かくれプチ

* by azusa *
■ご挨拶
「かくれプチ」よくぞ発見してくれました(笑)! 旅に出て、もうすぐ1年。今までもオフラインで綴ってきた、他コーナーとは少々味の違う私の徒然草を、こちらに記していこうと思います。
旅をしながらのプチ日誌なので、“旅してプチ日誌”とも呼んでいますが、こそっと更新しているので、「かくれプチ」とも呼んでいます。
*since 11may07
  ima 'tabisite' imasu.

*archives




©2007-11 azusa

2008年12月20日

“裸族の旅”が、終わりました。

12月10日 南スーダンカポエタ、トポサ族の町。あまりの裸族の数に驚く。
12月11日 南スーダンナルース、トポサ族の村。ここがあまりに良すぎて。
12月12日 ケニアロキチョキオ、トゥルカナ族の町。いやー首長族だった。
12月14日 ケニアロドワー、トゥルカナ族の町。ここも首の長い人がいっぱい。
12月16日 ケニアトゥルカナ西ルート突入、トゥルカナ族はここでも美しい。
12月17日 エチオピア南西部オモラテ、美しい裸族、ダサネッチ族の村や町。
12月18日 エチオピア南西部トゥルミ、装飾が見事なハマル族の町。
12月19日 エチオピア南西部ジンカへ。道中ハマル、バンナ、アリ、様々な族。
12月20日 エチオピアジンカの土曜マーケット、ムルシ族いぱーい。

ここまで来たら外界と道がつながるので、秘境ルートもおしまいです。

  

  おっぱいパツンパツン!のムルシ族ですのよ。

2008年12月17日

今日、私たちは、不可能と言われているルートを可能にしました。
ロンプラ(最大手英語ガイドブック)に不可能と書かれてあり、ロンプラ掲示板でも何件も「行ってみたい」と書かれているけれど、行ける保証を示すリプライのないルート。砂漠を40km、飲む水を得られないで歩くというのですから、命を賭けて行く秘境ルートです。メリル(殺人強盗族)も出ると聞きました。

でも私は、エチオピア南西部、夢の古代民族地域からエチオピアに入国したくて、スーダンにいるときから、会う人会う人に、エチオピアダイレクト入国を可能にする車はどこにあるかと尋ねまくっていました。生きる自信はある。そして和人もトライすると言ってくれたのですから、私も頑張らなければなりませんでした。

そのルートとは、ケニア北西部からトゥルカナ湖西岸沿いにエチオピアへ北上するルートです。公共の移動手段はもちろんありません。そしてそこは、さまよい込んだら死に神が迎えに来る、そういった意味で、最も過酷な、最も旅行者を阻むルートです。

でも本当に今日、成功したよ。助けてくれた優しい人々にも感謝いっぱいしなければいけない。来るまで何日も、怖くて怖くて、本当に怖がっていた私。

オモラテ・・・エチオピア南西部の秘境の村で、シャワーを浴びるとき、上を見たら満天の星が見えたとたん、生きて来れたことに、わんわんと声を上げて泣いてしまいました。

  

  ユバちゃんって言うの。裸族ダサネッチの可愛い少女に出会った。
  左後ろが、裸族でしょ。

2008年12月11日

秘境、南スーダンの南東部。・・・見つけた! 裸族の村!

  

  こんなにいいところなのに、ツーリストがまったく来ない。
  だから、写真を撮られてもお金を要求することを、知らない。

地図にも地名がない村へたどりついたなりゆきは、いずれ、旅日記にて。

2008年12月4日

> 次はエチオピアです。

って書いたのはだあれ?

諸々を考えた上、色々を調べた上、様々に話し合った上、ウガンダに2度目の入国です。
ここから向かうは・・・

知らない人には「フーンあっそ?」と思われるところでしょうけど、この国の旅や政治を知っている人ほど、真剣な私たちを理解し、または理解しようといろいろと考察してくれると思う。

ウガンダはバナナ天国なので、朝もバナナ、昼の主食もマッシュバナナ。ちと飽き気味。

2008年11月27日

22日に、インド洋の旅から戻ってきました。44泊45日、訪問国数6。マダガスカルを除き宿泊費は1泊20ユーロとか50ドルとかしてしまうところ、でも! ホームステイ24泊、車中4泊、野2泊、で切り抜けました。残り14泊も、マダガスカルの安宿が多く、高い宿泊費を払ったのは5泊だけ(ほとんどがホームステイ先のないコモロ)。ホームステイ先探しと日程調整の連絡などはあづさがやったのよ、ホント、頑張ったなぁ。

  

  白亜、白砂、天国の無人島へ連れて行ってくれたモルガン兄さん。友人カヌーを借りて。
  和人はカヌーで上陸、泳いでいくのはモルガン、写真を撮るあづさ。マイヨットにて。

次はエチオピアです。ガイドブックに「不可能」と書かれているルートから、エチオピアの夢の世界へ入りたいのですが、こちらまだまだ検討中。袋小路覚悟で突っ込むか・・・。

2008年11月17日

「Roasted red sweet pepper and tomato soup」
ロースト赤ピーマンとトマトのスープ

想像すると、めちゃ美味しそうv(・

セロリの茎3本みじん切り、にんにく2かけ、オリーブオイル40mL、プラムトマト(甘いトマト)大4つ、ローストして皮をむいた赤ピーマン2~3個、オイル漬けドライトマト8個(オイルは切る)、500mLチキンスープ、塩、ひきたて黒胡椒、飾り用フレッシュバジル

セロリとにんにくをオリーブオイルで1、2分(やわらかくなりつやが出るまで)炒める。
トマト、赤ピーマン、ドライトマトを角切りにし、セロリソテーを加える。
チキンスープを加え、塩と胡椒で味付けする。
10~20分(トマトが柔らかくなるまで)ことこと煮る。
フードプロセッサーで滑らかにする。
好みでガーゼ等で濾す(とろみまでは失わない程度に)。
熱いうちにスープ皿に盛り、バジルを散らす。
好みでドライトマトスライスやオリーブオイルを表面にあしらってもよい。

・・・少ぅし、辛味を加えてもいいなぁ♪

2008年11月9日

【コンゴ民主共和国、反政府勢力ゴマまで十数キロに迫る】

“アフリカ中部コンゴ民主共和国(旧ザイ-ル)東部で、政府軍と反政府勢力の戦闘が激化。反政府勢力は29日、東部の中心都市ゴマまで十数キロの地点まで迫り、政府軍はゴマを放棄し徹退した。”

・・・私たちが7月末に訪問した地域(ベニを含む北キブ州地域)で内戦が始まりました。親身になってくれたベルナデットおばさん、その家族、会ったピグミー達は、どうなってしまったのでしょう。悲しすぎます。

また、訪問時期も正解でした。もし今行っていたら? それは不可能でしょうから。でも怖い。内戦勃発と旅が重なることを想像すると、怖い。

コンゴ民主でお世話になった人にメールを出しましたが、返事は来ません。

内戦なんて、大嫌いだ。

2008年10月27日

マダガスカルで憧れのベレンティー保護区へ。

ここはお高~いツアーでないと行けないところなのですが、首都アンタナナリブでのホームステイ先おばさんの携帯電話から問い合わせをするという裏技により、個人アクセスにOKをもらいました。えっへん。それ以外にも裏技と根回しを組み合わせて駆使していますからね、やると決めたことはとことんやり抜くのがあづさの性格です。

ここは、マダガスカルならではの原猿の宝庫です。楽園でした。

  

  左:「ワオキツネザルでーす。ちょこん。」
  右:「私もワオだよー。ちょこん。」

右のサルは、ベレンティにこの日発生した新種のおサルでしょうか!?
しかし右のおサルは、この旅2度目のマラリアに肺炎を合併し、この日も40度近い高熱です。

そしてこの日のための手編みマフラーは、日本を出て今日まで1年半運び続けた執念の品。

2008年10月19日

セイシェルに続き、モーリシャスではトニー兄さんちに泊まっていました。モーリシャスは人口のほとんどがインド人(もしくはインド系)という、インドインドな国なのに、皆さん美しいフランス語を話されますから違和感大きすぎます。

美しいビーチリゾートの国と思っていたら、あまりのインド度、七色の大地、大きな中華街など、ここは事前印象とはぐっと違ったものが見えるから興味深い。

そんなことをしながら町を歩いていたら、インド系の病院経営者の家でごちそうをいただいていました。

いろいろなことが不思議なモーリシャスっす。

2008年10月10日

インド洋の旅が、始まりました。皮切りはハネムーナー憧れのセイシェルです。
セイシェルもモーリシャスもレユニオンも、インド洋のリゾート国は宿代が高いですよね。そんなわけで、インド洋の島めぐりでは、ホームステイを中心に滞在する予定です。

今いるルイスおばさん宅では、超美人の19歳長女アレクサンドラやいい子の14歳ジェレミーくんも含めて楽しく過ごしています。

もちろん美しいビーチにも行きましたよ!
セイシェルですからね!

  

  シュノーケルに木の枝の銛でウニを獲る女性。浜辺でこんなデカーイ生ウニ食べ放題。
  この後、背部の真っ赤な日焼けの激痛に、この女性は大変苦しんだそうです。

2008年10月8日

昨日は和人の誕生日でした。ナイロビならば「日本人の日本食屋」というリクエストのもと、何日もかけてそれなるものを探した私ですが、日本人の日本食屋はぐいぐいつぶれ、今や美味しいお店は韓国人経営の日本食屋、ということをあちこちで耳にしました。いろいろとお話しを提供してくださった日本大使館の皆さん、ありがとうございます。

同じ宿に泊まっていた人が、「日本人倶楽部でちらし寿司を食べたら炊けてない米に乾いたネタが乗ってきた」ですって。こりゃだめだわ。

結局、無難に、中国人経営の本格的中華料理店に行きました。こちらは味もおいしゅうございました。

日本人経営の軽食屋もつぶれているそうです。ナイロビの日本人産業は、やっぱり斜陽の一途なのでしょうか。それとも、韓国人や中国人の経営パワーが強大なのかしら?

ともあれ、美味しかったね♪ お誕生日おめでとう♪

2008年9月30日

ケニアの首都ナイロビでは、実は捻挫の治療をしています。
タンザニアでね、グキってやっちゃったの。

宿の近場にも食べるところが集まっていて、あまり遠出をしていません。
近くにいるみなさーん、ニューケニアロッジで待ってます!

2008年9月20日

<ナイロビでやること・メモ>
 インド洋諸国めぐりのエアチケット探し
    〃  ガイドブック購入
 シュノーケリングセットを買う
 ベレンティロッジ予約メールを出す
 日本に荷物を送る(そのための写真整理、書類整理など)
 ナイロビ発ジュバ行きバスを探す
 カンパラ発ジュバ行きバスを探す
 エチオピアビザについて確認
 スーダンビザについて確認
 マダガスカルビザについて確認
 ソマリアへのエアチケット探し
 エリトリア-ジブチ間国境状況、エリトリア-スーダン間国境状況確認
 ケニアからオモラテルートでエチオピアに入れるかどうか確認
 A型肝炎予防接種3回目 →やめた。
 南部行き旅行者にザンビアクワッチャと南アランドを好レートで譲る。
 和人散髪。
 LEDライト買い足し。
 日本大使館で、渡航予定国の安全情報をもらう。

いよいよ、私のアフリカ旅、最終版の楽しみが迫ってきました。
お楽しみは何よりもエチオピア周辺国。ソマリアやスーダンなど、めっちゃ期待していますし、めっちゃ頑張るつもりです。まず頑張るべきは、ルート確定。ビザ状況や国境問題も複雑な地域なのですが、ナイロビで気合入れて頑張るつもりです。あとナイロビからはインド洋諸国(6ヶ国:セイシェル、コモロ、マイヨット、マダガスカル、レユニオン、モーリシャス)へフライトを含めて巡りますので、ストップオーバーがんがんかけながら、安くも充実したエアチケットを探しまくりますよ。うふん。

2008年9月19日

「Abundance tomato soup with basil oil」
  トマトたっぷりのスープにバジルオイルあしらって

トマトが思わずいっぱい手に入ってしまったときなどに。
バジルオイルはサラダやパスタにふりかけるとすごく良い。濾してからビンに入れれば数週間はもつ。

バジルオイルの材料:
新鮮な多めのひとつかみのバジルは葉を摘み、茎はよく刻む。塩(海の塩がよい)、ひきたて黒胡椒、200mLエクストラバージンオリーブオイル
スープの材料:
バターやや多め(large knob)、オリーブオイル、にんにく2かけはスライスして、熟したトマト2kg、良質な赤ワインビネガー。

バジルオイルの作り方:
バジルの葉少々を冷水を張ったボウルに入れる(あとで使う)。
残りの葉はすり鉢に入れ、塩ひとつまみ緑色の濃いペーストになるまですりつぶす。
ビンに移しかえ、オリーブオイルを加え、よく混ぜる。

スープの作り方:
バターとオリーブオイルを大きめスープ鍋に入れて中火で加熱。
バジルの茎とにんにくを入れ、約1分炒めたら、トマトを入れる。
150mLの水を入れてかき混ぜ、沸騰したら中火にして5分間(トマトが崩れ始める)煮込む。
火から降ろし、すばやくハンドブレンダーで好みの加減にする。
スープボウルによそり、バジルオイルを渦巻き状にトッピングし、好みで胡椒をふる。
最初に取っておいたバジルの葉を散らす。

冷たくしていただいても良い。

2008年9月15日

選挙の騒動、デノミ実施。ジンバブエニュースは日本でどのくらい知られているでしょう。
ムガビ大統領の悪政にまつわる経済危機は今も続くジンバブエにいます。

旅行者、ぜんっぜん見ません。
昨日もあの有名なグレートジンバブエ遺跡に、私たち2人だけという始末です。

スーパーの陳列もあまりの商品のなさに驚愕。
たまに見る食事もあまりの高額さに驚愕。
チーズバーガーが、日本円で2万5千円するときは、あまりに国民が可哀相で涙が出た。
国民は、ひとにぎりのピーナッツを50円で売って、細々と路上で商売をしているのです。
私たちも、食べるものに出会えないので、そのピーナッツを、他のアフリカの国なら5円で買えるものを、50円も出して買っています。

脅威の物価高です。ヨーロッパの旅が高いとは言うけれど、今のジンバブエのほうが物価高。

「次はいつ食事を摂れるのか」、常に食べ物の心配ばかりしてしまい、「今日はもう晩ごはん食べられないなぁ」と、食糧を手に入れられずに、とぼとぼと、みじめに宿に帰るのが連日続く、・・・そんなの、この国が始めてです。

「今日は何食べるの」と宿の人に聞かれ、「食べるものがないの」と、答える毎日。
3晩連続で、宿にいた人が、主食の「サザ」を分けてくれました(毎回別の人)。
食べているときに、人々の優しさに、歯を食いしばってしまいました。

  
  今、私たちの分も含めて、張り切って「サザ」を作ってくれています。
  国は滅茶苦茶だけど、人が優しい。
  彼らはこのサザの粉に幾ら払ったんだろう、私は、もう泣きたい。

2008年9月7日

白いクリームチーズ、白いクリームチーズムース、白いカッテージチーズムース・・・、白い甘くないものに、真っ赤なルビーのようなベリーソースを添えたら、何ておいしそう!

是非ハート型の小さな(幅5~7cmくらい)を用意しておきたい。
日本に帰ったら絶対買おう。
白いハートをルビー色に浮かべる写真がとても美しくて、決意しましたよ(^^*

「Coeur a la Creme」クールアラクレム(クリームのハート)

500gスムースタイプカッテージチーズ、砂糖大さじ6、バニラエッセンス小さじ1、
サラシ(布)、ハートのゼリー型小。

サラシをボウルに入れ沸騰した湯を注ぐ。
冷めたらサラシをゆすぎ、よく絞り、ハート型に敷いておく。
砂糖とバニラエッセンスとカッテージチーズを、なめらかになるまでよく混ぜる。
ハート型に入れ、サラシを折ってチーズの上までくるむ。
お皿の上にハート型を立て、一晩冷蔵庫に置き、水気を出しておく。

盛り付けの浅皿にベリーソースを敷き、ハートのチーズを置く。
好みでフレッシュベリーやミントで飾りつけを。

・・・さて、私感ですが、別途水切りをしておいてからハート型に成型したほうがきれいにできるのではないかと思うのですが、これは要実験ですね。

ここにいろいろレシピがあるみたい。
http://www.lancewood.co.za/recipes

2008年9月6日

「Best ever roast potatoes」
  -これまでで最高のローストポテト-

・・・ケープタウンとセントヘレナの往復に使ったクルーズ船では、約2週間の乗船のうち、毎日コースランチやコースディナーを食べていました。で、メインの付け合わせの多くがローストポテトなんですよね。中がふわっと、表面が上手に水分の飛んだポテトはどうやって作るのだろうと思っていたら、船内備付の暮らし系雑誌にそれらしい見出しのレシピがありました。「パーフェクトローストポテト」なんて説明文が添えられていると、これはメモせねばと思わせてくれます。

ロースト用じゃがいも1.5kg(新じゃがのような食感に近いほうがよい)は皮をむき縦4等分。
鍋にじゃがいもを入れ、じゃがいもが覆われるまで冷たい塩水を入れる。
10~15分、丁度柔らかくなるところまでゆでる。
オーブンを180℃(160℃送風)に予熱開始。
ザルで水を切り、角が少し取れるまで上下を入れ替えるように振る。
鍋に戻してフタをし、蒸気を抜き、水分を飛ばす。
オーブントレイか耐熱容器に100mLのひまわり油(orオリーブオイル)を入れる。
5分加熱し、じゃがいもを入れてよく絡める。
更に40分(黄金色&カリっと感が出るまで)加熱。途中1度だけ加熱して油を絡める。
穴あきスプーンでじゃがいもを取り出し、塩をふる。

・・・しかし、「Best ever」なんて、名前の付け方が良いですねぇ!

2008年9月5日

「Huletts」の「Coloured Crystals」(赤、ピンク、黄色、ライム色、白などがミックスされたカラフルグラニュー糖)に一目惚れ!!
冷たいドリンクを飲むとき、グラスのフチにまとわせたら、パーティスペースのよう。

普通に紅茶をいただくときも、クリスタルガラスにこの砂糖を入れてみたいものです。

いいなあ(*^-^*)

http://www.huletts.co.za

2008年9月4日

「ツナとトマトのスパゲティ」
  玉ねぎとパセリの使い方が、良さそうです!

170gツナ缶2個(オイルはよく切る)、みじん切りにした玉ねぎ2個、クラッシュしたにんにく2かけ、オリーブオイル、400gホールトマト缶を汁ごとクラッシュしたもの、塩とひきたて胡椒、小さな1ふさのパセリを粗くチョップしたもの、スパゲティ400g。

玉ねぎとにんにくをオリーブオイルで茶色くなるまで炒める。
スパゲティをゆではじめる。
トマトと味付けを加え、1、2分かき混ぜながら加熱。
ツナ缶を入れて加熱し続け、良さそうなソースになってきたらパセリを散らす。
ゆであがったスパゲティをトマトツナソースに加えて絡める。
温かいお皿に盛り、最後のパセリを散らす。

2008年9月3日

ここに旅先メモを残そうと決意したきっかけの料理です。

「Full-flavoured and fabulous」
  -ありえないほどのフルフレーバー-

ステーキベーコン200g角切り、シチュー用ビーフ800gをオリーブオイル少々で炒める。
角切り玉ねぎ2個分とにんにく3かけクラッシュを加え、2、3分混ぜながら炒める。
2Lのビーフストック(ビーフコンソメスープ)を入れる。
トマトダイス1缶、小さじ1杯のドライタイム、小さじ1杯の砕き唐辛子を入れて沸騰させる。
沸騰したらフタをして弱火にし、1時間~1時間半コトコト煮る。
皮むき角切りにんじん3本、皮むき小ジャガイモ8個、さつまいも角切り中2つ分を入れる。
角切り緑ピーマン1つ分を入れて40分間(もしくは肉野菜が柔らかくなるまで)コトコト煮る。
レモンもしくはライムの絞り汁を加え、好みで味付けをする。

たっぷりのトーストを添えて召し上がれ!

スロークックなので、コトコト♪が似合う英国老婆のシチュー鍋が似合いそうです。

2008年9月2日

豪華クルーズ船1週間、料理が美味しくできちゃうセントヘレナの素敵一軒宿1週間、
やばいわ、私たち、確実に太りました。

今ケープタウンへ戻るクルーズ船に乗りました。
船内のラウンジには雑誌がいっぱい置いてあって、
「きゃーこれ作ってみたい♪」と主婦ゴコロをくすぐる記事もいっぱいあります。

帰国してから作るとして、メモをここに残しておこうと思います。

2008年8月15日

基本は、「その土地の食」。
地元の安飯も、地元の高級ディナーも、民家料理も、「地元のもの」が大好きです。

でも、その土地の食もかなり体験できたかなと思うようになれば、
うきうきと自炊開始です。

ザンビアのリビングストンに来るまで、自炊できる宿がなかったので、
さてさて、ここでは鶏まるごと買いましたのよ、ウフフ。

これから調理してやるぅ~♪

  

  ちなみに内臓系(心臓、レバー、砂肝など)は、
  すでに塩焼きにしてレモンかけて食しております。うんまーい!

2008年8月13日

コンゴ民主に、ザイールに、あの緑の魔境に魅せられて、時間もないのに長居してしまいました。その後はそれでもウガンダ、ルワンダ、ブルンジと欲張って、タンザニアに戻ってからはあのマゾヒスティックな列車を含み、駅野宿を含み、休まず連日の移動を経て、今、ビクトリアフォールズのお膝元であるザンビアのリビングストンに来ています。

疲れを取ることもせず、明日はビク滝観光へ。滝の水が落ちるキワまで歩いて行ってこようと思います。あの大瀑布で。

2008年8月7日

タンザニアの西の果て、キゴマにいます。
1回目来たときは、「まずは宿探しから」とうろうろした町です。

今は、コンゴ民主、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジと残った中央部アフリカの旅をすべて終え、南下へ向けてキゴマで次の移動探し。
船に乗るか、列車に乗るか、刻んでレアルート内陸移動を試みるかは、集まる情報次第です。

キゴマ駅周辺はのんびり一息つけて、ローカルさ加減も良い感じだし、人もごみごみしていなくて、好きです。
今回は「勝手知ったる町」とばかりに、開放感いっぱい闊歩しています。
気に入った食堂は、列車駅目の前のウジジ行きミニバス乗り場に面していて、店の前がチップス(フライドポテト)とミシカキ(肉の炭火焼き)屋台になっているところ。その屋台はボリボリなので笑顔で通り抜けて、是非その奥の食堂に入ってくださいね! 美味しいタンザニア料理が待ってるわよ~ん♪

2008年8月3日

最近ムショーに読みたい漫画(爆)

リングにかけろ、ガラスの仮面、逆境ナイン・・・なつかしいなぁ(^^ヾ

文庫本だったら、阿刀田作品なぞ読み漁りたい気分です。

長い移動に、ふとこんなことを考えてしまったりしました。

2008年7月16日

先日もらったメールに、「楽な移動、お好みではないかもしれませんが云々」とありました。

一応言っておくとね、楽な移動、お好みですよ!(とここまではお返事しました)

しかしアフリカどっぷりな今、楽な移動は外国人または現地白人用であることが多い。

私は、アフリカを見たくてアフリカを旅しているのだから、地元黒人さんが普通に乗れるような乗り物を選びたいのです。ごちゃごちゃの黒人列車でも、貨物船の甲板便乗でも、すし詰めバスでもいい。

でも、地元黒人さんが普通に乗れるような乗り物の範疇なら、楽な移動もしています。南アでは、市電のエコノミー(車両の端のみ座席でほとんど通路)が100円のところ、プラス(4人向かい合うコンパートメントがいっぱいの車両)に150円で乗ったり。

こういう楽チンなら、地元の人体験もできるし、ウェルカムですのよん。

2008年7月15日

タンザニアの西の果てキゴマには、ダルエスサラームから直行列車で来ました。40時間以上もの、寝台でない座席での移動は厳しかったです。

当初、ナミビアからセントヘレナ行き船に乗る計画で、タンザニアのあとはマラウィやザンビア経由でナミビアに戻る計画でしたが、今私たちの旅路はコンゴ民主共和国、いわゆる昔のザイールに向かっています。

私は、そこが今どんな国なのか、知りません。一応退避勧告地域ではありますが、それでも、訪問の価値があるだろう見聞は尊重し、信頼しようと思います。

コンゴ民主は、もう、目の前です。


(管理人後日日本語置き換え)

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↓オリジナル↓

2008/7/15
Now we are in Kigoma, far west in Tanzania directly from DAR.
It took us more than 40 hrs with great severe and without sleeper...

Although we have a plan at first to go Namibia via Malawi, Zambia, etc, we are keep our head to make a travel to Congo (zaire).

I've never have knowlidge how are there now, but some people have described there's worth to visit, and I can trust them.

Coming Congo, then we go !

2008年7月12日

旅先で困っていた、髪のダメージですが、最近は髪もサラサラしっとりつやつやで、ごきげんです。

シャンプーを買うときに、ものすごい謳い文句のものを選ぶのが、いいみたい。

「奇跡の太平洋マカデミアナッツオイル配合☆」「紫外線だってカットしちゃうミラクルパワー成分入り☆」・・・海外なので全部英語かフランス語といった商品なのですが、このくらい大胆に謳っているものだと、流石に、効果もテキメンです。

2008年7月9日

タンザニアに着いた頃、次はマラウィ、そしてザンビアなどを経て進む予定でした。ガイドブックなどもそういうつもりで読んでいました。

でも、タンザニアはザンジバルに着いた頃、コモロ行き船があればマイヨットやマダガスカルあたりも行っておこうということになり、船探しまで、コモロ気分で、慌ててガイドブックを読んでいました。

でもでも、ザンジバルを離れる今日、次の国はブルンジ。いよいよ、ブラックなアフリカよ再び、コンゴ民主(旧ザイール)へと向かいます。諸々を考慮しての、判断です。正直恐い国です。

コートジボワールやチャドへ行くときのほうが、まだぜんぜん、恐くなかった。

2008年7月3日

モザンビーク、こんなに旅が大変な国とは思わなかった。だって、バスが出るのが朝3時とか朝4時とかだから、
2時起床、3時起床を余儀なくされて、体内時計がおかしくなりそう。

でもそんな国でもご褒美がありますよ、モザンビークですから。
日本のスーパーのエビでも「モザンビーク産」ってよく見ますよね。

モシンボアダプライアという、ツーリストがあまり来ないような辺鄙な漁村に2泊もし、浜辺で採れ採れの山盛りエビを100円ちょっとで買って、ヤシの殻に火をつけてグリル準備OK、“浜辺エビパーティー”してました。

  

  今まで食べた中で一番美味しいエビの、何倍も美味しいでしょう。マジ驚いたもん。
  手前のボトルは「マヘーウ(マニオク酒)」です。1.5Lで40円弱。ウマイ。

明日のタンザニア国境行きバスは、朝3時発なんだって、アーア憂鬱。

2008年6月23日

ジンバブエ・・・「ジンバブエの最大野党「民主変革運動(MDC)」のモーガン・ツァンギライ党首(56)は22日、首都ハラレで記者会見し、今月27日に予定されていたロバート・ムガベ大統領(84)との大統領選決選投票から撤退すると発表した。」・・・ニュース冒頭抜粋。

大選挙が27日です。
ジンバブエ中が混乱しています。

モザンビークに着いて、最初に接触したモザンビーク人に、「ジンバブエは今はやめなさい、後にしなさい」と忠告されました。
インフレもすごいのでしょうね。

ニュースがインターネットで読めるのは、こういうときは特に有り難いと感じます。

2008年6月22日

今、モザンビークです。
南部アフリカの皮切りナミビアに入ってから、南ア、レソト、スワジと続いて5ヶ国目なのですが、このあたりではいわゆるバックパッカー宿しか安く泊まれるところがなく(それでも高いよう)、私たちもそこに泊まっています。

でも、欧米人ツーリストは、年齢が低くなるほど、下品だしマナー悪いし他人の迷惑気にしないし、・・・バックパッカー宿が、嫌いになりそう。
白人経営者に黒人従業員というのも、見ていて好きではないんですよね。

西アフリカや中央部アフリカの、冷たい水シャワーでもトイレが野でも、2人で1000円も出せば泊まれてしまうあの黒人宿、カラリとした気質のアフリカらしいアフリカ宿が、懐かしいデス。

バックパッカー宿にいる限り、そこは欧米なんだもの。それは寂しいし、つまんない。

2008年6月14日

南アフリカに来て、暮らし系雑誌をよく見かけるようになりました。

ちょっと立ち読みしては、
「わーこのペンネ美味しそう」とか、
「このほうれんそう料理作ってみたいなぁ」とか、
「このお掃除方法、日本で実践しよう」とか。

日本にいるときは喉から手が出るほど旅をしたかったのに、
旅をしているときは、日本の暮らしがホント待ち遠しいよ。

2008年6月9日

あづさ誕生日は、ワインランドでは有名なステレンボッシュで過ごしました。
でも今日は夜行列車で移動だから、素敵ディナーはありませんの。

昨日はワイナリーをはしごしてワインテイスティングを堪能しました。

このグラスはそのときもらいました。
ペアグラスなので、割れるまで運びます♪

  

  「こんなん運ぶバックパッカーいないよ」という和人の声と共に

2008年6月4日

ケープタウン、寒い・・・吐く息が白い・・・。
しかも連日の曇天&雨嵐で、テーブルマウンテンにもボルダーズビーチにも行けず、困っています。

さて、南アからマダガスカル、セイシェル、レユニオン、コモロ、マイヨット、モーリシャス・・・インド洋の国々を旅する予定でしたが、セイシェルをつなぐ空路が減っているようで、運賃計算を試算するとかなり高額になる路線しか組めないことが分かりました。

ナイロビからなら、ストップオーバーの組み合わせで安く行けそうなので、インド洋は後回しとなります。

次は、レソトへ。・・・標高2000mの国・・・凍えちゃうよぅ(;_;)

2008年5月29日

ウィントフックから、東ボツワナに行くか、南のケープタウンを目指すか、
悩んで調べて悩んで調べて、南下することに決定。
ケープタウンではセントヘレナへの船会社を真っ先に訪ねます。

ウィントフックでは日本人旅行者に何人も会ったけれど、
皆さん、南ア移動やザンビア移動に、高額なインターケープバスを使っています・・・

私たちはその距離に1人10000円は高いこともあり、
夜行列車とか黒人バスでケープタウンまでつないでみまーす。

2008年5月28日


「泊まったお宿」のページに、日本円換算価格を併記しました。

それだけでなく、なんと!
価格帯別の一覧をつけました。

お気に入りはやっぱり安い系統の宿ページです。
野テントとか空港の床とかタダで寝られるとき、何故だろう、ウキウキしちゃうんですよ。

2008年5月16日

半ば強引でしたが、ヒンバ族の村に行き、泊まってきました。

  

  始終私たちと一緒にいてくれた、2人の少女たち。
  右の子は和人の奥さんになりたくて、お別れのとき泣きじゃくっちゃったの。
  マタ、アイタイナ。

2008年5月13日

エンシュージアズミック、アンゴラ。
そこは、熱望するほど行きたい国でした。

ダイヤモンドや石油が採れ、裕福層と貧困層の格差が大きい・・・そんな事前イメージをどこかからか得てしまっていたのですが、私の目には、後者の人々も、他国アフリカの貧困層に較べると悲惨さが少なく感じられました。国の基盤が高いのだと、感じました。

2002年に約30年に及ぶ内戦が終わったこの国では、人々は皆、内戦が終わったことを喜んでいるようでした。

アンゴラは、人がとても輝く国でした。

  

  凧揚げをする少年。空が青くて気持ちよい。南部都市ルバンゴにて。

2008年5月8日

公共図書館から送信しています。
なので日本語では読めませんが、どうぞよろしく。

今日、アンゴラビザ、無事に取得できました!!おめでとう~(^^*

しかし、TAAG(アンゴラ系航空会社)のあほんダラ職員がいい加減なことばかり言うもので、嘘を嘘でまるめくるまれる顛末に、フライトの予約がいつのまにかなくなり、問題点だらけです。バカやろー!と言いたいし、彼らが何を言っても私たちには信じられません。醜いったら・・・。

もうしばらくサントメ足止めかなぁ。


(管理人後日日本語置き換え)

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↓オリジナル↓

2008/5/8
I will sent a message from public liblary.
Therefore we can see this only foreign letter.

Today we got Angolan Visa with no accident.
Congratulations! -> to us :-)

But... since stuffs of TAAG (airline company) told lies to us, we're having problems with these reservations, we can't trust them!!! ...how ugly... so we have to stuck out now...

2008年5月7日

初の、オンライン送信テストは、ここサントメからお送りしています。
(かくれだけに、誰も見ていないのでしょうけれど・・・めげない、笑)

アンゴラビザ、申請できちまったよ!!!!!!
もう何回足を運んだかな。もう何回ダメと言われたかな。
とにかく・・・うれしい、徒労に終わらなくてほっとする。

でも5日間トランジットビザだし、これから航空券手配で、明日の受領後はドタバタするのが見え見えです。アンゴラ系航空会社TAAGも、一筋縄ではいかない職員(=規約をよく知らないアホんだら様)がドンと構えているので、明日も戦いですのよ。

今日、アメリカ人旅人(ガボンのリーブルビルで知り合う)からメールが来ました。彼はコンゴ共和のポイントノワールで、アンゴラビザが取れないそうです。彼が頑張れたら私ももっと頑張れるのに、Unfortunatelyなメールに、なんだか私まで悔しいし、悲しい。

2008年4月25日

只今、ガボンから通常は客を乗せない小さなボロ貨物船に乗り込むことに成功し、サントメプリンシペという島国にやってきました。キツくキツイ中央部アフリカのキツイ旅を抜けたことになります。

写真が撮れる! 人が優しい! ポリスがインネンつけない!

まったくもってパラダイスを感じています。

  

  私たち2人+船員7人=合計9人分の食事を、揺れる中でも船員が交替で作ります。
  私達のチケット、食事が含まれない料金ですが、これを見ても告げ口しちゃ嫌よん^^

2008年4月7日

結婚1周年おめでとう!

世界で一、二を争う金クレ星、赤道ギニアで、結婚して初めての結婚記念日です(涙)。

お金を出さないからと、全額運賃を払った乗り合いタクシーを強制途中下車させられるし(涙)、
街を歩いているだけで通報されポリスで恐喝カツアゲ攻撃(涙)、

でもいいの、こんな国に来られたことがハッピーなの(涙)。

2008年4月6日

バンギからいったんブラザビルにフライトで南下したので、未訪問の赤道ギニアまで北上を続けてきました。あまりに理解不能なことが続く国で、来て本当に良かったとさえ思ってしまいます。

女性は布がほとんどないミニスカートでパンツ見え見え、足は細くてスラーリ。
ブラックホールな旅のボーナスステージのようです。
この国は次にあなたが来るのを待っていますよ!

2008年3月29日

コンゴ共和は、和人がかつて強盗に襲われた国です。そして私達も、1日に2度の強盗に教われました。列車ごと襲われる強盗と、私たちだけに刃を突きつけられるものと。

旅が終わらずにすんで本当に良かった。
でも、ここコンゴで、やっと本当のブラックアフリカを見た、気が、した。

2008年3月19日

賄賂恐喝地獄、中央アフリカを旅しています。たった150kmの程度の道で、何度カツアゲくらったことでしょう・・・、これで旅が嫌になるかといえば、今のところそれはありません。

私はマゾ? いえ、それは違うと思うのですが・・・、でもこんな国に身を乗り出して来たいと思っていたことは、マゾ資質も持っているのかしら、嫌だわ私。

2008年3月17日

マラリア、治りました。
(ほんとかいな)

2008年3月15日

チャドから帰ってきました。毎日肉三昧の美味しいごはん・・・おっといけない、えーと、えーと、アラブと西アフリカが融合した独自の文化、良かったですよ。

  

  チャドの狩猟用の弓矢をひかせてもらう。結構きまってるね^^

マラリアって、よく、「精神的に元気がないときに発病する」とかって言いますよね。笑うと免疫細胞(NK細胞とか)が元気になるのは有名な話なので、あながちウソじゃないなと思っています。

全面全土退避勧告地域という、緊張のチャドから帰ってきて気が抜けてしまったからか、マラリア発病しました。

2008年3月5日

ヤウンデ滞在は2週間。長いっ。

ビザ取り、ビザ待ち、暴動発生に伴う退避などで、1日足りとも無駄に過ごしていないはずなのに、長すぎました。ヤウンデでは食事のレパートリーがあまりなくて、毎日サバばかり食しております。n-3系不飽和脂肪酸(さあ歌おう。√魚魚魚ぁ~、魚ーをー食べーるとー、頭頭頭ぁ~、頭ーがー良くーなるー・・・の主成分です)を大量摂取。そのおかげか、結局、チャドに、行くことにしました。安全性に確信が持てる地域限定で、です。

決断には、時間がかかりました。・・・ということは、長期ヤウンデ滞在は、神がくれた時間のプレゼントだったのかな。

2008年2月20日

西アフリカ全16ヶ国を全て訪問できました。頑張ったじゃん、パチパチパチ♪

今は中央部アフリカの皮切り、カメルーンに来ています。チャドに行こうか行くまいか、行けるか行けないか。これに決断をつけることにより、今後の旅ルートが大きく変わります。

2008年2月6日

ここベナンも観光大国です。世界遺産もいっぱい、見所多い国です。

しかし、人が悪い、悪すぎるよ。
どうしてくれるんだ、毎日ベナン人への怒りの気持ちがこみ上げて、楽しくないじゃないか。

ところで、チャドが戦争を開始したため、今後のルートが大幅に変わります。はっきり言ってオオゴトです。当面の行き先をナイジェリアからニジェールに変更しました。しかしビザ取りの順番も狂うし、カメルーンビザはチャドで取る予定だったので、もう、突然の計画総崩れに、慌てふためいています。

あれれ? ベナン人への怒りの気持ち、忘れちゃった(ホント)

  

  ベナン北部のソンバ族の集落にて。観光客が少なくて悪い人も少なかった。
  伝統文化の宝庫ブクンベで、タダ酒ふるまわれてごきげん。

2008年1月22日

マリ以来の観光大国ガーナに来ています。世界遺産もいっぱい、見所多い国です。
滞在日数は多くなりましたが、めぼしい観光地はほぼ制覇した気分なので、次はブルキナファソへ移動します。

そうそう、他所ではビザが取りにくいナイジェリアビザも、無事にゲットできました。
ナイジェリアとガーナは、フランス語圏の中にポツネンと孤立する英語圏。
ナイジェリアとガーナは、セーファーフラン圏の中にポツネンと孤立する独自通貨圏。
そんな2人は、きっと仲良しなのでしょうね。

2008年1月8日

アビジャンは西アフリカ随一の大都会!と聞いていたら、予想よりたいしたことなくて、期待はずれ気味です。

ここコートジボワールは内戦明けまもない地域で、私たちはこともあろうに反政府軍支配地域から入国し、政府軍支配地域に移動してきました。だってこれしかルート取れなかったんだもん。パスポートの反政府軍スタンプを政府軍地域の検問で見つかり、しょっぴかれそうになりましたが、次の国ガーナからはしばらく平和に旅ができそうです。

しかし、食事の美味いコートジボワールを離れるのは、辛いわぁ。

2008年1月1日

あけましておめでとうございます!

西アフリカ最大の内戦国、リベリアで結婚して初めてのお正月を迎えました(涙)。
でもいいの、こんな国に来られたことがハッピーなの(涙)。

泊まるところもなく困っていたら、韓国人富豪おじさんが自宅の1室を貸してくれました。毎日豪華な韓国料理でもてなされ・・・リベリアの“その土地の食”を食べていません(涙)

  

  同じ東洋人として助けてくれるのは、不穏な国だからこそ。
  キムチも米も韓国から空輸ですって。毎日がごちそうです。