いのかどうかも知らず。しかし、いかなる金持ちなのかという当初の目的は果たし、わずか1日のブルネイ滞在は大満足のうちに終った。

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